第16話 絶対者の裁きと、水底からの声
俺たちは、哀れな追跡者たちの鎮魂歌を背に、階層の主が待つ溶岩ドームへと、静かに足を踏み入れた。
玉座に座すキングリザードマンは、先ほどの戦いで勝利したためか、傲慢なまでの威圧感を放っていた。俺たち二人の姿を認めると、まるで取るに足らない虫けらを見下すかのように、その喉をグルルと鳴らした。周囲に控えていた三体のリザードマンが、主の号令を待たずにじりじりと距離を詰めてくる。
「パティ、雑魚は任せる」
「ええ、承知していますわ。あなたこそ、油断なさらないで」
彼女の言葉は、もはや心配ではなく、信頼の色を帯びていた。
「グルオオオオオッ!」
キングリザードマンが、玉座から飛び降りると同時に雄叫びを上げた。その巨体が、地響きを立てながら俺に向かって突進してくる。振り上げられた巨大な戦斧には、灼熱の魔力が宿り、空間を歪ませていた。
それと同時に、パティが動いた。
「『アイシクルランス』!」
彼女の手から、絶対零度の氷でできた無数の槍が放たれ、側面から迫っていたリザードマンたちを寸分の狂いもなく貫く。悲鳴を上げる間もなく、彼らは氷の彫像と化し、その場に崩れ落ちた。
その一瞬の後、キングリザードマンの戦斧が、俺の頭上へと振り下ろされる。
俺は、それを避けるでもなく、ただ左手を、まるで差し出すかのように、ゆっくりと上げた。
ゴッ!という鈍い衝突音。
巨大な戦斧の刃が、五歳児の、あまりにも小さな手のひらに受け止められ、ピタリと静止した。
「……グ、ル?」
キングリザードマンの目が、信じられないものを見るかのように、カッと見開かれる。
俺は、何も言わずに、ただ手のひらに力を込めた。
ミシミシ、と金属の軋む音が響く。戦斧の刃に、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、そして――
パリン!
魔力を帯びた強固な戦斧が、ガラス細工のように粉々に砕け散った。
武器を失い、呆然とするキングリザードマンの、そのがら空きの胸に、俺は静かに右の拳を突き出した。それは、先ほどのデコピンよりもさらに力の抜けた、まるで触れるだけの、優しい一撃だった。
だが、その拳が触れた瞬間、リザードマンの巨体は内側から弾けるような衝撃を受け、その瞳から光が消えた。巨体はゆっくりと後方へ傾き、大きな音を立てて溶岩ドームの床に倒れ伏すと、やがて光の粒子となって消えていった。
『レベルが25に上昇しました』
新たな力が、体に満ちていく。
同時に、俺は自分のステータスに、いつの間にか新しいスキルが加わっていることに気づいていた。『MP自動回復』。恐らく、ミストフィールドを長時間維持していたおかげだろう。ならば、今度はHPを減らし続ければ、『HP自動回復』も覚えられるかもしれない。もちろん、Mに目覚めたわけではないが。
「……行きましょうか」
パティが、どこか夢見るような表情で呟いた。彼女は、もはや俺の力の行使に、驚きという感情すら抱かなくなっていた。
三十階層の安全地帯を、俺たちは休息も取らずに通り過ぎた。
三十一階層からは、ダンジョンの様相は再び一変した。灼熱の溶岩地帯は鳴りを潜め、代わりに、ひんやりとした湿気と、どこかから聞こえる水のせせらぎが俺たちを迎える。床一面には、くるぶしほどの深さの、水晶のように澄んだ水が流れていた。
「……今度は、水ですのね」
その美しい光景の中を、俺は黙々と歩き続けた。だが、そのポケットの中では、俺の指が絶え間なく動き続けていた。小さな土くれを『クリエイト』し、すぐに握り潰して消滅させる。MPが微かに消費され、即座に『MP自動回復』で補填される。地道で、果てしない、ステータスを1ずつ積み上げる作業。あの道化たちの死を、決して無駄にはしない。その決意が、俺を突き動かしていた。
三十五階層。広大な地底湖が広がる空間に出た、その時だった。
前方から、剣戟の音と、魔物の咆哮、そして、必死の叫び声が聞こえてきた。
「くそっ、囲まれた!」
「隊長、もうポーションが……!」
駆けつけると、そこでは四人組の冒険者パーティーが、タコの足を持つ巨大な水棲魔物の群れに囲まれ、まさに全滅しかけているところだった。
「そこの二人、すまないが助太刀を頼む!」
リーダーと思しき男が、俺たちに気づき、悲痛な声を上げた。
パティが、即座に動く。
「『テンペスト』!」
彼女が放った暴風が、魔物の群れの一角を吹き飛ばし、冒険者たちのための活路を切り開いた。
だが、魔物の数は多すぎる。
俺は、静かに右手を上げた。そして、このフロアを満たす「水」そのものに、意識を集中させた。
次の瞬間、冒険者たちを囲んでいた水が、まるで巨大な生き物のように隆起し、魔物たちを絡めとる水蛇と化した。
「なっ……!?」
「水が……!?」
冒険者たちが驚愕する中、俺はさらに魔力を込める。
「――凍れ」
その一言と共に、水蛇は一瞬にして絶対零度の氷塊へと姿を変え、捕らえていた魔物たちを、そのまま氷の彫像へと封じ込めてしまった。
戦いは、終わった。
生き残った四人の冒険者たちは、目の前の光景を信じられないといった様子で、ただ呆然と立ち尽くしていた。静寂に包まれた氷の戦場と、それをたった二人で作り出した、あまりにも幼い救世主たちを。
リーダーの男が、傷ついた体を引きずるようにして、俺たちの前に進み出た。
「……助かった。俺はソルニ。クラン『シャープナイト』のリーダーだ。君たちは……一体?」
その問いが、静まり返った地底湖に、重く響き渡った。




