第19話 最初の眷属と、不機嫌な姫君
俺が意識を取り戻した時、最初に感じたのは、右頬の鈍い痛みと、何か柔らかく、温かいものに触れている左手の感触だった。
ゆっくりと瞼を開くと、心配そうなディーネの美しい顔が、すぐ間近にあった。彼女は俺のベッドの横で、俺の手を握りしめたまま、うたた寝をしていたらしい。
そして、俺の左手があった場所──それは、彼女の豊満な胸の上だった。
「……っ!?」
俺は血の気が引くのを感じ、慌てて手を引こうとする。だが、その動きでディーネが目を覚ましてしまった。
「あ……ご主人様!お目覚めになられたのですね!よかった……」
彼女は、心底安堵したように、満面の笑みを浮かべた。その無邪気さが、俺の罪悪感をさらに抉る。
その時、部屋の隅の椅子から、氷のように冷たい声が飛んできた。
「…………起きたのね、ご主人様」
見ると、パティが腕を組み、絶対零度の視線でこちらを睨みつけていた。彼女が、あえて皮肉を込めて俺を「ご主人様」と呼んでいるのは明らかだった。
「パ、パティ!これは違うんだ、事故なんだ!」
「事故、ですって?眷属をいいことに、寝込みを襲うのが、あなたの言う事故ですの?」
「襲ってない!俺も今、起きたんだ!」
俺とパティの間に、険悪な火花が散る。その状況を全く理解していないディーネが、こてんと首を傾げた。
「パティ様?なぜ、ご主人様を睨んでいらっしゃるのですか?ご主人様は、私を生み出してくださった、唯一無二の創造主なのですよ?」
「……え?」
ディーネの言葉に、パティの動きが止まる。
俺は、今が好機と見て、必死に説明を始めた。『ハイリスククリエイト』という禁忌の魔法のこと。俺がなぜ、それを使わなければならなかったかという、孤独感からくる渇望のこと。そして、ディーネが、俺の血と魂から生まれた、正真正銘の眷属であること。
俺の話を、パティは黙って聞いていた。
全てを話し終えると、彼女は深いため息をついた。
「……つまり、あなたは、自分の命を賭けて、自分だけの『身内』が欲しかった、と。そういうことですのね?」
「……まあ、うん。そんな感じだ」
「……本当に、馬鹿な人」
パティはそう呟くと、立ち上がり、ディーネの前に立った。そして、彼女の黒髪にそっと触れた。
「あなたが、スタンの眷属……。そう。確かに、あなたからは、スタンと同じ匂いがするわ」
嫉妬や怒りの色は、既に彼女の瞳から消えていた。代わりに宿っていたのは、呆れと、そして、ほんの少しの同情にも似た、複雑な感情だった。
「……分かったわよ!信じてあげる!でも、私の前でイチャイチャしたら、二人まとめて氷漬けにするから、覚悟なさい!」
そう言ってぷいっと顔を背ける彼女の耳が、少しだけ赤く染まっているのを、俺は見逃さなかった。
こうして、俺のパーティーに、最初の眷属であるディーネが加わった。
俺たちは、ダンジョン攻略を再開する。隊列は、先頭に立つ俺、そのすぐ後ろにぴったりと付くディーネ、そして、少しだけ距離を置いてパティが続くという、奇妙な三角形になった。
そして、すぐに、新たな問題が浮上した。
「『ウォーターウィップ』!」
前方に現れた魔物の群れに対し、ディーネが優雅に指を振るう。すると、どこからともなく現れた水の鞭が、しなやかに宙を舞い、魔物たちを片っ端から引き裂いていく。その戦いぶりは、美しく、流麗で、そして、あまりにも強力だった。
「ディーネ、一体残してくれ!俺の経験値が!」
「いえ、スタン様に塵芥一匹触れさせるわけにはまいりません」
彼女は、俺を庇うように前に立ち、全ての敵を殲滅してしまう。過保護すぎる。これでは、俺の地道なステータス上げができない。
一方、パティもまた、むすっとした顔をしていた。
「……別に、私一人でも、あれくらいできますわ」
ディーネの圧倒的な戦闘能力に、対抗心を燃やしているらしい。彼女は、次の戦闘で、ディーネよりも先に敵を殲滅しようと、特大の炎魔法を放った。
「『フレアストーム』!」
灼熱の嵐が魔物を焼き尽くす。だが、その余波が俺に届く寸前、ディーネが瞬時に氷の壁を作り出し、俺を完璧にガードした。
「パティ様。スタン様を巻き込むような、大雑把な攻撃はおやめください」
「なんですって!?あなたこそ、スタンを甘やかしすぎですのよ!」
「スタン様をお守りするのが、私の唯一の使命ですので」
「むきーっ!」
女二人の間で、激しい火花が散る。俺は、その間で頭を抱えるしかなかった。パーティーは、戦力的には比較にならないほど強化されたが、精神的な疲労は三倍になった気がする。
そんな喧嘩ばかりの二人だったが、階層を重ねるうち、その戦い方は、恐ろしいほどの連携を見せ始めた。
パティの風魔法が敵を一つの場所に集め、そこにディーネの絶対零度の吹雪が叩き込まれる。パティの炎が敵の体勢を崩し、そこにディーネの水圧カッターが追撃を加える。そのコンビネーションは、もはや芸術の域に達していた。
ある中ボスの撃破後、俺たちは小休止を取っていた。
パティは、少し離れた場所で、まだ不機嫌そうに頬を膨らませている。
俺は、彼女の隣に座ると、そっと声をかけた。
「パティもすごかったな。さっきの炎の魔法、ディーネの氷と合わさって、威力が倍以上になってた」
俺が素直な感想を告げると、パティは驚いたように目を見開いた。
「……と、当然ですわ!私を誰だと思っているの!」
彼女はそう言って顔を背けたが、その口元が、わずかに綻んでいるのが見えた。
その様子を見ていたディーネが、静かに近づいてきた。
「はい。パティ様の援護、見事でした。スタン様をお守りする上で、これほど心強いことはありません」
ディーネからの、一切の私情を挟まない、純粋な戦力としての評価。それが、パティのプライドを心地よくくすぐったらしい。
「……ふん。あなたも、まあまあやりますわね」
二人の間に、ほんの少しだけ、仲間意識のようなものが芽生えた瞬間だった。
俺は、そんな二人を眺めながら、ポケットの中で、いつものように小さな土くれを創造し、そして破壊する。
ディーネ一人でも、これだけの力だ。
もし、全ての属性の眷属が揃ったなら……?
それは、俺が真に心を許せる、俺だけの、最強の「家族」になるのではないだろうか。
その甘美な考えが、俺の心に、新たな野望の種を蒔いた。
ダンジョンは、まだ深く、そして暗い。俺たちの旅は、まだ始まったばかりだ。




