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藤 忠勝

 久々に家を訪ねた俺を、夏也は気前よく招き入れてくれた。特になんの連絡も入れていなかったのだが、それでも夏也は嬉しそうな顔をする。俺をリビングに通した後、丁寧なことに、ジュースと饅頭を出してくれた。なんだか不思議な組み合わせだが、夏也の和菓子好きは既に熟知している。気にはならなかった。

「どうしたんだよ、急に」

 夏也は、自分の分の饅頭を頬張った。派手な茶髪に右手に通したふたつの指輪、左手の指にもある指輪と腕輪。顔は年相応にあどけなく、言動もそれなり。騒々しい外見の少年が、美味しそうにこし餡たっぷりの饅頭を食べている。なんだかシュールな構図だった。

 俺も出された饅頭に手を伸ばした。実は俺も、洋菓子より和菓子派だ。「忠勝」という名前が名前なだけに、あまり表に曝したくない好みだった。

「七瀬が心配してたぞ。死に向かってるっていうお前の感性、真に受けてたみたいだ」

「まあ、詩仁は俺の友達だから」

 一瞬にも満たない少しの間、俺は手を止めた。すぐに、二口目の饅頭を口に入れた。夏也がクラスメートの下の名前で呼んだ。常に人と一定の距離を保つ夏也を思えば、それは珍しいことだ。七瀬は、夏也が定めた一線を超えることを許された。簡単な仕組みだ。

口の中の饅頭を飲み込み、俺は言う。

「それなら、俺はお前の親友だな」

「かもな。付き合い長いし」

 意外なほど容易く、夏也は俺を親友と認めてしまった。正直言うと驚いたが、悪い気はしなかった。俺も七瀬と同じで、夏也に踏み込める存在らしい。嫌いな名前だから「忠勝」とは絶対に呼ばせないが。

 夏也の周囲に、猫や犬、小さな鳥の霊が複数見える。動物霊は往生際の悪い奴が多いが、夏也を取り巻く霊たちに害意はなさそうだった。そう言えば、夏也は小さい頃から小動物によく懐かれていた。既に生きていない動物にも、心根の優しい夏也の本質が伝わるのだろう。夏也の足にすり寄る子猫の姿に、俺はほんの少し和んだ。

「なんだよ、そんなに凝視しちゃって」

 夏也は楽しげに俺に問いかけた。 愛くるしい子猫の霊から視線をはずし、俺はジュースが注がれたコップを手に取る。

「別に、なんでも」

「なんか見えてるんだろ」

「なんでもない」

「藤はいつから霊が見えるようになったんだ? 小さい頃は、そんなことなかったよな」

 それを知っているのは夏也だけだ。俺は、そうだな、と言葉を返した。小さい頃、初等部に上がる前後くらいだ。俺が信頼できた友達と言ったら、夏也だけだった。ほかの子どもとなんの確執があったわけでもないが、野良猫に懐かれる夏也を、俺は直感で信用していた。夏也はひとりでいることが多かったが、俺に心を開いてくれた。その当時、俺に霊感はなかった。霊なんて見たことがなかった。

「初等部ニ年のときだな。いきなり見えるようになった」

「びっくりしただろ」

「まあな。しばらくは、外に出て霊を見るのが怖くて不登校だったし」

「それが今は霊を見つけると力業で排除する」

「慣れ、だな。ちょっかい出してくる奴は消しとかないと、余計なのまで寄ってくる」

 周りは俺が霊を撃退するのを面白がっている。リアクションにいちいちなにを思うこともないが、せめて、俺が霊に無差別な攻撃をしているわけではないことはわかって欲しい。主張はしない、願望だけだ。他クラス、他学年からギャラリーが集まり、霊感ショーなどと名付けられている始末では、自分の願望を叶えるために尽力するのはバカらしくて仕方がない。俺は無駄な努力はしない、なんて気障なことは言わないが、要は場合によりけりだ。

 「そっか」。そっけない返事をした後、夏也は不意に黙り込んだ。ひとりで喋り倒すタイプでもない俺もまた、黙って饅頭を頬張り、ジュースを飲んでいた。夏也との合間に漂う沈黙は気まずいわけでもなく、俺には心地よかった。幼稚園児の頃から付き合っている、そんな慣れた空気は無条件な安堵を俺にもたらしている。

 夏也は、なにか考えていた。視線を沈めた双眸は、心なしかどことなく憔悴しているようにすら思える。日常とは少しずれている、妙な違和感を感じ取った俺は問い質そうと口を開いた。ちょうどそのタイミングで、夏也は言った。

「霊感って、要するに第六感だろ」

 予兆のなかった台詞に戸惑った。一応肯定の意思を伝えると、夏也は、疲れたような諦めたような、判断しがたいなんとも言えない雰囲気で笑った。小さなその笑みから、俺は更なる引っ掛かりを覚えた。

 霊感は確かに第六感だ。そうとしか説明できない。それはそうだが、夏也の質問の意図を掴めない。夏也は、明らかになにか言おうとしている。言おうとしているだけで、口にする踏ん切りはつけられていない。それだけは伝わってきた。

 俺の霊感はかなり中途半端だ。力をセーブして普段は霊を見ないようにする、などという芸当は不可能だった。だから辺りにたくさんいる霊をたくさん見てしまうわけで、そいつらのタチが悪ければ、なにかと俺の行く手を阻む。邪魔をする。縋ってくる。助けを求めている霊を追い払うのはさすがに可哀想だが、それを表に出してしまうと終わりだ。そう括るしかないほどに、世の中は彷徨う霊だらけ、というのが現状だった。俺が日常を過ごすには、手当たり次第に瞳に映る霊で、明らかに悪意を持って近付いてくる奴は排除するしかなかった。俺が霊感少年として学園で有名になっている裏で、そういう事実がある。だいたい俺は単に霊が見えるだけであって、霊媒師ではないわけだから、霊をかき消すのではなく成仏させろというほうが無理だった。俺は普通の中学生だ。そこを忘れてはならない。

 夏也の口ぶりからして、さも自分にも第六感がある、と言いたげなのはわかる。夏也も俺と同じで突然才能が開花したのだろうか。そうだとしたら、本当に迷惑な才能だよな、と互いに笑い飛ばしてやりたいところだ。でも、それならどうして俺に告げることを躊躇うのだろう。なんの脈絡もなく人の考えが頭に入ってくることは間々あることだが、それだって俺はコントロールできない。夏也がなにを考えているのか、俺にはまったくわからなかった。

 なんとなく部屋を見渡した。子猫や鳥以外に、霊はいなかった。霊もいなければ、家族も帰っていないようだ。家族。よくある二文字が、頭上に圧し掛かった。カウンタータイプのキッチン、その向こうの洗い場に、カップ麺の空容器が大量に積まれていた。夏也の家族はどうなっているんだっけ。脳の奥を疑問が駆け抜けた。

「俺さ、藤に見せたいものがあるんだよね」

 唐突に、夏也はそんなことを言い出した。なにか言わんとしていたさっきとはまるで違う。心弾んだ、といった具合だ。出し抜けな展開に驚いている俺は、曖昧な反応しかできなかった。それでも夏也は嬉しそうで、ちょっと待ってて、と言って腰を浮かせた。半分透けた子猫の霊が、夏也の足について移動した。憎いくらいに夏也が好きなようだ。揃って俺には見向きもしないくせに。

 数分後、リビングに戻って来た夏也の手には、なにやら怪しい緑色の球体が載った小皿がある。よく見ると、怪しい緑はコケのようだった。そんなものを間近で見る機会のない俺は、ついついそれに見入ってしまう。コケの球体からは、小さな葉っぱが何枚かついた細い茎が突き出ていた。

「コケダマっていうんだ」

「コケダマ?」

「うん」

 そのままだ。思わず突っ込みたくなった俺を他所に、夏也は頷いた。

「最初は葉っぱ一枚しかなかったんだ。毎日水をあげて育ててたら、成長して葉っぱが増えた」

「お前、園芸趣味なんてあったのか。知らなかった」

「最近ちょっとだけ。この葉っぱはアイビーって言って、雑草の一種なんだって。可愛いだろ」

「買ったのか?」

「ううん、もらった。佐伯先生に」

 佐伯先生。佐伯佳乃。辻ノ瀬学園中等部の国語科教師、兼生徒指導課副担当教師。今年教師になったばかりなのに生徒課とは、と驚いたことは、まだ記憶に新しい。人事課曰く、生徒の特別指導に経験はもちろん大事だが、慣れた偏見を持つ人間ばかりではなく、若く柔軟な発想ができる人間も必要、とのことだ。道理は納得できるが、それにしても二十二歳の新任教師を生徒課に配属するのもどうかと思うが――まあ、辻ノ瀬学園の生徒指導は副担当がふたりだから、特に問題点はないのかもしれない。とは言え、辻ノ瀬学園は内も外も課題だらけだ。名門辻ノ瀬などと外部の人間は羨むものの、実際には教師が束になっても解決できない生徒問題がたくさんある。ありがちと言えばありがちだが、荒れた夏也はそのひとつだ。夏也は確かに昔から髪は赤かった。でも、ここまで目に見えて荒んではいなかった。夏也に一体なにがあったのか。俺の疑問は、シンプルにその一点だった。

「知ってるか、藤。佐伯先生、ときどき高校の園芸部に講師として呼ばれるんだってさ。おとなしめの女の子が多いけど、男の子も中にはいるんだって。一緒に花植えたり、コケダマ作ったりするんだってさ。みんないい子だって言ってた」

「そのうちのひとつを、お前がもらったってわけか」

「作ってみようかって言われたけど、俺は不器用だし、上手にできない。でも、水をやるくらいならできるから」

 気のない返事を返しつつ、俺は思考を進める。今の夏也はまったく学校に来ないが、中学校での学習は義務教育だ。生徒指導に当たる生徒課の教師が、不登校の問題児を放ってはおくのは確かにおかしい。いや、若い佐伯先生だからこそ、だろうか。とにかく佐伯先生は、警戒心の強い夏也に、多少気心を許されているようだった。例のコケダマも、佐伯先生が夏也の家に持ってきたらしい。夏也は基本的に教師には距離を置かれている。授業以外で俺が佐伯先生と関わることはないが、見た目以上に度胸と行動力がある先生だ。俺は少し佐伯先生を見直した。

 夏也は突っ立ってコケダマを見つめたままで言う。

「こいつには生きて欲しいな、俺」

「普通の植物と同じで、水やるんだろ」

 どういうわけか、間が開いた。間が開くようなことを言ったつもりのない俺の頭に、疑問符が降り積もった。単に会話の合間が伸びただけならまだしも、どの観点から見てもこれはぶつ切りだ。なんだ、この状況は。妙に淀んだ空気は奇妙な居心地で、どう抜け出したらいいのかわからない。

 夏也はじっとコケダマを見ていた。驚愕したように、目を見開いていた。夏也の反応の意味がわからず、俺の頭上に更なる疑問が沸き上がった。夏也のアクションは、さっき言おうしていて言えなかったことと関連するのだろうか。半端な第六感しかない俺は、夏也の頭の中を覗くことはできない。こういうときに役立たない霊感は、俺にとっては邪魔以外の何者でもなかった。

「夏也」

 名前を呼ぶと、夏也は髪を振り乱して顔を上げた。震えた瞳が俺を捉えた。怯えている。今の夏也を率直に言い表すなら、その単語がぴったりだった。子猫たちの霊は、一層夏也に寄り添った。夏也が感じている恐怖を直に感じ取っているのか、彼らの表情もどこか強張っているように見えた。

「お前、どうかしたのか」

 数秒の沈黙の後、夏也は俯いた。俯いて、静かに首を横に振った。下手な嘘であることは明白だった。夏也は昔から割りと頑固な一面がある。見え見えの嘘を吐かれて、はいそうですかと引き下がっていたら話が進展しないのだ。付き合いの長さからそう理解していた俺は、夏也の肩を掴んだ。その瞬間に、夏也はコケダマの皿を床に落とした。べちゃ、と鈍い音がして、コケダマは床に散乱する。アイビーの細い茎は、ぽっきりと折れていた。

 あまりにあっけないコケダマの死だった。あっけなさすぎて、俺は一瞬、呆然とした。一瞬後には、我に返った。

「ごめん」

 言い終わるか終わらないかのうちに、夏也は、肩にかかった俺の手を払いのけた。はたいた、と言ったほうが正しかった。俺に対する憤怒の情が、しっかりと込められた、小さな痛みが右手に広がった。いつもの夏也とは違う、いや、今までの夏也とは違う。漠然とそう悟った。

 夏也はなにも言わず、俺に目などくれるはずもなく、屈んで崩れたコケダマを手に取った。折れたアイビーの茎を労わるように、指輪の通った指がそれを撫でた。人の大切なものを壊してしまったという罪悪感が募る一方、俺は、夏也の動作が不自然に思えてならなかった。だって、俺はちょっと肩に手を置いただけだ。叩いたというほど力は入っていなかったし、いきなり肩に触れたわけでもなかった。その前にちゃんと声はかけていたし、俺がすぐ傍にいたことなんてわかりきっていたはずだ。思わず手を滑らせてしまうなんて、そこまで驚くこととは俺には考えがたかった。コケダマを凝視していたあの秒数、まるで夏也は異世界にでも行っているようだった。いきなりこちらの世界に干渉されたために注意を怠った、例えるなら、そんな感じだ。

 蘇生不能のコケダマを視界に留めたまま、夏也は、身動きひとつしなかった。異様な空気に、らしくもなく俺は固唾を飲み下す。謝罪の言葉が、再度俺の口から零れ落ちた。すると夏也は、いいんだ、と応じてくれた。捨て鉢な台詞だった。

「できるだけ、遅く死んで欲しかっただけ。いずれ生きなくなること、わかってた」

「大切なものだったんだろ。俺、ちょっと佐伯先生に相談して」

「いいんだ」

 怒気を込めた夏也の物言いに、俺の言葉は区切られる。自分が原因を作ったことはわかっていたが、俺は、夏也がわからなくなった。夏也は怒っている。それは確かな事実だ。でもなにに対して怒っているのか、妙な話だが釈然としなかった。いや、コケダマを壊した俺に怒っていることは明らかだ。

 でも何故か、どちらかというと、夏也の態度は意地を張っているように見える。それも拗ねてむきになっているのではなく、違う方向に感情を動かしている。上手く説明できないが、夏也の動きは、一貫しているとは思えなかった。

 夏也が幼稚なだけなのか、とは俺も思った。単純にそんな結論を出すのは、決めつけっぽいし俺自身が不快だから切り捨てた。夏也は俺より背も低いし誕生日も遅いが、稚拙な人間だと感じたことはただの一度もない。それなら、夏也が纏うこの妙な違和感は一体なんなのだろうか。夏也は果たして、違和感など身に羽織っていただろうか。俺の思考は、そこで積んだ。強い口調で許容の言葉を発する夏也には、俺も引き下がるしかなかった。

 そのまま流れで、俺は夏也の家を出た。夏也は、最後まで俺を諌めることはなかった。玄関先では銜え煙草で笑顔まで作り、俺に手を振ってくれた。俺も手を振り返したが、やはり空気はおかしかった。夏也の足元の子猫に事情を聞けば謎は解明されるだろうが、生憎俺は、猫の言葉はわからない。とりあえず、お手上げだ。

 口の中に、こし餡の後味が残っていた。そういえば、夏也の家を後にするときは、いつもこんな感覚だ。懐かしさを覚えながら、俺は、先刻に夏也の台詞を思い返す。「できるだけ、遅く死んで欲しかっただけ」。なんだか含みのある言い方だった。その真意は、やっぱりわからなかった。

「コケダマ、悪いことしちゃったよな」

 誰とはなしにぼやいた。佐伯先生は、明日の昼休みは生徒指導質にいるだろうか。夏也はああ言うけど、俺の気が治まらない。なるべく早いうちに佐伯先生を訪ねて、夏也のコケダマのことを相談しよう。そう決めて、自宅に向かう足を速めた。

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