第15話 火山地帯の死闘、そして道化の鎮魂歌
二十階層の宿屋で、俺はベッドから身を起こした。右頬に、まだ昨日のビンタの熱が微かに残っている気がする。隣のベッドでは、パティが既に身支度を終え、窓の外に広がる光ゴケの幻想的な景色を静かに眺めていた。
「……おはよう、スタン」
俺が起きたことに気づくと、彼女は振り返り、少し気まずそうに言った。
「昨日は……その、取り乱してしまって、ごめんなさい。スタンが悪いわけではないのに、何度も……」
「いいよ、別に。お互い様だろ」
俺がそう言って笑うと、彼女は少しだけ安堵したように息をついた。
「それより、今日から次のエリアだ。気を引き締めていこう」
「ええ。目標は三十階層の突破。一気に行くわよ」
朝食の席で、俺たちは新たな決意を固めた。
二十一階層へ続く階段を降りた瞬間、空気が一変した。
それまでの湿った冷気は完全に消え去り、代わりに、肌を焦がすような熱波が俺たちを襲う。壁や床は黒い火山岩で構成され、その亀裂の奥では、赤いマグマが不気味に脈打っていた。
「うっ……!熱いですわね……!」
パティが、額の汗を手の甲で拭う。空気は硫黄の匂いで満ち、呼吸をするだけで喉がひりついた。
「ちょっと待ってて」
俺は、水の魔力と風の魔力を練り合わせ、俺たち二人を中心に、半径数メートルの空間を覆う、冷たく湿った空気のドームを作り出した。
「『ミストフィールド』。これで少しは快適だろ」
「……本当に、あなたは何でもできるのね」
パティは、涼しい風に心地よさそうに目を細めながら、感心とも呆れともつかない声で呟いた。
灼熱地帯を進んでいると、前方に小さな火の玉がぽつんと浮いているのが見えた。
「火の玉小僧……子供の魔物ね。でも、油断しないで。こいつは囮よ」
パティの言う通り、この魔物は親が近くに隠れ、子供を囮にして獲物の実力を測るという、卑劣な習性を持つ。
親子で、なんて真似を。
俺は、岩陰に潜む親玉――火の玉親父の気配を感知すると、右手に水の魔力を集中させた。
「まとめて、頭を冷やしてやる」
俺が放ったのは、ただのウォーターボールではない。極限まで圧縮され、内部で激しく渦を巻く、蒼い水の球体だった。それは火の玉小僧を飲み込み、さらにその背後の岩陰に直撃すると、爆発的に解放された。
ゴオオオオッ!
一瞬にして、灼熱の洞窟を凄まじい量の水蒸気が満たす。熱せられた水が沸騰する耳障りな音と共に、二つの魔物は断末魔を上げる間もなく消滅していった。
その後も、俺たちは炎を纏うトカゲや、マグマの中を泳ぐサラマンダーといった魔物を退け、ついに二十九階層の最奥、エリアボスの部屋の前にたどり着いた。
扉は黒曜石で作られており、不気味な熱を放っている。
「行くわよ」
「ああ」
扉を開けると、そこは広大な溶岩ドームだった。中央には黒い岩でできた玉座があり、そこに、体長3メートルはあろうかという、屈強なリザードマンの王が鎮座していた。その手には、禍々しいオーラを放つ巨大な戦斧が握られている。
「キングリザードマン……!厄介な相手ね!」
俺とパティが構えた、その時だった。
「待てぇい!!」
背後から、場違いなほど威勢のいい声が響いた。振り返ると、そこにいたのは、ボロボロの姿の『クレイジー・レジェンズ』だった。
「そこのボスは、俺たち『クレイジー・レジェンズ』がいただく!お前らはそこで見てな!」
リーダーのトカタケが、息も絶え絶えに叫ぶ。彼らは、俺たちとの実力差を痛感し、このボスを倒すことで一発逆転の栄誉を掴もうと、必死でここまで追いかけてきたのだ。その瞳には、虚勢だけでなく、悲壮なまでの覚悟が浮かんでいた。
パティは「またあなたたちですの……」と迷惑そうな顔をしたが、俺は静かに言った。
「……わかった。先に、どうぞ」
「スタン!?」
「いいんだ。彼らの覚悟を、無駄にしたくない」
俺たちは部屋の入り口まで下がり、戦いの行く末を見守った。
四人は、雄叫びを上げてキングリザードマンに突撃する。それは、彼らなりに連携の取れた、必死の猛攻だった。だが、絶対的な実力差は、如何ともし難い。
リザードマンが戦斧を薙ぎ払う。それだけで、二人の男が紙切れのように吹き飛ばされ、光の粒子となって消えた。
「うおおおおおっ!」
残った二人も、果敢に攻め立てる。だが、その剣は王の硬い鱗に弾かれ、拳は致命傷を与えるに至らない。
リーダーのトカタケが、最後の力を振り絞って突撃する。その無謀な一撃は、リザードマンの戦斧の柄に軽くいなされ、がら空きになった胴体に、巨大な爪が深々と突き刺さった。
「が……はっ……」
トカタケは、信じられないといった顔で自分の胸を見下ろし、そして、ゆっくりと崩れ落ちた。彼の体もまた、淡い光となって、ダンジョンの空気に溶けていく。
後に残ったのは、勝利の雄叫びを上げるリザードマンと、絶対的な静寂だけだった。
「……馬鹿な人たち」
パティが、静かに呟いた。その声に、いつものような棘はなかった。
俺は、彼らが消えた場所を、ただじっと見つめていた。
死んじゃだめだ。
彼らは道化だったかもしれない。だが、それでも、己の伝説を信じて、最後まで戦い抜いた冒険者だった。
絶対に、死なない。
俺は、愛する家族の顔を思い浮かべた。あの日常を、二度と失うわけにはいかない。そのためには、運命や偶然に左右されない、絶対的な力が必要だ。
俺は、隣に立つパティに向き直った。その瞳には、今までにない、冷たく、硬質な光が宿っていた。
「パティ。行こう」
「ええ」
「――俺たちの戦いだ」
俺たちは、哀れな追跡者たちの鎮魂歌を背に、階層の主が待つ溶岩ドームへと、静かに足を踏み入れた。




