藤 忠勝 9
ラスト2話です。
「苦っ。俺、こんなのずっと吸ってたんだな。衝撃」
煙草を銜えて火をつけるや否や、夏也は如何にもなリアクションを取った。お気に入りのブーツを履いた足で隣に座る夏也は現実的だった。左手首のリストバンドは変わっていないが、首に傷はなかった。夏也はナイフで首を切って死んだ。でも今、夏也は俺の隣にいる。どちらも確かな話で、疑う必要はなかった。そうだ。俺には見えてはいけないものが見える。こんなこともある。他人事のように俺は結論付けた。
煙を吐き出した夏也は、何故か吸殻を俺に渡してきた。なんのつもりだと目で聞くと、煙草の箱をよく見てみろと言い出した。中を覗くと、小さな灰皿が入っていた。何度も強く握り締めたのに、今まで気付かなかった。
「携帯用だよ。いつも一応持ってたんだ。偉いだろ」
中学生なのに煙草を吸っている時点で偉いはずがないのだが。灰皿を渡すと、夏也は手馴れた風体でそれに煙草を押し付ける。こいつ、今までトータルで何本吸ったのだろう。思いついたままに訊ねてみたが、夏也は「割りとヘビーな時期もあったと思うけど、どうかな」と首を捻っただけだった。
間違いなく夏也は死んだ。その事実は、今更どうしようもない。でも、こうして並んで座ってみると、そんなものは夢だったのではないかと思えてくる。夏也は今俺の隣にいて、以前のように煙草を吸って、会話している。夏也の死を視る能力も、そのせいで起こった悲劇もなくなったあらゆる命も、学校の爆破も、全部悪い夢だった。夢なら醒める。夏也のいる日常に、当たり前のように一緒に過ごしていた日々に俺は帰れる。本気でそんな気がした。
「酷いとこ見せつけちゃったな」
煙草と灰皿を俺に押し戻しながら、夏也は呟いた。
酷いところ。お前が首を切った瞬間か。それは夢だったはずだろ。だって今、お前はこうしてここにいる。喉まで出かかった言葉を、俺は必死で制した。あり得ないことだった。ここまで現実を否定したくなるなんて、我ながら本当に俺らしくないと思う。
「そうだ、藤。寒いだろ。コート持ってきたから着ろよ」
忘れていたと言わんばかりに、夏也は紙袋を俺に差し出した。隣に座ったときからなにか持っているとは思っていたが、俺に渡すものだとは知らなかった。割りと大きいそれをおもむろに受け取った。中身は確かにコートだった。明るい茶色が基調で、メンズとわかるがどちらかというと可愛らしめの系統だ。俺よりも夏也に似合いそうな代物だった。夏也のブーツとこのコートなら、配色的にもすごくバランスがいいと思う。いや、これはそうだ。思い当たったそれに驚愕して、俺はつい夏也を見つめてしまう。そんな俺を、夏也は笑って受け流した。
「そんなにびっくりするなよ。Lだから藤でも十分着られるだろ、まだ俺ちょっと試着しただけだし。それともデザインが気に入らない?」
「そうじゃなくて、これ、親父さんがお前のために買ってきたものだろ。こんなのもらえない。もらえるわけない」
「頭固い奴だな。それは俺が父さんからもらったんだから俺のものだ。俺のものをお前に譲ってやるって言ってるんだよ」
「でも」
「いいから着とけよ。風邪こじらすよりましだろ」
「お前のプレゼントを奪うくらいなら風邪こじらせたほうが」
ああもう、と夏也は面倒臭そうに俺の言葉を遮った。はっとして、俺は黙った。一言謝罪した。すると夏也は、出鼻を挫かれたような困った顔をした。
「随分しおらしくなっちゃったな。藤、もっと強烈な存在だったじゃん」
「このコート、親父さんがいきなり買ってきたのか」
「誕生日プレゼントだよ。父さん忙しくてなかなか帰って来れないから、かなり遅れてたけど」
「そんなの、本当に俺がもらっていいのか」
「何度もくどくて女々しい奴だな。父さんには夢にでも出て言っとく。父さんも藤のことよく知ってるし、寒そうだったしあげたって言っても怒らないよ。本当は夢じゃなくて実際に会いたいんだけど、小説みたいにはいかないよな」
俺、お通夜でもお葬式でも普通に突っ立ってみたけど、誰にも見えてなかったみたい。そう言ったときだけ、夏也は寂しそうだった。無理矢理笑顔を作ってはいるが、それがわかるだけに痛々しかった。俺にはこんなにはっきり夏也が見えるのに、夏也が死んだなんて情報はなにかの間違いと錯覚しそうですらあるのに、俺以外の人間はもう夏也の意思を認識しない。それはとてつもなく悲しいことだった。
コートを広げて、袖を通した。俺でも余裕の大きさだった。あったかい。夏也には絶対に大きすぎるが、親父さんは夏也の背が伸びることを考慮したのだろう。Lサイズを買ったのはわざとなのだと思うと、どうしようもない罪悪感が込み上げてきた。零れ落ちそうになった涙を堪え、俺は小さく「ありがとう」と呟いた。夏也は嬉しそうに笑った。
「俺、藤に話があってこうして来てるんだけど」
「なんだよ。こっちが行かないからそっちから来て別れを告げようって言うのか」
「それもあるけど、重要なこと。でも、その前に」
真っ白な子猫、モノだ。モノが夏也のブーツを伝い、膝を伝って胸に這い上がる。夏也がモノを抱き上げると、自分もとばかりにクロもモノの軌跡を真似し始めた。真っ黒な子猫。俺が存在を知った頃には、もうこの世にはいなかった猫だ。
二匹をまとめて胸に抱き、夏也は軽く空を見上げた。陽はかなり短くなった。オレンジ色の空は、明日も憎いくらいに晴れることを暗示している。
「忠勝って呼ばれると怒るよな、藤って。自分の名前が好きじゃないんだ」
「古めかしくてかっこよくないだろ。平成の名前じゃない」
夏也が言おうとしていることを読み取りあぐね、俺は率直な返答をよこす。俺の「忠勝」に引き替え「夏也」は相当お洒落な名前だ。正直、小さい頃から何度羨ましいと思ったかわからなかった。
「確かに現代っぽくはないけど、だからこそどっしりしてて強そうだと俺は思うけど。それに、藤の両親だって意味なくその名前をつけたわけじゃない。自分の名前に込められた意味、藤は知ってる?」
「聞いたことあるかもしれないけど、そんなの忘れた」
「そうかよ」
面倒になって即答した俺を、夏也は面白そうにあしらった。遊ばれたようで少し腹が立った。
「お前の名前はどういう意味なんだ。十月に生まれたのに夏也って。どう考えても夏じゃないだろ」
「俺の母さん、俺を産んですぐ死んじゃったことは知ってるだろ。母さんの名前、冬香っていうんだ」
聞いた瞬間、胸が冷える思いだった。それだけ聞けば、もうあとは想像がつく。夏也の「夏」は、そういう意味だ。事情を知らなければ至れない結論だった。
そんな俺を知ってか知らずか、夏也は続ける。
「たぶん珍しいパターンだったと思うけど、俺、産まれた段階ではまだ名前が決まってなかったんだって。いい名前が思い浮かばなかったっていうのもあったし、母さんの容態もよくなくていろいろ大変だったらしい。母さんは結局死んじゃって、残った家族は父さんと姉ちゃんと俺で。ああ、ここまで聞けば、もう藤ならわかるよな」
わかるけど話したいなら話せ。そういう意味を込めて、俺は一度だけ頷いた。きちんと伝わったらしく、夏也は満足そうに微笑んだ。
「『夏』って字を入れようって提案したのは、八歳だった姉ちゃんらしい。母さんは死んじゃったからもう会えないだろ。その母さんの名前には『冬』が入ってたから、その逆の『夏』を入れた名前をつけて、俺がどこにも遠くに行っちゃわないようにっていう願いを込めたんだってさ」
「季節は関係なかったんだな」
「うん」
俺が言うと、夏也は今度は照れたように笑ってみせる。夏也という名前を、そこに込められた意味を至極気に入っている証拠だった。
そこで夏也は、急に憂うような表情になった。モノとクロを抱き直し、ふと遠くを見るような目になる。話をすればするだけ、表情の変化を発見するだけ、夏也の存在はリアルだった。やっぱり夏也は、死んでなんかいないのではないだろうか。現実から逃避したい俺は、ひたすら都合のいい妄想に耽る。
「俺、名前に込められたそういう意味を知ってたのに自殺しちゃったんだよな。悪い子どもだよな。俺も遠くに来ちゃったんだ。遠くに行かないようにってつけられた名前なのに」
「お前、そんな辛気臭い話をするために俺に会いに来たのか」
「別に辛気臭くしようとしたわけじゃないけどさ、ついそうなっちゃったんだよ。じゃあ、次は明るい話。とってもハッピーな話題にして、とってもメインな話題」
とってもメインってなんだ。突っ込むのも面倒なので、俺は無言で夏也の言葉の続きを待った。けれど夏也はもったいぶっているつもりなのか、楽しそうにしたまま口を閉ざしている。焦れた俺が促すと、それを待ってましたと夏也は再度頬を緩めた。
「岬姉ちゃん、お腹に赤ちゃんがいるみたいなんだ」
聞いた一瞬、俺の中で時間が止まった。直後には世界は正常を取り戻し、何事もなかったのように廻り始めた。世界は平和だ。俺はその事実を眼前に突きつけられる。
――お腹に、子ども? 妊娠? 夏也が死ぬのを視た人間だよな?
情報が脳内を飛び交い、炸裂する。夏也の姉は妊娠している。夏也は姉の死を視て、救うために学校を壊した。事件で死者は出なかったが、夏也が自殺したことで死ぬ命の絶対数は増えた。夏也は自分の死を視ていないのだから、あの自殺はイレギュラーとして認識されるはずだ。そのイレギュラーがもともとの目的だったのだから、一応それが達成された現在、読み通り姉が死ぬことなく生きているならそれは幸福だ。夏也の姉は、夏也の視覚が捉えるルールから離脱した。幸福なことだ。それは夏也の望みでもあったし、幸福なことだが。
「死ぬどころか、新しい命を授かった、って」
夏也の能力には、もうひとつルールがあったのだろうか。誰かが死ぬのを助けるためにイレギュラーな死を捧げれば、助けられた命は新たな命を身篭ることになるのか。それなら、そのルールが適用されるのは女性限定ということか。なるほど、知らなかった。夏也の人生、最後のラッキーだったわけだ。いや、違う。そんなことより、もっとシンプルな道理があった。でも、まさか。そんなことは信じられないし、信じたくない。俺の頭が、勝手にどんどん計測する。推測する。考えられる可能性を打ち出していく。夏也が死の映像を捉えたときは、普段なら、ぼやけていることはあってもある程度までの死因は認識できていた。らしい。ところが、姉のその映像を目撃した段階で、どういった理由で姉が死ぬことになるのはがわからなかったと聞いている。日常的にぼやけていたり霞んでいたりするから、たまたままったく死因を掴むことができなかっただけだ。そのパターンがあっても、それが偶然夏也の姉のときに起こっても、不思議だとは思わなかった。
夏也の自殺はなんだ。その疑問にぶち当たった。ばらけた疑問符が、音をたてて俺の心内の世界で幾度も崩壊する。
「藤、冷静に聞けよ。俺、岬姉ちゃんの死を視たなんて言ってたけど、たぶん勘違いだったんだと思う。あれは命を失う構図じゃなくて、新しい命が生まれるってことだったんだ。だからどうやって死ぬのかわからなかった。死なないんだから、わかる原因なんてなかったんだよ」
夏也の落ち着いた口調は、より一層俺の心内をかき乱す。どういうことなのか、俺にはわからなかった。いや、わかりたくなかった。手に持ったままだった煙草の箱を、俺は無意識にまた握りしめる。
「岬姉ちゃん、お通夜にもお葬式にも来てくれないと思ってたけど、どっちにも来てくれた。お通夜のときにさ、父さんに話してた。こんなときにする話じゃないけど、って前置きして。ふたりともずっと結婚するつもりだったんだって。子どもができたってわかったのは、本当につい最近みたいなんだけど」
まさかそのタイミングが、夏也が姉に対して例の察知をしたときだなんて言わないだろうな。俺がそう思ったのを察したからなのか、夏也は黙った。黙るということ、言わないだけで肯定だ。頭がどうかしそうだ。全身を掻き毟りたい衝動を、俺は懸命に抑えつけた。
――すごく大好きな岬姉ちゃんのことだから特別なんだよ。
夏也がそう言っていたのを、唐突に思い出した。姉のことは特別だと、夏也は最初から自分で知っていた。その発言を、俺は最初から聞いていた。それなのに、どうしてその可能性に思い至れなかったのだろう。言いわけならいくらでもできるし、理由付けだって簡単だ。夏也の能力は、プラスに働いたことなんてない。でも、それを挙げてもこんな結末は酷すぎる。いくらなんでも許せない。絶対に許せない。こんな世界は許せない。何度でも俺は世界を呪う。
「藤は頭いいからわかるよな。俺だってびっくりした。藤が知ったらすごく辛い思いすると思ったけど、やっぱちゃんと言っとこうと思った。それに俺が言わなくても、岬姉ちゃんに赤ちゃんがいることはたぶん伝わったと思う」
「話はそれだけか」
声を絞り出すのに、相当の労力を要した。その重みに、夏也はたじろいだ様子もない。俺がそんな反応をすることはお見通しだったらしい。さすが親友だ。
「話はそれだけ」
モノとクロを地面に下ろすと、二匹は今度は夏也の腕をよじ登ろうとしている。この二匹は、相当夏也のことが好きなのだ。今夏也に会ってじゃれていることを、純粋に喜んでいる。
嫌だ。信じられないとか信じたくないとか、そんな表現よりもそう言ったほうが今の俺にフィットする。俺は嫌だ。どうあっても許せない。つまりはこういうことだ。夏也は姉の死を視た。つもりだったが、実は新たな命の誕生を視ていた。そんなことには気付かず悩み、決心し、姉を救うためだけに俺と共謀して事件を起こした。諦めずに頑張ろうと思ったところで自殺に追い込まれ、死んでから状況を眺めてみれば、姉が死ぬなんていうのはただの早とちりだった。誰も気付かなかった。夏也の自殺は、不必要な要素だった。夏也は生きてもよかった。やっぱり俺が余計なことをした。
泣くつもりはなかった。自分の意思とは関係なく、雫が次々膝を抱いた手の上に落ちた。だってそうだ。この状況で泣かないなんて心のある人間じゃない。泣くしかない。泣きたくて泣いているわけではないが、どうしても制御できない。
「ほとんどなにも食べてないんだろ。ちゃんと食べろよ。それから約束のこと。なに言われても俺のせいにして、藤は普通の中学生に戻って生きるんだぞ。俺の分まで」
「俺が生きられるのは俺の分だけだ。人の分まで生きるなんて無理だわ。お前が自分で生きろ」
「普通は『わかった、お前の分まで悔いのないよう生きる』って言うとこだな」
「なんで俺に押し付けるんだよ。俺には無理だ」
我ながらおかしなことを言っていると思う。現に俺はすべてを夏也に押し付けようとしているのに、自分が押し付けられるのは御免被る。とんだ自分勝手だ。夏也が死ぬことを決定した原因は俺にあるのだから、せめて最後の望みくらい聞いてやるべきなのに。そう、最後だ。頭の中を、終末の悲壮感が埋め尽くす。夏也の最後。小さい頃から当たり前のように一緒に過ごしてきた、たまには一緒にいじめられたりもした、最初で最後の俺の親友。の、最後。受け入れられるわけがなかった。
「訊きたいことがある」
夏也の煙草を握り締める指を少し開いた。箱にできた皺をそっとなぞる。夏也は首を傾げた。
「俺の死は視えてないのか」
夏也の瞳孔が大きく開いた。なにを言っているんだと言わんばかりに、夏也は身を乗り出して口を開いた。なにか言う前に俺が喋った。
「その反応だと視えてないんだな。俺はまだ死なない。夏也曰く生き殺しだったこの世界を、まだ当面生きなきゃならないわけだ」
「藤、そういうこと言っちゃダメだ。藤はこれからも生きてくのに」
「生きてたいわけないだろ、だってお前は死んでるんだぞ!」
自分の意識とはまったく無関係のところで、口から声が飛び出した。夏也はたじろぎ、乗り出していた上体を少し引っ込める。みっともなく両目から大粒の涙を零す俺は、もう夏也の顔を直視できるはずもなかった。潤む視界を少しでも晴らそうとコートの袖で目元を拭うが、いくら擦っても涙は一向に止まらなかった。それでも俺は、その工程を続けるしかなかった。
「お前が死んでるのに、こんな最低な世界に俺ひとりにだけ生きろって言うのかよ! 全部の罪をお前に擦りつけて、親父さんにも迷惑かけて、その上で俺にだけのうのうと普通に生きろって言うのかよ! お前がそれを俺に言われたらできるのか!? できないだろ!?」
「俺だって無理なこと言ってるって思ってる。藤は優しいから、たぶん耐えられないだろうなって」
「俺、約束は守れない。全部白状する。どうせみんなわかってる。俺がもし本当に脅されてたら、夏也の煙草もライターも今持ってるわけないんだから」
「藤は、俺を守ろうとしてくれたんだよな」
唇を噛んだ。確かに俺は夏也を守ろうとした。俺だけは夏也を傷つけず、なにがあっても守り通そうと決めていた。でも実際には、俺が夏也にとどめを刺した。冗談でも笑えなかった。また悔しがる俺を労わるように、夏也は言葉を選ぶようなスローペースで言った。
「自分の人生を棒に振ってまで守ろうとしてくれた、っていう事実だけで俺はもう十分だよ。それを除いても、俺、藤にはたくさん守ってもらった」
「なんだよ、それ。俺は別になにもしてない」
「そう卑屈になるなよ。小さい頃、友達いなくて寂しい俺の隣にいてくれた。変な能力が目覚めて外に出るのが怖くなって、父さんが仕事でいなくて岬姉ちゃんが帰ってこなくなって、家でひとりぼっちだった俺をよく訪ねてきてくれた。まあそれは佐伯先生もなんだけど、俺、藤と一緒に饅頭や大福食べるの好きだった」
「それで俺が夏也を守ってたことになるのか。死んでるのに。お前がそんなに幸せな脳構造だとは知らなかったわ」
痛烈に皮肉ったつもりだった。だが夏也は、ころころと無邪気そうな笑い声を転がして「そうだよ、俺は幸せだよ」などとのたまう始末だった。俺は呆気に取られてしまう。
「厭味とかじゃなくて、本当に幸せなんだよ。お通夜とお葬式でわかった。俺、あんなにたくさんの人に思われて、守られながら生きてたんだ。今度は俺が守りたい。みんなを守ることはできないけど、藤のことは守れる。父さんにはいっぱい迷惑かけちゃうけど、悪い息子で終わっちゃったけど、それでも父さんは俺のことをわかってくれるよ。できれば生きてるうちにこう思いたかったけど、今だって気付けただけで十分だ。俺、こんなに愛されてた」
「死んで自分のお葬式を傍観しなきゃわかんないなんて、どうせまた俺のことバカって言うんだろうな」。夏也はそう締め括った。当たり前だわバカ、そう返してやろうと口を開いたところで、夏也は再度言葉を紡ぎ出す。
「こうして会って話ができた。藤が俺の親友で本当によかった。もう一度生まれてくるから、そのとき一緒にいちご大福食べような」
最後の一言で涙腺が崩壊した。苦労して抑えつけた涙が、また止め処もなく溢れてきた。今度は堪える余裕もなんとかして隠す余裕も全然なかった。ただ、ひたすら涙が手の甲に落ちる。温い感触が指を伝う。これが俺の生きる痛みか。夏也が俺に託した痛みか。なんて愛しいのだろう。夏也と過ごしたなにげない日常が、胸の内側で涌き出している。
涙が止まって顔を上げた頃、陽はすっかり落ちていた。隣には誰の気配もなく、子猫が走り回ってる様子もなかった。暗くなった空を僅かに見上げ、首を動かしてここには自分ひとりだということを確認した。冷えた指先を這わせ、夏也がくれたコートの温度を実感する。あったかい。呟いた声が白い息になった。聞き慣れた声と白い息で、そりゃよかった、と返ってきたような気がした。




