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七瀬詩仁 4

「見ろよ、体育館から煙が出てる!」

 クラスメートの誰かが声を張り上げた。いや、ほかのクラスから紛れ込んできたイレギュラーかも。今のこの状況なら、教室に見知らぬ面子が混ざっていたとしても不思議なことではなかった。こんな事態だからこそ自分のクラスにいろよ、と悪態をつきたくなった。今ばかりは、冷静に突っ込む余地があるなら、その分頭の奥の冷温を保っておくべきだ。女子男子問わず、不安げに顔を強張らせ始めるクラスメートたちを横目に、俺はそう考えた。

 窓から体育館を見る限り、爆発の規模は大きくなさそうだった。白い煙が不穏な空気を醸しつつ上空に伸びているけど、建物自体は大したダメージを食らっていないように見える。授業終了のチャイムが鳴って十五分経過しているし、誰かが巻き込まれた可能性も限りなく低い。念のために確認する必要はあるけど、それは先生たちがするだろう。

 担任の教師は、まだ教室に戻ってきていなかった。実のところあの先生はあまり好きじゃないけど、今日は早く戻ってきて欲しい。いくらクラスに冷静な奴や頭がいい奴、クラスのリーダーがいるとしても、やっぱり大人はいてくれたほうがいい。早く来いよ、と小声でひとりごちた矢先に、先刻の三橋の言葉が耳の奥で反響した。

 隣の校舎、だから第一校舎だ。三階の窓が連続して破裂した。体育館で爆発が起こったことが前触れだったんだろうが、そんなところまで認識できない。教室の中でも外でも悲鳴が飛び交い、俺もその例に漏れず、みっともない声をあげてしまった。目も瞑った。当然ながら給食などという和やかなムードではない。各々が席を立ち、仲のいいメンバー同士で固まっている。三橋の声が再び頭の中で響いた。「忠勝君を見張ってて」。最初の轟音が弾けた瞬間に頭から消え失せてしまったが、三橋はそう言っていた。視線を巡らせ、藤を探した。教室の隅で塊を作っているクラスメートたちを掻き分けても、壁際に寄っているひとりひとりの顔を見まわしても、その姿は見当たらなかった。

「藤は、いない?」

 誰かに訊ねたわけではなく、勝手に口から転がり出た声だった。再びどこかが爆発した。小刻みに連鎖する爆音の大きさは様々で、それはどこで起こっているのか、この校舎から遠いのか近いのかまるでわからない。校舎が揺れた。鼓膜が張り裂けるかと思うような、耳元で銅鑼を鳴らされたような相当量の音が耳朶を突き破った。クラスメートたちの甲高い悲鳴が跳ねる。またしても俺は目蓋を閉ざす。反射なんだからどうしようもなかった。音と反動からすると、今の炸裂はかなりの至近距離か階下だと思う。

「みんな、ケガしてない!?」

 爆音が余韻を引っ張っている頃、聞き慣れた声が教室に飛び込んできた。佐伯先生が教室の敷居を跨いだところだった。クラスのみんなを取り巻く張り詰めた空気が、ほんの少しだけ緩められた。年若い女性とは言え、危機的状況で大人がついていてくれるのは気持ちが違う。普段は突っ張っていても、自分を含めたみんなが大人に守られている子どもであることをこういうときに自覚する。

 佐伯先生は、駆け足で俺たちに近づいてきた。険しい表情だった。難しく眉根を寄せた佐伯先生を、普段の授業の中で見た経験など俺にあるはずもない。大人が来てくれたからと言って、安堵していられる状況ではないのだ。改めて思い知ると、リアルタイムの緊迫が一層の強みを持って押し寄せてきた。これは夢じゃないだろうかと、淡い妄想が脳の隅を掠めた。

 なるべく生徒たちを安心させようとしているのか、佐伯先生は眉を下げて軽く微笑んだ。引き攣った作り笑顔であることは明白だったけど、現状に曝された上で表情を繕えることは、素直に尊敬できると思う。大人はこうじゃなくちゃいけない。基本的には必要以上に教師と関わりたくないけど、佐伯先生とだけは普通に会話できる。したいとも思う。根本たる理由は、たぶんここだ。

「担任の先生は、ほかの先生と一緒に生徒が爆発に巻き込まれてないか確認してる。幸いなことにお昼だから、教室を出て歩き回ってる子はいないだろうけど一応って。このクラスのみんなの誘導は先生がすることになったの」

「なにが起こってるんですか? どこが爆発しただとか、放送でもあればいいけど」

「放送室は爆破されちゃってて使えないの。どこがどんな規模で爆発してるのか、それも確認中。場所によって爆発の威力も違うみたいだから」

 不安げに訊ねた生徒に、佐伯先生は要点だけを指し示した。誰かがこの学校に故意に爆弾を仕掛けている。百歩譲っても誘爆とは考えられない距離を結んで、複数の爆発が起こっている時点でそれは明らかだった。でも、まさか放送室を攻撃するとは。この学校の生徒は、スピーカーの音声で正しい情報を掴んで動け、というスタンスの訓練しか受けていない。学校としても、校内放送で現状を発表するのが最もスマートなのだろう。今まで学校が義務として重ねてきた防災訓練を無意味にする、犯人はそんな確実な手段を選んできたというわけだ。

 それなら、出始めに爆破するのは放送室のほうがよかったのではないかと思う。意に反して、最初に爆風を立ち込めさせたのは体育館だ。放送室があるのは第一校舎の一階だ。二度目の爆発は第一校舎の三階でのことだったけど、この拍子に一緒に爆ぜたのかもしれない。同時に派手な爆発が起こっているのなら、誰でもそっちに気を取られる。放送室への攻撃はわざと遅らせた。頭のいい奴がやりそうなことではある。

 クラスメートたちの肩をかき分け、俺は藤の姿を探した。やっぱり教室にはいなかった。こうなることが三橋にはわかっていたのだろうか。だから俺に藤を見張れと言い残した。爆発のほうに意識を奪われ、俺はそれを守れなかった。

 佐伯先生は、怯えたように身を竦めたみんなの誘導を始めている。クラスのリーダー的存在の何人かは、積極的に佐伯先生の手伝っていた。誘導している側はみんなを安全にこの場所から離すことで手一杯、されている側は安全にこの場所から離れることで手一杯だ。いるはずの生徒がひとり、いや、三橋もいないからふたりだ。欠けていることに誰も気付いていなかった。

「七瀬君、早くこっちに」

 窓際で静止していた俺を見つけ、佐伯先生は手招きした。誘導の手助けをしてくれた生徒たちを先に行かせ、俺に近付いてくる。俺は窓から下を覗いた。足場が目についた。窓から窓へ、一定の間隔で足場が連なっていた。普通なら滅茶苦茶きついだろうが、ある程度の度胸と運動神経があれば、壁の出っ張りや溝を伝って下ることはできそうだった。

 藤の運動能力ならできる。藤はここから出て行った。連続した爆発でみんなが目を瞑っている間に、この足場から外に出ていたのだ。三橋によると、夏也が第三校舎にいるらしい。俺は生唾を飲み込んだ。

 窓を開けて足をかけた。藤の運動神経だって相当だけど、スポーツテストの総合評価は、毎年俺のほうがちょっぴり高得点だ。体を動かせば、強いのは藤じゃなくて俺だ。やれる。決心して、俺は踏み切った。その瞬間、佐伯先生に羽交い絞めにされていた。

「ちょっとなにやってるの、七瀬君!」

 思ったよりも強い力で背中から腰をがっつり掴まれ、俺は噎せ返りそうになる。窓の淵にかけた手に力を入れて、俺は必死に抵抗した。

「放せよ、先生! 俺だってこのくらいできる!」

「放すわけないでしょ、落ちちゃったらどうするつもりなの! 早くみんなと一緒に逃げなきゃ!」

「藤にできて俺にできないことあるかよ! 運動神経は俺のほうが上なんだから!」

 そんな話してないでしょ、と佐伯先生が声を張っている途中で、またどこかで爆音が響いた。短く悲鳴をあげた俺は、その隙を突かれて佐伯先生側に引っ張られた。佐伯先生と一緒に倒れて、俺はすぐに立ち上がった。その腕を、佐伯先生はまた掴んだ。両手だった。

「どこに行くつもりなの。早く逃げなきゃ」

「藤がいない。三橋もいない。第三校舎に行ってる」

「藤君と三橋君?」

 佐伯先生は担任ではないし、この状況なら、いるはずのクラスメートがふたりいないことに気付いていなかったとしても仕方なかった。むしろ、落ち着いて生徒たちを校舎の外に向けて送り出したのは尊敬できる。誰しもマニュアル通りに動けるとは限らない。

 言うべきか言わないべきか、惑う意思が胸の内を横切った。悩んでいる時間はなかった。早口で俺は告げる。

「夏也が来てるみたいなんだ」

 佐伯先生が目を見開いた。相当驚いている。俺は続けた。

「四時間目は先生の授業だっただろ。そのときから、夏也は第三校舎にいたみたいなんだよ。三橋だけがそれに気付いてて、だから授業が終わったらすぐに夏也のとこに行った。なんか、ただならぬ気配を察知してたみたいだけど」

「それで三橋君は、授業が始まっても上の空みたいになってたってこと?」

「たぶん」

「じゃあ七瀬君は、この爆発は壱井君が起こしてるって思ってる?」

「……たぶん、夏也は絡んでる」

 藤を見張れと三橋に釘を刺された、とは言えなかった。藤がいつの間にか教室から姿を消している時点で、夏也とグルなのは明らかだ。三橋も藤も第三校舎に行ったと教えたから、佐伯先生は、そのふたりだけが夏也を発見して追いかけたと思ってくれるだろう。とりあえず、今はそう認識してもらっておいたほうがいい。夏也もそうだけど、藤も無意味に学校を破壊したりしないはずだ。まして、盛大に爆弾まで仕掛けているなんて。どんな理由があってこの行為に及んだのか、突き止める必要がある。

 夏也の自棄か。夏也は一度、自殺を図っている。姉との関係性が完全に決裂したことをとどめとして、それに踏み切った。結論はそうでも、俺だってその付近で夏也を傷つけている。少しの配慮があれば、夏也は自殺まで至らなかったかもしれないのだ。夏也の自棄なら、俺にも責任がないわけじゃない。

 佐伯先生の手を振り解き、俺は再度窓辺に片足を引っ掛けた。佐伯先生がしつこく止めにかかる。わたしが行くからあなたは逃げてなどと言う。俺が行ってもどうにもならないかもしれないけど、佐伯先生が行ってもきっとどうにもならない。それなら俺が行ったほうがいい。三橋が夏也と対峙しているなら、そこに追いついた藤は必ず夏也に加勢する。俺が行かなきゃ。架け橋となっている渡り廊下は今のところ無事だけど、第三校舎に本当に夏也がいるなら、道筋は封鎖される可能性がある。爆発に巻き込まれたら洒落にならない、通路は使わずに壁を伝ったほうが賢明だ。窓が吹き飛んでも壁がなくなるような強烈な爆発の例はないようだから、この手段を選んだほうが安全とも思われた。

 先生の声を無視して、窓辺の足場に降り立った。慎重に足場を踏み分け、壁を這って移動する。ここは四階だ。落ちたらただでは済まはない。緊張で手汗を掻いたけど、迷っている暇もなかった。藤にやれたんだから俺にもできる。危ないからやめて、そう叫ぶ佐伯先生の声を、俺はひたすら意識から弾き出した。










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