第32話 灼熱のサバンナ、そして誇り高き民
魔王様が作り出した光の門をくぐり抜けた瞬間、俺たちの体を包んだのは、魔族領とは全く異質な、灼熱の空気だった。
目の前に広がっていたのは、どこまでも続く、太陽に焼き尽くされたかのような黄金色の大地。視界を遮るもののない広大なサバンナと、遥か地平線まで続く、どこまでも深い蒼穹。
「うわぁ……!」
パティが、思わず感嘆の声を漏らす。
「空が……広いですわ……」
じりじりと肌を焼く猛烈な日差し。乾いた土と、野草のむせ返るような匂い。そして、耳慣れない虫の羽音と、遠くで響く獣の咆哮。その全てが、俺たちが新たな大陸に足を踏み入れたことを、五感に直接訴えかけていた。
「……わ……!」
シルが、生まれて初めて見る、どこまでも広がる本物の空に、息を呑んだ。次の瞬間、その小さな体から歓喜の叫びが弾けた。
「ひろーい!兄ちゃん、これが空!?本物の空なんだね!」
彼女は、俺の返事を待つまでもなく、蒼穹の彼方へと弾丸のように舞い上がっていった。
「殿、この熱気、故郷を思い出しますな」
イフリートは、どこか心地よさそうに目を細める。逆に、ディーネは日差しが苦手なのか、俺が作り出した水の傘の下で、少しだけうんざりした顔をしていた。
俺たちは、ひいおじいちゃんから渡された古い地図を頼りに、獣人たちの王都「サウナハウル」を目指して、広大なサバンナを歩き始めた。
それから、およそ半日ほど歩いただろうか。
不意に、風に乗って、複数の鋭い気配がこちらに近づいてくるのを、俺の「魔力感知」が捉えた。
「……誰か来る」
俺が短く告げると、仲間たちが即座に警戒態勢に入る。
ほぼ同時に、周囲の背の高い草むらが、一斉に揺れた。そして、俺たちを取り囲むように、十数人の屈強な戦士たちが姿を現した。
彼らは、人間とも魔族とも違う、獣の特徴をその身に宿していた。ライオンの鬣を持つ大男、狼のようにしなやかな女戦士、カモシカの角を持つ俊敏そうな斥候。その全身には、戦士としての誇りを示す、見事な筋肉と、無数の傷跡が刻まれている。
彼らこそ、この大陸の支配者、獣人族だった。
「何者だ、貴様ら」
リーダー格である、顔に大きな傷跡を持つライオンの獣人が、低い唸り声と共に、俺たちを威嚇した。
「ここは我ら獣人族の土地。魔族風情が、何の用だ」
その瞳に宿るのは、友好ではない。長きにわたる孤立と、人間たちへの憎悪が生み出した、外部の者すべてに対する、深い猜疑心と敵意だった。
パティが、毅然として一歩前に出る。
「我らは、魔王様からの親善大使として参りました。あなた方の王、ガル・ラオウ陛下に、お話があって参ったのです」
だが、その言葉に、ライオンの男は鼻で笑った。
「親善大使だと?笑わせるな。人間どもに尻尾を振り、結界の中で安穏と暮らしていた臆病者が、今更どの面を下げてきた。王の名を、軽々しく口にするな、小娘」
「なんですって!?」
色をなすパティ。だが、男はそれに取り合うことなく、その鋭い視線を、俺の背後に立つイフリートへと向けた。この中で、最も強者であることを見抜いたのだ。
「この土地の掟を教えてやろう。ここでは、『力』こそが全ての言葉だ」
男は、その両手の指から、鋼鉄のように鋭い爪を伸ばした。
「貴様らに、我らが王と話す資格があるか、この俺が、その体で直々に見極めてやる!」
雄叫びと共に、ライオンの男の体が、弾丸となってイフリートに襲い掛かった。
だが、イフリートは、その場から一歩も動かなかった。
ガキィィィンッ!
鋼鉄を切り裂くはずの鋭い爪が、イフリートの、何の防具もつけていない剥き出しの胸板に叩きつけられ、甲高い音と共に、凄まじい火花を散らした。
イフリートの胸には、傷一つない。逆に、ライオンの男の爪の方が、衝撃で砕け散っていた。
「……なっ!?」
男が、信じられないといった顔で硬直する。
イフリートは、自分の胸板を面倒くさそうに一度払うと、呆れたように、ふっと息を吐いた。
それは、炎の魔法ではない。ただの、少しだけ熱い、ため息のような息だった。
ゴウッ!
しかし、その息は、不可視の衝撃波となってライオンの男に直撃した。男は、まるで巨象に撥ね飛ばされたかのように、凄まじい勢いで後方へ吹き飛び、地面を何度も転がって、ようやくその動きを止めた。
周囲の獣人たちが、完全に沈黙する。
自分たちの隊長が、歴戦の勇士が、相手の一挙手一投足、いや、ため息一つで、完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
やがて、打ちのめされたライオンの男が、よろよろと立ち上がった。その瞳から、先ほどの敵意は完全に消え失せ、代わりに、絶対的な強者に対する、畏敬の念が浮かんでいた。
彼は、イフリート、そして、そのイフリートが静かに傅く俺の姿を見ると、自らの完敗を悟ったように、深く、深く、その頭を垂れた。
「……参った。俺の、完敗だ」
彼は、顔を上げると、言った。
「貴様たちの『力』、確かに見せてもらった。……来い。俺が、王都サウナハウルまで案内してやる」
そして、彼は、こう付け加えるのを忘れなかった。
「……王が、お前たちに会うと、言ってくれるかどうかは、俺にも分からんがな」
その言葉に、俺は、この獣人たちの国が、単純な力だけでは推し量れない、複雑な問題を抱えていることを、確信した。
俺たちの、本当の戦いは、ここから始まる。




