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三橋優輝 7

近日中に、最後までのせときたい。

 いつもと違った様子があるか、と訊かれればそうでもない。ならばいつもとまったく同じなのか、と訊かれても、それは肯定し兼ねると優輝は思う。机に肘をつき、優輝の目線は、藤の姿をひたすらに追っていた。外側の窓際の一列に机を連ねている藤は、退屈そうに窓ガラスの向こうに視線を投げていた。友達が少ないわけではないが、藤のほうから話しかけていくことはあまりない。藤がひとりでぼんやりと座っているのも、極めて日常的と言えた。

 間違いなく藤はいつもと変わらなかった。十一月後半に入ってから行われた中間考査でも、藤は当たり前のように学年トップの成績を収めている。

 端麗な容姿と桁はずれた頭脳こそは非凡だが、それも藤に備わっている当然のスキルだ。藤に妙なところはない。頬杖をやめることなく、優輝は内心で静かに言い聞かせている。だが、いくら説き伏せようとしたところで、自分の視覚を誤魔化すことなどできなかった。ここ最近、藤を取り巻く空気に奇妙な違和感が織り交ぜられている。優輝の胸の内の声は、はっきりと言い切った。その瞬間に、藤を疑問視する自分の目に、一挙に藤の心境を探知する能力でも根付いたかのような気分になった。もちろんそれは錯覚なのだが。

 では、この異質な違和感は、一体どこから湧き出しているのか。苛々するでもなく、優輝はじっくり思考した。微妙に升目が噛み合わないだけのような、この小さな違和感に気付いている人間はほかにいるのだろうか。自分だけが察しているなどと自惚れを抜かすつもりは毛頭ないが、違和感を数値化したとして、日常の数字との差分は微量だと認識するのは別だ。わざとそう振舞っているのか、わざとフィットしない一面を曝しているのか。その場合の狙いはなにか、端から藤の意識には関係がないのか。ミステリアスな藤からは、正しい情報を判別することさえも難しかった。

「藤の奴、最近机蹴らないよな。いきなり拳作ることもないし」

 頭をフルに回転させる優輝に水を差したのは七瀬だった。思考の展開を邪魔されたことに、特に感じることはなかった。七瀬が指摘したニ点を、優輝は素直に取り入れた。言われてみれば、ここ最近、確かに藤は得意の霊感ショーを開催していなかった。

 優輝の机に両手をつく七瀬の表情は、いつになく真剣だった。壱井との一件があってからというもの、七瀬も藤を気にかけている。話によれば、七瀬は反省して壱井に誠意を示してはみたが、今現在も拒まれた状態は継続しているらしい。もともと七瀬が壱井を傷つけているのだから、しつこく言い寄ることもできない。やれるだけのことをして拒否されているのなら、七瀬に尽くせる手はもうなかった。

 つまり、今この瞬間、壱井と関わりを持っているクラスメート――友達と言い換えるべきか。壱井はその存在を放棄している。藤は壱井の親友だから、この枠とは別だ。藤だけは、壱井と連絡を取り合えているというわけだ。

「静かすぎる、のかな」

 七瀬に聞かせる意図はなく、優輝は無意識にぼやいていた。七瀬は勝手に応じてくるが、それは不愉快と思うこともなかった。

「かもな。鬱陶しいとかなんとか言って、あれだけ頻繁に机蹴ったり殴ったりしてたのに。お化け、見えなくなっちゃったのかな」

「嘘は吐いてなかっただろうしね」

「ああ」

 藤が唐突に大人しくなったことに対して、クラスメートはさして驚いてもいなかった。休み時間には高い割合で藤の机の周りにたかっていたというのに、イベントがなければないで特別誰も構わないらしい。不思議なことではなかった。藤が自発的に霊感ショーなるものを始めたわけではないし、その名前もギャラリーが勝手につけたものだ。定番行事がひとつ欠けても、学校には話の種などたくさん転がっている。

 違和感を違和感と捉えるか。要点はそこだ。少なくとも、七瀬は藤の噛み合わない部分を奇妙だと感じている。

 つい何週間か前、七瀬の様子が芳しくない、と話していたのは藤だった。道化た現実世界を、優輝は鼻で笑ってやりたくなる。

 佐伯は、今でも足まめに壱井の家を訪ねているのだろうか。佐伯は壱井を念頭に置いてあるのかもしれないが、自分とはいちいち探りを入れるような間柄ではない。それはそれでいい、と思っている自分も確かにいる。七瀬にも、壱井が再び心を開いてくれるようになるまでは、関係性を諦めてもらうしかない。優輝の頭の中では、既にきっちりと整理ができている。そうだというのに、後味の悪い胸騒ぎがしている。正体のわからない蠢きが優輝の胸の内側に駐屯していた。

 チャイムが鳴った。騒がしかった教室は徐々に静まり、生徒たちは自分の席に戻る。七瀬も優輝から離れた。じっと席に座っていた優輝は動く必要などなく、藤とは逆の方向に首を向けた。藤の席は外側に位置しているが、その反対側もまた、廊下を挟んで外に面している。その更に向こうの渡り廊下を伸ばした先に、もうひとつ校舎がある。中等部の敷地には三棟の校舎があり、西側から第一校舎、第二校舎、第三校舎と呼ばれている。優輝たちの教室があるのは、第二校舎の四階だった。渡り廊下で繋いだ端の第三校舎には一階の音楽室くらいしか需要がなく、あとはほとんど使われていない。昔、この学校の総生徒数がもっと多かった時代に使用していたものが、今もそのまま残っているのだと聞いている。つまりこの校舎のニ階から上を人が歩いているのはおかしいと、いうことだ。

 そこまで考えて、優輝が第三校舎のほうを向いたのではなかった。一瞬のうちに、そこまで考えるに至る必要があった。第三校舎のニ階の廊下を、生徒が歩いていた。優輝は思わず目を見張り、傍から見て不自然ではない程度にそこを覗き込んだ。さすがに顔はよく見えなかった。が、小柄で繊細そうな体躯に見覚えがあった。制服は少し大きめのようだが、学年まではわからない。髪は真っ黒だった。

「三橋君!」

 大きな声で名前を呼ばれ、優輝の肩はびくりと跳ねる。何事かと驚く優輝に対し、生徒たちもまた、何事かと目を丸くして優輝に視線を集中させていた。教卓には、チョークと教科書を左右の手持った佐伯が立っている。なにか超常現象でも目撃したかのような、呆けた表情で目を瞬いていた。

「三橋君、どうしたの? 授業始まったよ」

 言われて、ようやく優輝は時計を確認した。四時間目は現代国語だ。さっき、チャイムが鳴っていたではないか。おそらく佐伯は、何度も自分を呼んだのだろう。小さく謝罪し、顔の下が熱くなるのを感じながら、優輝は机の空洞から教科書を取り出す。もうすぐお昼だからな、とフォローとも言えないフォローがどこからか飛んできた。それを皮切りに、教室中は笑いの渦に包まれた。厭味はなく、不快でもないが、優輝は一緒に笑えなかった。さすがにこの状況で、第三校舎の階下を確認することはできなかった。視線を巡らせ、藤と七瀬に照準を合わせた。藤は相変わらず興味なさげに外を眺め、七瀬は訝しげに首を傾げている。この様子なら、第三校舎に人がいるのを発見したのは自分ひとりだけだ。藤の席からは、第三校舎ニ2階など目視できないだろう。

 教室の空気が授業に戻り、よく通る佐伯の声が教科書を読み上げている。就任した当初に比べれば、随分と堂々と張りが出たものだ。つい評価してしまうのは、毎週決まった日取りの決まった時間に同じ授業を受けているから無意識なのだが、今はそんなことに頭を働かせている場合ではなかった。黒板に綴られる文字をノートに書き取りつつ、優輝は、ちらりと第三校舎のニ階に視線を投げる。もう人の姿はない。あれは見間違いではなかったはずだと、優輝は確信している。自分に藤のような霊感はないし、まさか犬猫を人間と思い込んだわけでもあるまい。あの人物は誰なのか。いっそ腹を下したとでも嘘を吐いて、第三校舎に確認しに行こうかとも考えた。それほどまでに、あの黒髪の少年が気になっていた。胸のざわつきも大きくなっている。だが、一度教室中の笑いを買っている手前、そこまでする勇気は湧かなかった。

 授業終了のチャイムが鳴り始め、クラスの空気が一気に綻んだ。やっと昼だと伸びをする者、お腹空いたと嘆く者。まだ終礼は済んでいないのに、生徒たちは勝手に和やかなムードとなる。礼をして終わりにしようと佐伯が声を張る中、優輝はこっそりと第三校舎を見やった。授業中、何度も視線を送ったが、一度として黒髪の少年は現われなかった。そうだというのに、このときばかりはその少年が立っていた。優輝の目線と同じ四階だ。はっきりと見えたその顔、そして目線がぶつかった。優輝は目を大きく開く。彼の口が、なにか言っているように動いていた。なんと言ったのかわからなかった。彼はポケットから煙草を取り出し、それを銜えて優輝を視線の外に追い出した。くるりと向きを変え、彼は校舎の奥へと消えていく。

 チャイムが鳴り終わった。佐伯先生が教室を出るより早く駆け出したかったが、理性で押し留まった。そんなことをすれば、教室にいる誰もに奇異の目で見られることはわかっていた。急く気持ちと同時に、冷静に目立たず行動すべきと落ち着いた判断を下す気持ちもあった。

「三橋、そっちに誰かいるのか?」

 佐伯先生が教室を後にし、給食当番が割烹着を着て給食室へ向かった頃、七瀬が優輝の肩を叩いた。相変わらず整った容貌を怪訝そうに歪め、七瀬は返答を待っている。七瀬を伴うべきか否か、即座に優輝は計算を打ち出す。七瀬だけは優輝が頻繁に第三校舎に目をやっていたことに気付いていたらしい。

 ――七瀬だけは?

 優輝の脳の中央で、単語が疑問符となって反響する。いや、それはあり得なかった。彼が彼である時点で、七瀬だけが優輝の目の動きを追っていたとは考えられない。優輝は咄嗟に視線を泳がせる。賑やかなクラスメートたちに紛れ、藤はわざとらしく席に着いているだけだった。

「壱井が来てる」

 小声で素早く、優輝は言う。素っ頓狂な声をあげて仰け反りそうになった七瀬の腕を、優輝はがしりと片手で掴んだ。

 平常を装え、優輝は七瀬に目で伝えた。意図は通じたらしく、七瀬は頷いた。七瀬の腕を解放し、優輝は向き直る。なんでもない空気を醸すには、変に声音を低めたり緊張しないほうがいい。周囲の生徒たちは、どうせ誰ひとりとして自分たちの会話など聞いていない。

「なんだか知らないけど、髪が真っ黒になってる。こっちに向かってなにか言ってた」

「第三校舎?」

 胸騒ぎの原因は壱井だ。不快に跳ねる心臓を必死に抑制する。何故かよくわからないが、嫌な予感がする。早く壱井のところへ行かなくては。キミは教室にいて、と言い残した優輝を、鈍感にも七瀬は引き止めた。今度は意図が上手く伝わらなかったことに若干の苛立ちを覚える。一秒でも早く壱井のところに行く必要がある。優輝の内側では、最早警鐘が鳴っていた。授業が始まる前からあった胸騒ぎは、もうこれ以上の大きさはないだろうと言うほどに大きくなっていた。「死に向かっている」。壱井の口癖が、唐突に優輝の脳内を駆け巡った。

 誰かの死を視たか。それでどうして学校に来る。学校関係者なのか。あんなに赤かった髪を黒染めした理由は。登校するからけじめをつけた、と言うには煙草を持っていたし、そもそも普通に登校するなら第三校舎に用はない。壱井はなにかしようとしている。そしてそれはおそらく、いや、絶対だ。藤と絡んでいる。

「忠勝君」

 短く、小さく優輝は言った。七瀬は眉を顰めただけだった。

「忠勝君を見張ってて。とりあえず見てるだけでいいから」

「藤を? なんで?」

「いいから、言う通りにして」

 七瀬は納得いかない表情だが、優輝は強引に言い残して教室を出た。藤が壱井と本当になにか仕組んでいるとして、教室で堂々と目立つ真似をするとも思えないが、見張り役とただのエキストラでは目が違う。悪いことにはならないだろう。早足で渡り廊下を通り抜け、優輝は第三校舎に踏み込むと同時に走り出した。




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