第28話 戦火の再会、そして魔神の戯れ
空間が再構築された瞬間、俺たちの鼓膜を叩いたのは、故郷の懐かしい喧騒ではない。
鳴り響く警鐘、怒号、そして剣と魔法が激突する、戦場の絶叫だった。
俺たちが転移したのは、魔王城へと続く大通り。だが、その美しい石畳は、血と瓦礫で覆われ、至る所で炎が上がっていた。
そして、目の前では、俺たちの同胞である魔族の兵士たちが、必死の形相で防衛線を張っていた。だが、その数はあまりにも少ない。対する人間たちの軍勢は、まるで銀色の津波のように、次から次へと押し寄せてくる。
呪いによって弱体化した魔族の兵士たちは、傷つき、疲弊し、じりじりと後退を余儀なくされていた。首都陥落は、もはや時間の問題。それが、誰の目にも明らかだった。
俺たちの唐突な出現に、両軍の兵士が一瞬だけ動きを止める。
だが、その一瞬で、俺には十分だった。
俺の瞳に、絶望に満ちた戦場の全てが映る。傷つき、倒れていく同胞たちの姿。勝ち誇ったように笑う、人間たちの顔。
俺の心にあった、家族への想いや、故郷への郷愁といった温かい感情が、すっと冷えていく。代わりに、燃え落ちたあの街を見た時と同じ、絶対零度の怒りが、俺の魂を満たした。
俺は、戦場に響き渡る喧騒が嘘であるかのように、静かに、そして簡潔に、命じた。
「ゴーム。壁を」
「御意」
俺の言葉に、不動の眷属ゴームが、その巨体を大地に沈めるように両拳を叩きつけた。
ゴゴゴゴゴゴ……!
凄まじい地響きと共に、魔族の防衛線のすぐ目の前に、天を突くほどの巨大な黒曜石の壁が出現する。それは、人間たちの軍勢を物理的に分断し、魔族の兵士たちに、つかの間の安息をもたらした。
「ディーネ。癒しの雨を」
「かしこまりました、スタン様」
水の眷属が、優雅に天へと手をかざす。すると、黒い煙が立ち上る空から、きらきらと輝く光の雨が降り注いだ。その慈愛に満ちた雨は、不思議なことに、傷ついた魔族の兵士たちの上にだけ降り注ぎ、彼らの傷を癒し、枯渇した魔力を満たしていく。
「シル、レイ。空から、撹乱と支援」
「まかせて、兄ちゃん!」
「はい、スタン様!」
風と光の二人が、空へと舞い上がる。シルが巻き起こした無数の竜巻が、人間軍の後方に陣取る弓兵部隊や魔術師部隊を混乱に陥れ、レイが放つ光の矢が、指揮官たちの目を眩ませ、的確な指示を奪っていく。
「ダーク。指揮官を」
『……御意に、兄者』
影の眷属が、音もなく、その場から消えた。ほぼ同時に、人間軍の各部隊を率いていた隊長たちが、悲鳴を上げる間もなく、自らの影から突き出された刃に喉を掻き切られ、次々とその場に崩れ落ちた。
そして、最後に。
壁の向こうで、混乱から立ち直り、再び突撃しようとする前衛部隊を、俺は見据えた。
「イフリート。――掃除しろ」
「はっ。殿の御心のままに」
紅蓮の眷属が、その黄金色の瞳を、冷たい愉悦に細める。彼が指を鳴らすと、人間たちの足元から、無数の炎の柱が、まるで煉獄の華が咲き誇るかのように、一斉に噴き上がった。
それは、もはや戦いではなかった。
ただ、一方的な、蹂躙。
ほんの数十秒前まで、首都を蹂躙していたはずの人間たちが、今度は、なすすべもなく蹂躙されていく。
指揮系統を失い、魔法と矢の支援を断たれ、回復する魔族と、一方的に焼かれていく仲間たちの姿を目の当たりにした人間軍は、完全に戦意を喪失し、我先にと逃げ惑う烏合の衆と化した。
静寂が戻った戦場で、生き残った魔族の兵士たちは、ただ呆然と、目の前の光景を、そして俺たちを見つめていた。
その、呆然とする人垣の中から、二人の、見慣れた姿が、こちらへ向かってよろよろと歩み寄ってきた。
血と泥に汚れ、その鎧はボロボロだったが、その瞳には、確かな生命の光が宿っている。
「……親父。ひいじいちゃん」
俺の声に、父さん――ギタンが、はっと顔を上げた。
「……スタン……?スタンなのか!?お前、帰って、きたのか……!」
父さんは、俺の姿を認めると、その顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、俺の小さな体を、壊れんばかりに抱きしめた。
ひいおじいちゃんのジャレアは、言葉も出ないといった様子で、俺と、俺の背後に控える六人の眷属たちを、信じられないものを見るような目で見比べていた。
「無事、だったんだな」
父さんの背中を叩きながら、俺は心から安堵した。張り詰めていた心の糸が、少しだけ、緩んだ。
その時だった。
はるか上空から、凄まじい魔力圧と共に、一つの流星が、戦場へと降り立った。
ズウウウウンッ!
衝撃で石畳が砕け散る。その中心に立っていたのは、黄金の鎧を纏い、背中に六枚の光の翼を持つ、一人の青年だった。その手には、聖なる気を放つ、白銀の長剣が握られている。
その男の瞳は、他の誰でもない、ただ俺一人を、真っ直ぐに射抜いていた。
「――見つけたぞ、魔の根源」
その声は、神託のように、戦場全体に響き渡った。
「我が名は、カイン。勇者の血を継ぎ、不浄を断つ者。その邪悪な気配、貴様がこの軍勢の主と見た」
男――カインは、その聖剣の切っ先を、俺に向けた。
「その幼き身に、どれほどの悪意を凝縮している。我が聖剣の光で、塵も残さず浄化してくれるわ」
呪いに弱体化した魔族の軍勢。その中にあって、唯一、規格外の魔力を放つ、俺。
勇者の血を引く彼が、俺を元凶と見なすのは、当然の帰結だった。
面白い。
故郷を焼いた人間たちの王か、あるいは、その懐刀か。
どちらにせよ。
「……お前が、こいつらの親玉か」
俺は、父さんの腕からそっと抜け出すと、一歩前に出た。
「ちょうどいい。まとめて、地獄に送ってやる」
六歳の魔族の少年と、勇者の血を引く人間の英雄。
首都の燃え盛る空の下で、二人の「規格外」が、今、静かに対峙した。




