藤 忠勝 8
いつだったか訊かれたことがある。そんなに昔の話ではない。誰に質問されたのかも思い出せるし、どんなシチュエーションでそんな問が吐き出されるに至ったのかも、俺はよく憶えている。「人は死んだらいつお化けになるのか」。即ち、死とはなにか。そのときは少しも思わなかったが、その疑問は、つまりそういうことでもあった。死、とはなんなのか。何度も強く握り締めた煙草の箱を、俺はまた両手で包み込んでいる。力を込めずにはいられなかった。減っている本数は二本だけ。夏也は、最後のほうはほとんど煙草を吸わなかった。最後のほう。自分の頭が選んだその表現を、俺は反芻した。夏也は最期を迎えた。十五歳なのに。俺と同い年なのに。俺がそうさせた。
精神というべきか魂というべきかは明確じゃないが、基本的には、それと肉体が完全に分離したとき。そのタイミングを、俺たちは死と呼称する。
夕暮れ時の河原は、当たり前だが昼間より冷え込む。まだ十一月だが、再三メディアが取り上げている通り、今年の寒波は異常なのだ。過ぎ行く人々は、完全に冬スタイルで身を固めている。コートを着ていないのは、ほとんど俺だけだった。
一応現行犯として逮捕されている俺をひとりで外に出すのだから、警察の連中もどうかしていると思う。俺のことを調べている刑事のひとりが、少し散歩でもと許可をくれたのだ。別に外なんて歩きたくなかった俺は当然断ったが、刑事さんは頑なに気分転換を進めてきた。未成年とは言え犯罪者に、罪をすべてほかの人間に擦り付けているとは言え犯罪者の俺にそんな提案をするなんて、腑抜けた大人だと思う。本来ならあり得ないことだ。あり得ないと言えば、この煙草とライターもそうだった。加害者が最後まで持っていたものなのに、俺に渡すなんて――俺はあのとき、余程酷い有体だったのだろう。当たり前だ。俺の目の前で、親友の夏也が自殺したのだから。取り乱さないほうがどうかしている。
とは言ってみても、今俺が外を歩いていたり、夏也の形見の煙草を持っているのは、十五歳と言う年齢故に許されたことなのは間違いなかった。年齢や境遇など関係なく、みんなもっと冷徹にならなければいけないのに。冷徹になって、厳しくすべきところでは厳しくして、優しくすべきところでは優しくすべきなのに。世界にメリハリは必要だ。
夏也の葬儀に出席したくないわけではなかった。お通夜にも行きたかった。せめてお線香をたてて、声をかけたかった。そういう約束だったとは言っても、夏也にすべての罪を押し付けている俺に、どんな顔をして夏也の家族に会えと言うのか。夏也の親父さんが面会に来たとき、すべてを暴露したかった。本当は脅されてなんかいません、進んで協力しました。証拠が全部夏也君に結びつくのはわざとです。最後の派手な爆発は俺が勝手に起こしました、だからむしろ俺が夏也君を巻き込みました。俺が夏也君を殺しました。俺が余計なことをしなければ夏也君は自殺しませんでした、夏也君は最後に自分の能力に押し潰されずにまた頑張る気になったのに、俺がその芽を根こそぎ摘みました――。いろいろな言葉が思考回路を無視して口から飛び出しそうになった。イレギュラーな爆発を起こした時点で、もう俺は夏也との約束を守る気はなかった。守れないと思った。仕方ないことだと割り切っていたし、それでいいと思っていた。けれど、夏也は首を切る寸前に言った。「約束、守れよ。俺たち親友だろ」。親友の俺が約束を破るわけにはいかなかった。涙が溢れた。刑事さんに詰め寄られる度に脅されたと言い張るのも相当辛くて涙が出たけど、そんな比ではなく涙が落ちた。額を床に擦り付けて、何度も謝罪した。謝罪するしかなかった。許されるとは思わないし、許して欲しいとも思わない。許さないで欲しいと思う。俺は恨まれなければならない。死んだ親友にすべて押し付けて、図々しく被害者面をした自分だけが安穏とした日常に戻ろうとしている。法的にきっと俺は裁かれない。俺は逃げ切る。でも、それこそが罰だと思う。俺に与えられて然るべきの罰。拒む気はなかった。夏也の親父さんに、口汚く罵られたかった。でも夏也の親父さんは、息子のお通夜に現われなかった俺に、せめて葬儀だけでもと話をしに来ただけだった。意味がわからなかった。俺を罵倒しに来たんじゃないのか。唾を吐きかけに来たんじゃないのか。殺しに来たんじゃないのか。いっそ殺してくれ。俺がそう願っているから、夏也の親父さんはそうしなかった。これは罰だ。頭の中を安い単語がよぎった。夏也の親父さんの口調は静かだったけど優しかった。息子を殺された上、犯罪者の父としてすべてのお鉢が廻ってくるのに優しかった。その優しさこそが、俺への罰そのものだった。
どんな顔をしてお葬式に行けばいいのかわからなかった。だから俺は行くべきだった。俺が殺した夏也を見ること。俺に殺された夏也のその家族と向かい合うこと。怖いからこそ、俺はその罰を甘受する必要があった。でも結局逃げた。そこまでの勇気は、俺にはなかった。お葬式が終わってから、話だけ刑事さんから聞いた。夏也の姉も恋人と参列していたらしい。
そういえば、俺、泣けるんだな。ふと思考が現実へと戻り、そんな感想を抱いた。泣いても泣いても、涙は零れた。夏也が自殺したときも、相当泣いた。あれだけ泣いてもまだ泣ける。いつもクールに振舞っていたし、その行為を意識したつもりもほとんどないが、俺は実は感情豊かな奴なのかもしれない。
死。その定義を、頭ではずっとわかっているつもりだった。小さい頃から霊感が強かった。突然見るようになったものだから、一時期外に出るのが怖くて不登校になったりもした。吹っ切れてちょっかいを出してくる奴らをぶっ飛ばし始めて、それでも死の定義は自分の中では変わらなかった。夏也が言うのとは違う意味で、俺は死に慣れていた。そういうものだと思っていた。人は死ねばこうなるのか。そう思って、忌み嫌ってさえもいた。でもそれは、俺が死を体感していないから成り立つ式だった。違う、成り立っていなかった。俺は死をわかってなんていなかった。
「まさか、こんなにも空虚な感じになるなんて」
誰とはなしに呟く。レンズを通さない俺の視界は至極クリアで、見えてはいけない奴らで溢れていた。多少目が合っても、相手をする気力なんて当然なかった。それをわかっているのか、奴らは今日は少しも歩み寄ってこなかった。霊のくせに空気の読める連中だ。
煙草を握り締める手が冷たい。やっぱりコートくらい借りてくるべきだったかもしれない。刑事さんがなにか用意してくれようとしたけど、断って出てきた。失敗だった。そういえば夏也のマフラーは家に置いたままだ。事件を起こす前に、約束のひとつとして夏也から預かったマフラー。俺があげた、可愛らしく太陽の刺繍がされたオレンジ色のマフラーだ。夏也の親父さんに返そう。刑事さんにはすぐ戻るって言ってあるけど、あのマフラーだけは一刻も早く渡したい。夏也が大事にしたのだから、あれは夏也の記憶になる。俺なんかが持っていたらいけない。早く返しに行かなくちゃ。その一心で、俺は立ち上がった。立ち上がった瞬間に、酷い立ち眩みで額を押さえた。
「貧血かよ。ちゃんと飯食わなきゃダメじゃん。それ以上痩せたらモデル体系じゃなくなるぞ、今すごくベストなんだからさ」
うるさい。大きなお世話だ。お前にはなんの関係もないだろ、ほっとけ。ほっといてくれ。俺はそう言って、河原から道に上がろうとした。上がろうとした、だけだった。足がその場で停止した。
「今日の藤は饒舌だな。いいよ、いっぱい喋ってくれたほうが面白いし楽しいもん」
飽きるくらいに聞いてきた声だった。その声の持ち主を、考えるまでもなく俺は知っていた。答えははっきりしているが、疑問のほうが強大だった。どうしてこういうことになっているのか、俺にはその理由がわからなかった。
「最後のお別れに来てくれないから、化けて出た。煙草貸して。まだ吸えるのかな、俺」
上機嫌に声を弾ませるその正体を、俺は最初、信じられなかった。振り向くことさえできなかった。こんなことはあり得ない。そう思ったが、俺にとって、それは普通のことだった。見えてはいけない奴らが、今日も俺の視界を邪魔しまくっている。
「こっち向けよ、藤。なに照れてんだよ。俺だよ、夏也だ」
足元に、真っ黒な子猫と真っ白な子猫が擦り寄ってきた。そうか、そういうことなのか。クールにそう納得しようとしたが、俺は、身体が震えるのを上手く制御できなかった。




