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七瀬詩仁 2

 俺は頬杖をついて、意味なくケータイをいじっていた。誰からメールがきているわけでもない、なにかすることがあるわけでもない、本当に、今俺が携帯電話を触っていることに意味はなかった。若者にありがちな、ただの癖だ。

 朝の教室の入り口は、常に開け放たれている。誰が一番乗りで登校してきて鍵を開けているのか、そして誰が扉を閉めないルールを作ったのか知らないけど、この季節は少々辛い。指定のものさえ着ていれば、セーター姿で堂々と闊歩できるこの学校の規則は、中途半端なこの時季に大いに役立っている。セーターの袖に手を匿いながら、ケータイを見つつ教室の入り口を注視する。ケータイの時刻表示は、八時二十一分だった。そろそろ三橋が教室に入ってくる。

 踏んだ通り、三橋が現れた。鞄を乱雑に肩に提げ、女顔負けで綺麗な黒髪を揺らし、眠そうに目蓋を押し上げている。俺の横を抜けた三橋を呼び止めると、三橋は、如何にも鬱陶しそうな視線を向けてきた。いつものことなので気にせずに三橋に問いかける。

「自分が生きてるのは死ぬためだとか、考えたことある?」

 は、という顔をしたのではなく、三橋は本当に、は、と言った。俺の脳裏を、銜え煙草で寂しげにぼやく夏也の姿がよぎった。死に向かって生きている、夏也のその発言が、いやに俺の耳にこびりついている。それ故に、俺は三橋に質問してみたかった。いきなりそんなことを言われたとして、ネタにしたり誤魔化したりせずに取り合ってくれる可能性があるとすれば、それは三橋だけだった。

「朝からなに言ってるの、キミ」

 とは言え、三橋の反応は妥当だった。納得はするが、俺はめげない。

「生きてりゃさ、いつかは死ぬだろ。そういうこと、真面目に考えたことない?」

「死んだらどのタイミングでお化けになるかってこと?」

「いや、そういうことじゃなくて」

「そういうことなら、僕じゃなくて専門家に訊いて」

 そういうことじゃないって言っているのに。三橋は俺の意識などまるで無視で、今しがた自分が歩いてきたばかり教室の入り口に目をやった。俺の視線も引っ張られた。

 三橋は扉を閉めたのだろうか、教室の入り口は閉じている。そこに藤が現れて、半分戸を滑らせた。半分しか滑らなかった。藤は、がたがたと荒く戸を揺さぶった。朝っぱらからなんなんだ、そういう明らかに苛ついた表情だった。一体なにが戸に引っ掛かっているのか、俺には不明だった。各々盛り上がっていたクラスの連中も、話をやめて藤に注目していた。

 静まり返った教室で、やがて藤は、戸を完全に開けることに成功した。大きな音をたてて再び教室はオープンな空間と化したが、すぐには元のざわめきは戻ってこない。藤は、何事もなかったかのような涼しい顔をして自分の席に向かった。誰も藤から視線を逸らさなかった。

「おはよう、忠勝君」

 無言で俺の隣を過ぎ去ろうとした藤の片眉が、ぴくりと動いた。足を止めた藤は、ゆっくりと振り返って三橋を見据えた。涼しい顔をしているのは、三橋も同じだった。

「忠勝君、七瀬がキミに相談したいことがあるみたい」

 え、と俺が小さく反応すると、藤は眼鏡を指で押し上げた。そしてちらりと俺を見た。その後、すぐに三橋に視線を戻した。

「忠勝君って呼ぶな。藤と呼べと何度言ったらわかるんだ、三橋」

「僕は好きだけどね、忠勝って名前。厳つくてかっこいい」

 藤の眉が再度動いた。そんなことに興味などあるはずもない三橋は、そんなことよりね、と一方的に話題をすり替える暴挙に出た。こいつにとっては「そんなこと」でも、藤にとって下の名前を言われることは「そんなこと」では済まされない。そんなことこそ、三橋には関係のないことだ。

「七瀬がね、人が死んだらどのタイミングでお化けになるのか知りたいんだって」

「いや、俺は別に、そういうのは」

「さっきはなにに引っ掛かってたの? お化けなんでしょ」

 三橋の野郎、自ら話の主題を取り替えておきながら、更に話題を転換するとは。こいつは本当になんでもありだ。以前からわかっていたことではあったけど、三橋の行動には常に驚いてしまう。

「その辺に腐るほどいる浮遊霊の類だな。さっきのでニ、三匹は押し潰してやった」

 そして、平然とそんな答えを口にする藤も相当できる。藤にはお化けが見える。見えている霊の中でちょっかいを出してくる鬱陶しい奴に、蹴ったり殴ったり戸で押し潰したり、散々な制裁を加えている。らしい。我らが辻ノ瀬学園三年四組名物、藤忠勝の霊感ショーのお決まりパフォーマンスだ。尤も、藤本人からすれば、単に目障りな霊を撃退しているだけで娯楽性など欠片もないようだ。

「で、なに。人が死んだらいつお化けになるか、だっけ」

 いや、だから俺はそんなの知りたいわけじゃないって。説明したい俺を他所に、藤は勝手に喋り続ける。

「精神というべきか魂というべきかは明確じゃないが、基本的には、それと肉体が完全に分離したときだな。もう死んじゃってるのに、無理矢理肉体に戻ろうとする奴もいる。あれはなかなか見てると鬱だわ」

「いや、別にそんなのいいんだって」

「三橋が言ってたのと違うぞ」

「だから、最初から三橋が間違ってんだよ」

 さして表情に変化を見せず、藤は俺から視線をはずさなかった。三橋を横目で一瞬捉え、すぐに俺に目を戻し、その延長線で俺を促している。

 騒々しさを取り戻した教室では、口にしやすいことだった。俺は迷わずそれを言葉に換えた。

「生きてるといつか必ず死ぬだろ」

「そりゃそうだわ」

 藤のキャラから考えた通りの、要するに俺の予測に従った反応だった。あっけらかんと死の談義を受け入れる藤は、やっぱり普通の中学生とは違う異色のオーラを放っている。

 並はずれた霊感を自称する人間は、みんな藤のように飄々としているのだろうか。藤以外の霊感持ちに会ったことがない俺は、ふとそんなことが疑問になった。

「生きてれば死ぬってことは、死ぬために生きてるって言ってもおかしくないよな」

「死に向かって生きてる、ってか」

 結論として俺が言いたかったことを、藤はあっさりと見抜いた。というより、その表現を最初から知っていたようだった。あれ、と俺が思った直後、藤は、やっぱりなと言うふうに肩を下げた。

 藤は夏也と仲がいいのだろうか。中等部に入ってすぐ、夏也は学校に顔を出さなくなった。どうしてそういうことになったのか、俺は知らない。次に俺が夏也に会ったとき、夏也は煙草を銜えていた。

 俺と夏也が仲良くなったのは、ふたり揃ってよく生徒指導室に呼ばれていたからだ。いや、そのときは小学生だから、児童指導室だったか。無論、別につるんで問題を起こしていたわけではない。初等部の頃から髪を染めていた夏也は、生徒課に召喚される頻度が俺を上回っていたらしい。

 初等部で俺は藤とも同じクラスになったから、つまりそのときは藤も夏也と共同の場にいたことになる。でも、果たして藤が夏也と仲良さげに対話しているシーンなどあったものか。あったのかもしれないけれど、憶えてえていないしわからなかった。

「よく言うんだよな、あいつ。あんまりそういうの言うな、って言ってるんだけど」

「藤と夏也、仲いいんだ。知らなかった」

「実は近所同士なもんでな」

 河原で夏也と喋っていたとき、夏也は、藤の霊感を疑うようなこと言ってなかったっけ。一瞬疑問になった俺を、藤は知らずに会話を続ける。

「考え込むのはあいつの悪い癖だ。真に受けないでやってくれ」

「死を考えることが?」

「あいつの身近で誰か死んだようなことなんて、なかったと思うんだけどな」

 それ的な霊も見たことないし。藤はそうぼやき、記憶を探るように顎を撫でる。

「ま、多感な思春期故なのかもな。あまりに放置もよくないけど、適度に話に乗るくらいでいいんじゃないの」

「藤、お前いくつ?」

「お前と同じで、五月に十五歳になってる」

「多感な思春期故っていう理由で、入学式からずっと休んでるの?」

 俺と藤の対話に、三橋が割り込んできた。三橋はいつもの平坦な口調で続ける。

「違うでしょ。グレて煙草吸うようにもなってるんだし」

「それだけが理由、とは言ってないだろ。あいつはもともと髪も染めてたし」

 藤もまた、声の調子は一定だ。掴みどころなくやり取りをする藤と三橋は、どことなく似ている。

「精神的になんかものすごいダメージ喰らったんだろうな。そこに多感な思春期っていうプロセスが加わるわけだ。不登校にもなるだろって話」

「不登校、なんとも思わない?」

「なにか思っても、残念ながら俺がどうできることでもない」

 あっさり言い放った直後、藤は、三橋の顔の横すれすれのところに強烈なパンチを繰り出した。切れのある動きに、俺は正直びびった。息を呑んだ。三橋はというと、瞬きひとつしなかった。

 藤は言う。

「不細工な女の霊がくっついてたぞ。どこで拾ったんだ」

 拳を引っ込めながら、藤は三橋に問いかけた。三橋は少し考えるように上目がちになる。考えてもわからないだろうが。

「昨日ネットで読んだ怖い話かも。読んだら三日以内に現れるんだって」

「バカか、お前は。そんなのあるわけないわ」

「じゃ、知らない」

「ま、いいや。顔面吹き飛ばしてやったから」

 顔面吹き飛ばすって、なんと恐ろしいことを。霊とは言え、女の人なんだろ。やめてやれよ。怖いよお前。被害にあった女性の霊を庇いたい俺の思いに、藤は一瞬、気付いたような顔をした。敢えての無視なのか、藤はすぐに涼しい顔をした。

 チャイムが鳴った。教室のざわめきが、会話から席につく音に変わる。藤もその音の中に紛れ、三橋もまた溶け込んだ。なんだかぐだぐだで、結局俺の訊きたいことは忘れ去られていた。はあ、と溜め息を吐くと、何故か藤が俺の横に戻ってきた。藤は言った。

「俺たちみんな死に向かって生きてるとしても、最低限、死んでから顔面吹き飛ばされたくはないよな」

 そして藤は、何事もなかったかのように席に着いた。そんなことを言うために戻ってきたのか。お言葉だけど、霊の顔面を吹き飛ばすのは、世界中のどこを探しても藤くらいしかいないと思う。なんてことを言っていると俺の顔面が吹き飛ばされかねないので、俺は静かに口を閉じておいた。



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