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藤 忠勝 2

 夏也の様子がやっぱり気になる。放課後、佐伯先生が待つ学園の温室に向かいながら、俺はずっと思考を巡らせていた。夏也が漂わせていたオーラ、態度、言葉の端々、どこかなにか引っかかる。普通と言うには過ぎた要素が、確実に紛れ込んでいた。その正体がなんだったのか、問題はそこだ。大切に育てていたコケダマを壊されてショックだった、と推測するのは簡単だが、それだけとは思えなかった。

 佐伯先生との待ち合わせは温室だが、文字通りのビニールハウスでコケダマ作りをするわけではない。温室が傍にあるだけで、椅子も机も黒板もあるし、屋根もある。理科系統の屋外授業でよく使う場所だ。佐伯先生は、生徒指導室か職員室にいなければ、だいたいそこにいる。今日の昼休み、俺が夏也のコケダマの相談を持ちかけたときも、佐伯先生は温室で花の水やりをしていた。予告のない話だったが、佐伯先生は、準備をして待っているから放課後に、と快く了承してくれた。先生は、ひとりでも多くの生徒が植物に触れることは自分の理想であり、まして俺のような、見るからに土を触るタイプではない人が興味を持ってくれると本当に嬉しいのだと言う。ちょっと表現を誇張しているような気はするが、佐伯先生からすれば、紛れもない本心なのだろう。自然を愛する佐伯先生だからこそ持ち得る、クリアな心なのかもしれない。

 つまり、そのクリアな佐伯先生にもらったコケダマを大切に育てていた夏也の心も、やはりクリアであるということか。残念だが、クリアではない俺が作るコケダマは、当然クリアであるはずがない。夏也の純真な心が、俺の手によって命を吹き込まれたコケダマで汚れてしまわないか少しだけ心配になった。

 肩の鞄を提げ直し、温室に辿り着いた俺の目に飛び入ったのは、派手がましい金色の髪の毛だった。痛烈な疑問を覚えた。どうして七瀬がここにいて、佐伯先生と仲良さげに談笑しているのか、その流れが俺にはまったく理解できなかった。

「いらっしゃい、藤君」

 俺に気付いた佐伯先生は、笑顔で手招きしてくれる。大人の掌サイズはあろうかというサイズのマスコット、それがふたつほどぶら下がった七瀬の鞄の横に、俺は自分の鞄を下ろした。適当に七瀬の隣の椅子を引き、無言で腰を落ち着かせる。俺の眼前には、青々としたコケが敷き詰められた、六十センチ四方ほどのトレイが置かれていた。夏也の家で見たコケダマの苔と同じ種類のものに見えた。

「苔って一口に言ってもね、いろいろあるの。それはハイゴケって言って、わたしが一番よく使う種類」

「見ろよ、藤。俺が作ったコケダマ。可愛いだろ」

 七瀬が指し示したそれは、本人はまるで気にしたふうもないが、不器用な七瀬の手際を瞬時に想像できる仕上がりだった。却って手作りの雰囲気があって親しみやすいと言えば華があるが、佐伯先生が仕立てたと思われるそれと比べると、どうにも不憫に見えてきてしまう。そこが味なような気がすることも、まあ、確かな話であることに間違いはなかった。

 七瀬の不揃いなコケダマを話題に、ふたりの会話は弾んでいた。七瀬が今ここにいる経緯は、コケダマ制作の準備のために動き回る佐伯先生を偶然目撃し、手伝ったついでにひとつチャレンジ、と言った具合だろうか。俺にとってはどうでもいい事柄だった。ただ、放課後、普段は早く帰ってしまう七瀬が学校に残っていることがはとても珍しく思えた。そういう日もあるだろうと、さして気にはならなかった。

「三橋はいないのか」

「行くところがあるとか言って、即行で帰った。取り残された俺は、暇を持て余してコケダマ作りってわけだな。結構面白いよ」

 ふうん、と俺が相槌を打つと同時に、佐伯先生が俺の隣にやってきた。コケダマ作りの手順は相当簡単らしく、俺が一から作業の説明をしてもらっている横で、七瀬がどんどん勝手にハイゴケをかき回している。そうこうしているうちに、七瀬の目の前に、荒削りに完成したコケダマがふたつ並んだ。七瀬は、既に合計三個作ったことになる。そんなにいっぱい作ってどうするんだ、お前。

「藤君は、壱井君と仲良しなのよね」

 普段の国語の授業がどうだの、あの校舎の音楽室の戸が壊れているだの、佐伯先生は、それなりに盛り上がっていたそんな話題を突然取り下げた。前触れのない振りに、俺は少し狼狽した。佐伯先生に夏也のコケダマの相談はしたが、夏也と自分が幼馴染であるとは一言も言っていなかった。何故それを知っているのかと言わんばかりに、俺は佐伯先生に視線を当てる。佐伯先生は困ったように笑ってみせただけだった。

「家に入れてもらって、そこで壱井君のコケダマが壊れちゃったんでしょ。家に入れてくれるくらいなんだから、全然仲良しじゃないただのクラスメート、ってわけじゃないことは明白だわ」

 言われてみればそれもそうだ。そっか、とだけ言って自分の作業に戻ろうとした俺を、佐伯先生は、引き止めるふうでもなくナチュラルに言い放つ。

「壱井君から聞いてるわよ。藤と俺は親友で、七瀬は友達なんだって」

「佐伯先生、夏也の家に何回行ったんですか」

 佐伯先生からしてみれば、唐突な問いのはずだった。今ここに七瀬がいることは予想外だったが、コケダマ作りを口実に、佐伯先生と話をしてみようと考えていたことに影響はない。ほかの教師は拒むのに、佐伯先生だけは許容する夏也の心情を、少しだけ覗いてみたい。それに、俺や七瀬が持つ友達という意味合いではなく、夏也自身が近づくことを許している佐伯先生なら、夏也に絡む妙な空気の源がわかるかもしれない。あまり詮索するのはよくないが、先日、俺の目に映った夏也はあまりにも不自然だった。

 佐伯先生は夏也の家知ってるの、と七瀬が間抜けに言った。この口ぶりから察すると、七瀬は、生徒課の教師に家庭訪問されたことはないようだ。七瀬もことあるごとに生徒課に呼び出されているのに、少し意外だった。が、今はどうでもよかった。七瀬を放置し、俺は佐伯先生に意識を戻す。

「ほかの先生には、四組の壱井君は昔から不登校だし、ほとんど話にならないから関わらないほうがいいって言われて。でもそれって、ほかの生徒と差をつけてるし、教師として変な話よね。電話しても繋がらないし、図々しいのを承知で家に行ってみたわ」

「一回目は生徒課の教師として、不登校の生徒の家を訪問してみた、と」

「わたし、壱井君の家を何回訪ねた、なんて言ってないでしょ。壱井君の言った通り、藤君は察するのが得意なのね。モテるタイプだわ」

「藤がモテなきゃ、モテる男なんて芸能人以外にいないと思うよ」

 他意なく話に茶々を入れてくる七瀬をシカトして、俺は先生の言葉を噛み砕く。単純に友達がいるという話をするたけでなく、その友達がどういった人間なのかまでを話題にしているんだから、佐伯先生のポジションは、夏也の中では既に相当の地位にランクアップされているということだ。先刻先生が言った通り、夏也は、自分が話してもいいと思った人間でなければ曖昧な返事しかしない。要するに会話が成立しない。相対者が夏也から情報を引き出せば引き出すほど、それがそのまま夏也の設定した信頼値と認識できる。その論法でいくと、佐伯先生は相当のものだった。

「わたしが壱井君の家に行ったのはニ回。ニ回目も生徒課としてだけど、アイビーのコケダマを持って行ったの。壱井君の家、緑がひとつもなくて閑散としてたし。コケダマくらいなら世話も簡単だし、と思って」

「夏也、喜んでくれたんですか」

「こっちが照れるくらいに喜んでくれたわ。あの子、見た目はちょっと派手だけど、きっと本当は素直でいい子なのよね」

「まあ見た目だけでいうなら、こいつのほうが派手ですからね。夏也は茶髪だけど、こいつは金髪」

 俺は七瀬を顎でしゃくり、そして七瀬の反応を窺う。七瀬はなんだかんだと開き直ったようなことを言いながら、自分の作業を進めていた。ていうかこいつ、どうして先生相手にタメ口なんだ。

「で、そのコケダマを俺が壊しました」

「壱井君はいつから不登校状態なの?」

「中学生になった頃には、もう来てなかったと思います。詳しいことは俺にもわかりません。俺を親友なんて呼んでくれる割には、なんにも話してくれませんから」

 事実だった。夏也が学校に来なくなったのは、中学生になってからだった。その理由を聞いても教えてくれなかった。ひとつだけ、不登校になった夏也が、不登校ではなかったときと比べて変わった点があるとすれば――「死に向かって生きている」、その感性だ。夏也は過去、そんなことは一度として俺の前で言ったことがなかった。無論、単に前面に押し出しただけで、昔からその感性自体は持ち合わせていた可能性もある。俺を夏也の親友と呼ぶには、些か知らない点が多すぎる。これで夏也が人に心を開いているというのなら、それは大変に厄介だ。

 佐伯先生は、夏也の感性に触れたのだろうか。「死に向かって生きている」。少し悩ましげに睫毛を伏せながらも、笑顔で丁寧にコケダマ作りの指導をしてくれる佐伯先生を横目に、俺は思った。

 そうこうしているうちに、コケダマがひとつ出来上がった。初めて作ったが、我ながらなかなかの出来栄えだった。七瀬の不恰好すぎるコケダマと並べてみれば、自分でいうのもなんだが、俺の器用さがよくわかる。いや、七瀬が不器用すぎるだけか。

「できたね、コケダマ」

「はい」

「じゃ、袋に入れてあげる。壱井君のとこに持ってくんでしょ。ちょっと待ってて」

 言い残し、佐伯先生は教材室の奥へと消える。壁の時計を確認してみた。ここに来て、まだ十五分ほどしか経過していなかった。使った道具の片付けをしても、帰りに夏也の家に寄る分に支障はなさそうだった。今日の計画はばっちりだ。よし、と俺は小声で微かに自分を喚起した。

「佐伯先生、随分夏也のこと気にしてんな」

 なんの気もなさそうに、七瀬はぼやいた。俺は、ああ、とだけ答える。

「夏也を学校に来させるつもりかな」

「来させるかどうかは別として、来るようになって欲しいっていう願いはあるだろうな。少なくとも、夏也は遊び呆けて学校に来ない問題児とは違うんだし」

「藤、本当になにも事情知らないわけ? 親友なんだろ」

「事情を知ってたら、あいつはたぶんコケダマを壊さなかったし、俺も壊れるようなシチュエーションにしなかったはずだ」

 七瀬は無反応だった。七瀬は、夏也がコケダマを床に落とした経緯を知らないはずだ。意味深に黙り込むので俺は思わず構えたが、七瀬は、単に話を聞き流しているだけだった。人指し指で、こともなげに自作のコケダマを突いている七瀬の動作は派手な金髪に似合わず無邪気なオーラを醸している。

 ふう、と七瀬が息をついた。七瀬はそのまま頬杖をつき、俺は黙って佐伯先生が戻ってくるのを待っていた。七瀬は前触れなく口火を切った。

「死に向かってるっていう、夏也の言葉なんだけどさ。俺、ひとつ思いついたことがあるんだ」

 七瀬の右肩を、薄い膜のような、半透明の球体が掠めた。どこからどんなふうに発祥したのかは不明だが、霊の類だ。相手をするのもだるいので、俺は球体を無視して七瀬の声に意識を向けた。七瀬は含みなく軽く言った。

「藤にお化けが見えてるみたいに、夏也には生命が終わる瞬間が見えてるんじゃないかな」

「え」

「死に関するなにかの出来事に直面しないと、そんなこと言うようにはならないと思う。それに、だとしたら、ほとんど家に篭ってるのも想像できる。ありとあらゆる命の終焉を知っちゃうから、怖くてまともに外出できないんだよ」

 とは言っても、夏也が学校休みがちだったのは、ずっと前からなんだよな。自分で自分の考えを否定するように、七瀬は「お手上げだ」とアクションを取って笑みを転がす。

 先日、夏也の家を訪ねたときのことだ。俺の霊感の話になって、そういえば夏也は、自分にもその第六感があるのだと仄めかしていた。飽くまでそういう雰囲気だっただけで、それに準ずる夏也の発言はひとつもない。確証はない。でも、もし、今しがた七瀬が発した言葉が現実だったとしたら。俺の頭の奥で、細い針を微かに揺らしているような刺激が小さく弾けた。「いずれ生きなくなることはわかっていた」「できるだけ遅く死んで欲しかった」、そんな通常はしないような言い回しを敢えて選択した夏也の心内は、もしかしたら、突如自分に現われた第六感を、俺に示唆していたのではないか。瞬時にそこまで思考が至る。俺の横では、七瀬が平和に鼻歌など歌っている。今、世間では大人気のあのV系バンドの曲だ。

「七瀬」

「なんだよ」

 歌唱の邪魔をされても、七瀬は動じず穏やかだ。

 第六感、イコールほかの人間が認識できない霊の存在を知覚できることだと今まで思ってきたが、それはあまりに狭すぎる視野だったのかもしれない。可能性は十分にある。俺は納得して頷いた。

「お前が言ったこと、本当かも」



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