025. ククク……! フハハっ! ハァーッハッハッハァ!!
◇ ◇ ◇
――片道三時間の長い道のりを、その女は一言も発さずにいた。ボロの外套を纏い、顔を隠すように深くフードを被ったその姿に、御者は訝しみながらも詮索しようとはしなかった。乗り込む瞬間に見えた女の顔が、今にも誰かを殺してしまいそうなほどに、思い詰めたものだったからだ。御者が生唾を呑む音は、車輪と蹄の響きに紛れて消えた。
早々に走り去ろうとする馬車には目もくれず、女は雑踏の中へと紛れ込んだ。王都とは比べものにならないほどに寂れたこの町では、通りを行き交う人々は皆、顔を伏せて足早に過ぎていく。誰も、女に視線を向けようとはしなかった。
人目を避けるように逃げ込んだ路地で、女は古びた雑貨屋の戸を叩く。硬く乾いたその響きは、すぐに静寂へと吸い込まれた。ドアに掛けられた『定休日』の札が、カランと音を立てる。
「尾行されてないだろうな?」
雑貨屋の店主とは思えぬほどに筋肉質な青年が、ぶっきらぼうに問う。女は一瞥もくれず、店の奥へと向かった。フードを取り、軽く頭を振ると、青く長い髪が左右に揺れた。
階段を上った先の、小さな屋根裏部屋。中央には簡素な椅子とテーブルが。その上には、小さな菱形の石が無造作に置かれていた。
女は腰を下ろし、石を手に取る。
懐から取り出した懐中時計の長針が、真上を指すと同時に、女は石に魔力を流し込んだ。
「……聞こえるか?」
吐き捨てるように、彼女は言った。
『――ははっ。相変わらず、時間ピッタリですね』
手の中の石がかすかに震え、そこから、含み笑いの混じった男の声が流れ出した。
『仕事熱心なのは良いことです。では早速、報告してもらいましょうか』
「……その前に、声を聞かせろ……!」
『おっと、そうでしたね……』
報告のたび、幾度となく繰り返されるそのやり取りに、彼女は苛立ちを隠せずにいた。
『――お姉ちゃん……?』
「っ……! チャーム……!」
か細い子供の声が、石から流れ出す。胸が締め付けられるような思いを抱えたまま、それを押し殺し、彼女は『弟』の名を呼ぶ。
「大丈夫か……? なにか、ひどいことはされてないか……?」
『うん、大丈夫だよ……! ちゃんと毎日ご飯ももらってるし、寝るところだって……』
「そ、そうか……それなら、いいんだ……」
それが真実である保証など、どこにもない。それをわかっていながらも彼女は、弟の言葉に縋るしかなかった。
『あっ、そうだ……! あのね、今日やっと、全部の本を読み終わったんだよ……!』
「本当か……? すごいじゃないか……! あんなに、たくさんあったのに……」
脳裏によぎったのは、凍える指で必死にページを捲り続けた、地獄のような日々。勝手に息が上がっていくのを、どうにかこらえようと彼女は歯を食いしばる。
『お姉ちゃん……大丈夫……? 無理してない……?』
「あ、あぁ……大丈夫、少し疲れてるだけだ……」
守るべき対象に気を遣わせてしまった。その負い目が彼女の心をさらに深く沈め、そして、最後の一線を越える覚悟を決めさせた。
「……チャーム、もう少しだけ……待っていてくれるか……?」
そう呟いた彼女の瞳は、もはや何も映してはいなかった。
『――ふむ、その口ぶり……何か、有益な情報を手に入れたと見えますね』
そんな些細な変化を、男は聞き逃さなかった。
『では、聞かせてもらいましょうか。「アミュレット」、あなたの、六年間の潜入の成果を』
どこか楽しげに、男は言った、
「……アリア王女のスキルは、『無限の魔力』だ」
一転、部屋が静寂に包まれる。
『それは……確かな情報なんでしょうね?』
「ああ。本人から聞き出したものだ」
『そうですか……』
そしてまた、沈黙が場を満たした。
『ククク……! フハハっ! ハァーッハッハッハァ!!』
突如、男の高らかな笑い声が、石から放たれる。
『だからこれほどまでに、厳重に秘匿していたと!! 謎が解けましたよォ!!』
声は上ずり、興奮が滲む。
『無限の魔力!! そんなことがもしあり得るのなら!! それは全てを焼き尽くす魔導兵器にも、尽きることのない動力源にもなり得る代物!! 上手く使えば王国だけでなく、世界を手にすることすら可能!! なんとしても、欲しいィ!!』
石から放たれた男の叫びが、小さな部屋に響いた。
『それにしても! これが巡り合わせというやつですか! まったく、悩ましい! 力でねじ伏せる算段が整ったかと思えば、搦手まで転がり込んでくるとは!!』
歓喜を叫ぶ男の声に、女は顔を歪ませていた。
『いずれにせよ、駒は手元に集めておかなければ! アミュレット! すぐにでも王女を攫ってくるのです!』
「っ……! そ、それは……!」
『なんです!? 今更怖気付いたとでも言うのですか!?』
反応が気に入らなかったのか、男は怒号を浴びせかけた。
『構いませんよ!? できなければあなたの弟を、両親と同じようにオークの餌にしてしまうだけなのですから!!』
「はっ、あっ……!? そ、それだけは……!! たのむ、やめてくれ……!!」
瞬間、凄惨な光景が脳裏をよぎる。脂汗を滲ませながら、女は必死に懇願した。
『わかれば良いのです!! それに、これが終わればあなたたち兄弟に、もう用はありませんからね! 従順であり続ける覚悟さえあるのなら、約束どおり解放してやっても良いのですよ!』
「そっ、それは、本当か……!」
ようやく見えた光明に、女は飛びつくように声を上げた。
『ええ、本当ですとも! 王女を攫って、私の前に差し出す! それだけであなたたちは、十年ぶりに自由を手にできるのです!!』
そして、男は軽く咳払いをした。
『ではこれを、私からの最後の指令としましょう。アリア王女を……念のため、騒ぎにならないよう秘密裏に攫ってきてください。メイド長にまで上り詰めたあなたなら、簡単でしょう? もちろん、あなたの力で「無力化」しておくことも忘れずに……。期限は……そうですね、明日の朝まで、としましょうか』
「明日……!? な、なぜそんな、急に……!」
『「力でねじ伏せる算段が整った」と、言ったはずです。つまり、もし王女の身柄を確保できなかったとしても、王国を落とすことは可能だということ……。それほどの駒を、先日ようやく手に入れることができたのですよ』
男がひとつ、息をつく。
『では頼みましたよ、アミュレット。私は、あなたなら必ずやり遂げてくれると、信じていますからね……』
その言葉を最後に、石は振動を止め、部屋は再び静寂に包まれた。
落ちた石がカランと音を立てる。女の手のひらには、くっきりと跡が残されていた。
路地の奥、よろめく体を支えようと、女は塀に手を付いた。そしてそのまま、こらえきれずに嘔吐した。
――こうなることは、十分予測できていた。だからこそ、情を持ち過ぎないよう気を付けていたはずだった。なのにいつの間にか、絆されてしまっていた。簡単に差し出してしまえないほどに、その存在が大きくなってしまっていた――。
「おじょうさま……! もうしわけっ、ございません……!! わたくしは……! わたくしはっ……!!」
唯一の家族を、自由を取り戻すため、『最愛の存在』を売る。その選択の歪さに、彼女は人格が揺らぐほど、心をかき乱されていた。吐き出したものが、濁った水音を立てる。
「……それでも、もう……! わたしは……!! わたしはっ、こうするしか……!!」
諦めにも似た、縋りつくような覚悟。抱えていた愛情は、嗚咽とともに頬を伝い落ちていった。
◇ ◇ ◇
読んでいただきありがとうございます!
少しでも「おもしろい」と思っていただけたなら幸いです……。
応援、リアクション、感想、ブックマーク、なんでもお待ちしております!
投稿報告用のTwitterアカウントもございますので、すぐに読みたい方はフォローのほうお願いします!
よければリツイートのほうも、よろしくお願いいたします……!
(アカウントリンク:https://x.com/taMaGo_likelike)
今後とも、よろしくお願い申し上げます。




