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七瀬詩仁

時間軸としては前作「兄貴は平気で嘘を吐く」の後になってます。でもどっちもほぼ関係ない話なのでスルーできます。

「死に向かって生きてるんだよな、俺たち」

 河に小石を投げた後、壱井夏也はそう言った。あまりに出し抜けだったその言葉に、俺は正直困惑した。生きていればいつか死ぬのは、誰にとってもなににとっても、当たり前のことだった。

 薄くオレンジがかった空を一瞥する。明日も今日と同じ、憎いくらいのいい天気だ。残念ながら、清々しい気分にはならなかった。むしろ俺の気持ちは陰鬱で、どこをというわけでもないが持ち上げきれずに引きずっている。

 生きていれば必ず死ぬ。わかりきっている真実は、わかりきっているだけに軽々しかった。命が止まるのを怖れないのは単純に、そのわかりきっている真実を実感できていないからだ。自分にも絶対訪れるそれなのに、何故か俺は、俺だけは、明日も明後日も一年後も十年後も、死などとは無関係の場所で生きている気がする。ありがちな錯覚だと思う。夏也には、そんなありがちな錯覚がないのかもしれない。煙草を銜えた夏也の横顔を少しだけ見つめてみた。なんとも言えない気持ちを殺したように、噛んだ唇が痛々しかった。

「死ぬことがわかってるのに、どうしてみんな苦しくて窮屈な世界を選ぶのか。俺にはわからない」

「みんな自分が死ぬなんて思わないんだ。他人事なんだよ」

「生きてれば死ぬのは当然だろ。俺はそういう矛盾した理屈が大嫌いだ」

「学校に来る気はないのかよ」

「今更だな」

 いきなり話を変えた俺を、夏也はすんなりと受け入れてくれる。

 夏也は煙を吐き出した。好きでもないけど嫌いでもない、特有の匂いが鼻を抜けた。

「なあ、七瀬。俺たち、いずれ死ぬんだ。それなら、周囲の目なんて気にせずに、やりたいことやってたほうが損じゃないと思わないか」

「やりたいことなら俺だって一応やってる。先公になに言われようが、金髪とピアスをやめる気はないからな」

「違うな。お前はやっぱ俺と違うよ、七瀬。俺は自分を変えたくて見た目を変えて、それを維持してるんじゃない」

 思わず俺は夏也を見た。夏也はニ本目の煙草に火をつけなから、にやついた目を俺に向けてくる。まるで、どうだ知ってて驚いたか、と言っているようだった。

 夏也は言う。

「お前のとこの家庭もだいぶ複雑みたいだからな。兄貴に迷惑かけないように金髪にするなんて、発想がぶっ飛んでるけど」

「お前なんで知ってんだよ」

「三橋が言ってた。で、俺のこと、ただのチンピラだとか抜かしてた。見かけによらず言うんだな、あいつ」

 三橋の奴。いつの間にそんなやり取りがあったんだ。自分のペースに茶々を入れられたようで、俺はちょっと苛ついた。三橋のことだから、とすぐに気持ちは収まった。

「ということは、三橋からすれば、七瀬はただのチンピラじゃないんだよな」

「俺は煙草やらないからな。学校だって行ってるし」

「面と向かって俺にチンピラなんて言ってきたのは三橋だけだよ」

「どういう意味?」

「真正面から言われると、結構きついんだなと思って」

 なら、チンピラやめればいいじゃん。俺がそう言うと、夏也は声をあげて笑った。俺には、夏也がここで笑う意味がわからなかった。

 笑い声を抑えた後、夏也は再度水面に小石を投げた。ぽちゃり、と軽い音をたてて、あっけなく小石は沈む。

「そりゃ無理だな」

「なんで」

「今更真面目になったとこで、俺に居場所があると思うかよ」

 夏也の言葉に、俺は、ふうんと息を吐き出した。確かに今まで、散々問題を起こしてきた夏也のことだ。裏を返したように真面目な普通の生徒になっても、受け入れてくれる人間は少ないかもしれない。

 散々夏也は問題を起こしてきた。それは無視できない部分だ。煙草もそうだし、俺が人のことを言えた口ではないことはわかっているけど、赤めに染めた茶髪もそうだ。今更黒染めしたところで、夏也が肩身の狭い思いをせずにありがちな日常に帰することは、正直不可能かもしれない。いや、不可能だ。

「嫌な思いをせずにいい子になろうなんて、さすがに考えてないよ」

 俺の思考を読み取ったかのように、夏也は言葉を飛ばしてくる。

「簡単な話だ。俺には、普通の中学生らしい日常に戻る術はない。それだけ」

「居場所ならある。俺は絶対拒まないし、三橋だってあれで案外話のわかる奴だぞ」

「七瀬は優しいんだな」

 棒読みではなく厭味なふうでもなく、夏也は、本当にそう思っているような口調で言った。でもその口振りはなんとなく遠く、そんなものは自分には届かないと言っているようだった。俺は少しムッとした。

「なあ、七瀬。俺たち友達だよな」

 突然夏也は言った。意味がわからなかったけど、俺はとりあえず頷いた。ここまでふたりで話していてなんだけど、夏也が俺のことを友達だと思ってくれているのは意外だった。

「七瀬は俺の友達でいてくれるんだな」

「なんだよ、いきなり」

「俺、もうすぐ死んじゃうかもしれない」

 耳を疑った。目を見開いて夏也の顔を見る。夏也は、醒めた目をして河を見ているだけだった。

「友達だから言った。俺、死ぬかもしれない」

「なに言ってんだよ」

「かもしれない、ってだけだよ」

 「死に向かって生きてんだよな、俺たち」。夏也の言葉が耳に蘇る。生きていればいずれ死ぬのは、当たり前のことだ。誰もが納得しているし、納得して生きるしかない。ただ、できる限りは遅く死ぬようにしたい、という願望はある。俺もそうだ。夏也には、その願望が俺とは違う角度で見えている。俺はそう悟った。悟らされた。

「もし俺が、本当に死んだら」

 間を挟んで、夏也は切り出す。何故か楽しんでいるような口調だった。

「七瀬は悲しんでくれる?」

「悲しむけど」

 俺が低く言葉を区切ると、夏也は微かな笑顔を浮かべて首を傾げた。夏也がなにを意図しているのか、俺にはわからなかった。

「夏也か死んだら俺は悲しいけど、そういうことあんまり言うな」

「俺も七瀬が死んだら悲しいよ」

「茶化すなよ」

 不機嫌な声を返すと、夏也は再び頬を緩めた。それきり沈黙の空気が流れた。なにげなく携帯電話で時間を確認した。十六時四十三分だった。

「もうすぐ死んじゃうかも、なんて冗談だろ」

「どうかな」

「自殺でもすんの」

 一瞬、空間が凍りついた。ような気がした。瞬間的に笑顔を引っ込めた夏也が、当たり前の如く、もう一度笑顔になった。

「どうだろうな。とりあえず今は死ぬ気じゃない」

「冗談よせ」

「大丈夫。俺、約束だけは守る主義だから」

 また茶化された。いや、誤魔化された。夏也、と俺は語調に怒気を込める。いちいち俺の反応を面白がるように、夏也は笑い声を転がしている。

「七瀬」

「なんだよ」

 機嫌のいい夏也とは裏腹に、俺はいたく不機嫌だった。俺の態度などには塵ほどの興味も見せず、夏也は言った。

「これからは、詩仁って呼ぶ」

 なんの話かと思えば。好きに呼べよ、と返事をした。俺は勝手に夏也を夏也と呼んでいるんだから、別に許可は無用だった。

「じゃあさ、詩仁」

 早速下の名前を呼んで、夏也は言った。

「俺たち、死んだその先も友達でいよう」

「まだその話してんのかよ。そういうのやめろって」

「ただの約束だろ。俺、約束は結構好きだよ」

 煙草を奥歯で噛み潰し、夏也は俺に小指を差し出してきた。指切り元万、というわけか。男同士で。ちょっと苦笑いしたくなりながら、俺は、夏也の小指に自分の小指を引っ掻けた。染めた茶髪と銜え煙草が不釣り合いな、あまりに無邪気な声で夏也は歌う。小さな儀式が終わると、夏也から絡めた小指を離した。

「たまにはいいよな。素朴で」

「そうかよ」

「約束だからな。詩仁は俺の友達。死んでも会いに来る」

「藤に消されるぞ、お前」

「あいつ、本当に霊感あるの」

「知らない。でも、嘘言ってる感じではない」

「俺もちょっとだけ行こうかな、学校」

 それはいい考えだ。俺が言うと、夏也は冗談だと言って小さく舌を出した。なんだか腹が立ったので、軽く夏也をどついた。夏也は、またしても楽しそうに笑った。

 こいつ、ちょっとだけでも学校に来れば、少しくらいは面白い経験ができるのに。本当に少しだけ。教室にひとつ、常に空いている一席を思い浮かべて、俺は少し寂しくなった。夏也のほうは寂しくないのだろうか。友達なのに、それは酷だ。なんの話だ。自分で意味がわからなくて、俺は微かに込み上げる笑いを抑えるのに必死だった。



もとは縦書き用なので漢数字になってます。



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