第26話 帰還、そして燃え落ちる故郷
百階層の最奥に現れた、荘厳なる終わりの門。
俺たちは、一年の長きにわたる探索行の終着点として、その門をくぐり抜けた。
瞬間、俺たちの体を包んだのは、一年ぶりに感じる、温かい太陽の光だった。
「……太陽……」
パティが、眩しそうに目を細めながら、空を見上げる。
ひんやりとしたダンジョンの空気とは違う、草と土の匂いを含んだ生暖かい風が、俺たちの髪を優しく揺らした。聞こえてくるのは、鳥のさえずりと、木の葉のざわめき。
「わーい!外だー!兄ちゃん、これが外の匂いなんだね!」
シルが、歓声を上げて俺の周りを飛び回る。他の眷属たちも、初めて見る地上の光景に、静かな感動を浮かべていた。
俺は、大きく息を吸い込んだ。
五歳でこの大穴に足を踏み入れた少年は、今、六歳になった。そして、六人の最強の家族と、一人の生涯のパートナーを得た。この一年は、決して無駄ではなかった。
「さあ、帰ろう。みんなが待ってる、俺たちの家に」
俺がそう言うと、全員が力強く頷いた。
俺たちは、ダンジョンの入り口がある丘から、麓にあるはずの冒険者の街を目指して歩き始めた。
だが、歩き始めてすぐに、俺たちは異変に気づいた。
あれほど賑やかだった鳥の声が、いつの間にか完全に止んでいる。風が運んでくる匂いに、草木のものではない、何かが焼け焦げたような、鼻をつく異臭が混じり始めた。
「……殿」
イフリートが、険しい表情で前方を指さす。その先、木々の切れ間から、空へと立ち上る、細く、黒い煙が見えた。
嫌な予感が、心臓を鷲掴みにする。
俺たちは、無言で駆け出した。
そして、丘の最後の稜線を越えた俺たちが目にしたのは、地獄そのものだった。
そこにあるはずの、活気に満ちた冒険者の街は、跡形もなかった。
建物は全て焼け落ち、黒い炭と化した骸を空に晒している。石畳の道はめくれ上がり、広場の中央にあったはずの噴水は、無残に砕け散っていた。
全ての音が死に絶えた、灰色の廃墟。時折、まだ燻る建物の残骸から、パチリ、と小さな音が聞こえるだけだった。
「嘘よ……」
パティの唇から、か細い声が漏れた。
「ダンジョンの街が……こんな……。みんなどこへ……?」
彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちる。この街は、彼女にとっても思い出のある場所だったのだ。
俺は、燃え落ちた家々の残骸を、冷たい瞳で見つめていた。怒りではない。それを通り越した、絶対零度の感情が、俺の心を支配していた。
誰が。何のために。
その時だった。
『――兄者。前方より、複数の魔力反応。我らとは異質。敵意を確認』
ダークの声が、脳内に直接響く。
ほぼ同時に、周囲の瓦礫の陰から、十数人の人影が姿を現し、俺たちを包囲した。
彼らが着ていたのは、純白と銀で彩られた、美しい鎧。その胸には、太陽を模した紋章が刻まれている。それは、ただの兵士ではない。狂信的なまでに鍛え上げられた、聖騎士の集団だった。
「……魔族の生き残りか」
リーダーと思しき、顔に傷のある男が、俺たちを汚物でも見るかのような目で見下した。
「汚物は根絶やしにしたはずだが、ダンジョン鼠はしぶといことだ」
「……あなたたちが、この街を……!」
パティが、怒りに震える声で叫ぶ。
「なぜ、こんなことを!人間と魔族の間には、不可侵の条約があったはずですわ!」
その言葉に、騎士の男は、心底愉快そうに、喉を鳴らして笑った。
「条約?ああ、あの呪いが『完成』するまでの、ただの時間稼ぎか」
「呪いが……完成?」
「知らなかったのか、魔王の娘よ。貴様らを縛る弱体化の呪いは、数日前、ついに最終段階へと移行した。もはや貴様らは、我らの敵ではない。ただ狩られるだけの、不浄なる獣だ」
男は、その手に持つ銀の剣を、ゆっくりと俺たちに向けた。
「神の光の下、魔の血は、今日ここで途絶える!一人残らず、浄化してくれる!」
聖騎士たちが、一斉に剣を構える。その瞳には、憐憫も、情けもない。ただ、異物を排除するという、冷たい光だけが宿っていた。
絶望的な戦力差。絶対的な殺意。
だが、それは。
人間たちが、あまりにも長い間、忘れてしまっていた光景だった。
俺は、静かに、そして冷たく、一言だけ命じた。
「――イフリート」
その呼び声に応え、俺の隣に立つ紅蓮の眷属が、一歩前に出た。彼の全身から、周囲の瓦礫を溶かすほどの、凄まじい灼熱のオーラが立ち上る。その瞳は、もはや黄金色ではなく、世界の全てを焼き尽くさんとする、純粋な怒りの炎で赤く燃え上がっていた。
「……御意に」
聖騎士たちの自信に満ちた顔が、初めて、恐怖に引きつった。
絶望的な戦力差。だが、それは人間たちが期待していたものとは、全く逆の形で、そこに存在していた。
俺たちの、一方的な反撃が始まろうとしていた。




