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三橋優輝 6

 制服から私服に着替えた藤は、十五歳という年に似つかわしくないシックな空気を纏っていた。全体的に黒を基調としたスタイルに、白いシャツの襟元に緩く締められた棒ネクタイもやはり黒い。家から一歩でも踏み出せば、性別や年齢を問わず人の目を惹くことは明らかだった。顔を見れば十代半ばとわかるのだが、そのあどけなさが藤の持つ妙な色気を更に強調している。とうの藤は、周囲のそんな反応には慣れっことばかりに、堂々とエンジニアブーツを鳴らして歩いていた。

 優輝は藤の私服姿を見るのは初めてだった。ここまでお洒落な藤と制服の自分が並ぶのは多少場違いな気がするが、前後に列を作ることのほうが不自然だ。興味本位でいつもそんな格好をしているのかと訊ねてみると、藤はあっさりと頷いた。藤本人に服の趣味はなく、双子の弟の見立てだそうだ。藤に双子の弟がいる事実に、優輝は素直に驚いた。ふたりで街を歩いていたら、双子でデビューしないかと芸能界にスカウトされたことも何度もあるそうだ。

「俺と違って、服やら靴やら大好きな奴だな。自分と同じ顔してるから、着たいものがふたつあって困ってるときは片方を俺に着せてれば満足できるらしい。変わってるだろ」

「兄弟で服を共用してるってこと?」

「俺は極力、自分のしか着ないように心がけてる。服の貸し借りって姉妹専用のスキルだろ」

 会話しているうちに、あの河原へ辿り着いた。かつて壱井がモノとクロを飼っていた場所だ。階段を降りて、優輝たちは川岸に腰を下ろした。このすぐ上側にある道路で不幸な事故があり、人の命が失われていることなど、誰も覚えていないかのように平凡な世界が展開している。壱井は、その平凡な世界に拒まれた。

 自殺願望などとは無縁の生活を送っている自分の安寧な生活を、優輝は思い知らされる。自分がなんの気もなくテレビを眺めているとき、飲食しているとき、眠っているとき、命の終わりを否応なく知ってしまうことも含めて、壱井は終始追い詰められていた。その到達点が自殺のはずだ。だが、日常的に追い込まれているなら尚のこと、藤が読む通り決定的な事件があったと考えられる。親友との連絡を絶ってしまうのだから、並はずれたショックを伴う出来事だったことは明らかだった。

 やはり七瀬か。今の七瀬なら、もともと傷だらけだった壱井の精神を、更に切り刻んでいても不思議なことはなかった。七瀬はもう少し友達甲斐のある人間だと思っていた分、それは優輝にとっても非常に残念な結果ということになる。とは言え、友達に突き放されただけで、親友と呼べるほどに信頼している友人を拒絶することになるだろうか。確かにショックはショックだろうが、親友がいるのなら、その親友に辛い気持ちを打ち明けるのではないか。少なくとも優輝が壱井の立場だったならそうしている。壱井から電話がかかってくる直前、藤がなにか言いたそうに口を開いたことを思い出した。藤には七瀬のこと以外で思い当たる節がありそうだ。

 催促しようと藤に向き直った瞬間、背後に人の気配があった。駆け抜けてきたのか、酷く息切れしている。優輝が振り返るよりも早く、藤はそちらを見ることなく息を吐いた。

「よお」

 藤の声の調子は、優輝が聞く限りではいつもとまったく同じだった。表面が繕われているだけであることは、隣に座っていればわかった。聞き慣れた藤の声が、いつもと同じ経路を経て優輝の聴覚を刺激する。その上で藤は、自分がいつもと違うことを相手側がわかっているのを前提に声を発している。振り返ることはせず、優輝は自分の後ろに立っている人物を把握した。藤のポーカーフェイスを内から崩すことができるのは、現状ではたったひとりだけだった。

「なんの用だ。今更関わってこなくていいぞ、殺されたくないんだろ」

「夏也の家に、行ったんだけど」

 なんとか気持ちを鎮めているようだが、掠れがちの声は動揺していた。七瀬の口から壱井の名前が飛び出し、そしてそれが不快なのか、藤は微かに眉を顰めた。背を向けられている七瀬は当然、藤の反応に気付いた様子はなかった。

 肩を上下させる七瀬の声には吐息が混ざる。

「なんか警察がいっぱい来てた」

「自分で手首切ってたんだよ」

 藤は口を閉ざして奥歯を噛んだ。だから、優輝が代わりに伝えた。七瀬は瞳孔を大きく開いた。構わず、優輝は淡々と状況を説明する。本当の意味で七瀬が壱井を拒絶したいのならこうして話を聞くこともないだろうし、そもそも壱井の家を訪ねたりしないだろう。藤がどう感じるかはひとまず置いて、七瀬にはことの経緯を知る資格があるように思えた。

 直立したままだった七瀬は、力が抜けたように腰を落とす。夕陽に照らされた金色の髪を、七瀬はぐしゃぐしゃと掻き毟った。

「俺のせいだ。俺があんなことしたから、俺のせいでこうなったんだ」

「やっぱりそうかよ」

 間を置かず、藤は冷たく吐き捨てた。いつもならそんな思考回路をまるごと抜かした言い方はしないだろうが、今の藤は異なっている。理屈と感覚は等価ではない。壱井に恐怖を感じる七瀬のほうが正常で、そうではない自分のほうが異常だと自己分析していても、それを実際の世界にスライドさせることは難しい。

 責められることは承知しているらしく、七瀬は大人しかった。藤は再び口を閉じた。数秒の後、藤は言った。

「夏也になにをしたのか、具体的に聞かせろ」

「ニ週間くらい前、道で夏也とすれ違って、声かけられそうになったけど無視した」

 隠すことなく、七瀬は答えた。この時点で藤の感情の変化は見受けられなかった。

「夏也がびっくりしてたのわかってたけど、俺、わざと振り返らずに帰った。何日かした後にもう一回ばったり会ったんだけど、これもスルーした。その次の日に、夏也から電話があって」

「なんて」

 促す藤の口調は静かだ。七瀬は爪で地面を引っ掻いた。どうしようもない自責の念に喘いでいるような、痛々しい動作だった。

「俺のこと避けてるよな、って。もしなにか悪いことしてるならちゃんと謝りたいから、会って話がしたいって。それで、俺、一言だけ謝って一方的に切った。もうかけてこなかった」

 藤が右の拳を強く握り締めていることに、優輝は気付いた。いっぱいまで力を込められたその右手が、不意に緩められた。そうか、と一言だけ藤は応じ、長く息を吐き出した。体内を循環する汚れた物質を、すべて出し尽くそうとしているようだった。代替の新鮮な空気を取り込む様子はなく、藤は相変わらず七瀬に視線を向けなかった。

「夏也の性格にその仕打ちはきついわ。でも、それだけを苦に自殺を考えるとは思えない」

 おや、と優輝は小首を傾げた。「ここでお前を責めても仕方がない、だから一旦耳を貸せ」。言葉の意味合いとして、藤はそんなニュアンスを滲ませていた。だが、そればかりではないような気がする。

 藤が指示すると、七瀬は優輝の横に移動した。俯いて座り直した七瀬は、自分の話はまだ終わっていないと前置きしてから続けた。

「俺、後悔してたんだ。夏也は友達なのに、酷いことしてるって思ってた。関わってればそのうち俺も死んじゃうような気がして、その気持ちのほうが強くて」

 言いわけだな、と優輝は思った。だが七瀬にもその自覚がある。だから、声がだんたん小さくなっていく。自分を庇護しようとして言葉を並べているのではないのなら、それを阻もうとも思わなかった。藤のほうも抵抗なく七瀬の声に耳を傾けている。

「でも、踏ん切りをつけた。直接謝って仲直りしたくて、メールだけ入れて家に行った。そしたら」

「既に夏也は自殺を図ってて、救急車も警察も来た後だったってわけか」

「今日じゃなくて、三日くらい前の話なんだ。俺が夏也の家に行ったら、ちょうど玄関から女の人が出てくるとこだった。あの人が夏也の姉ちゃんなんだろうけど、なんかちょっと様子がおかしくて」

 言葉の途中で、藤が瞳を大きく開いた。藤が反応した単語はどれかと、優輝は七瀬の言葉を噛み砕く。

 そういえば、壱井には姉がいると聞いた。猫アレルギーらしいということしか知らないが、なにか優輝の中で引っかかっている。すっきりしない感覚だった。

「壱井って、お父さんが連れて帰ってもいいって言ってるのにも関わらず、モノの面倒はここで見てたんだよね」

 記憶を掘り起こし、優輝は口にした。藤も七瀬も優輝に注目した。

「壱井のお姉さんが猫アレルギーだから、わざとそうしてたってこと?」

「夏也がモノを連れて帰った日のことだよな、俺も憶えてる」

 自己の話を中断して、七瀬は優輝の話に照準を定めた。

「自分の子供がアレルギー持ってるってわかってるなら、その言葉は親としてちょっとおかしいよな。俺も妙だとは思った」

 ことのあらましを知らない藤に、優輝は要点だけを伝えた。壱井には姉がいること、その姉が猫アレルギーらしいこと、にも関わらず、壱井の父は野良猫を家に入れることを許可し、そして壱井自身がそれを拒んでいたこと。説明しているうちに、優輝は奇妙な気持ちになった。藤が壱井と古い付き合いなら、壱井の姉の存在を知っているのではないか。むしろ知らないほうが不自然だ。さしてリアクションを示さず、静かに身を落ち着けている藤が少し腑に落ちなかった。

 となると、先刻藤が反応した単語は、壱井の姉関連か。なんだかどこか噛み合わない。言いようのない違和感を肌で感じながら、優輝は七瀬を促した。壱井の姉は、どこがどう様子がおかしかったのかが気になった。

「夏也の姉ちゃんが出てくる前に、なんか家の中で口論みたいなのしてたみたいでさ」

「口論?」

 訊き返したのは優輝だ。なにを考えているのか、藤は無言の状態を維持している。七瀬の話だけに集中しているのではなく、優輝には自分で別の思考を展開しているようにも見えた。

「よくは聞こえなかったけど、声が外に漏れてた。でも、一言だけ聞いた」

「なんて」

 ここで声を発したのは、藤だった。七瀬もバカではない。藤が壱井の姉の存在を知らないとなれば、それは不自然だと認識するだろう。優輝は藤の横顔を覗いた。美麗な顔立ちは、不機嫌そうに眉を顰めている。藤の反応を窺うように、七瀬は少し引っ込みがちな口調で答えた。

「夏也が言ってた。じゃあもういい、散々辛い目に遭って死んじゃえ、って」

「それで」

「姉ちゃんのほうは、なにも言わず家を出て行った。男の人とどこか行っちゃったみたいだけど」

「まじかよ。冗談きついわ」

 嫌な予想が的中した。藤はそんな雰囲気の溜息を吐いた。え、と七瀬が口篭った。藤は額を片手で押さえた。

「友達だから言えないこと、だよ」

 それだけの言葉で、七瀬は察したようだった。お前は知ってたのか、と言わんばかりに優輝に視線を投げかけてくる。優輝は黙って首を横に振った。

 七瀬とは以前、壱井が言う「友達だから言えないこと」について話をしたことがある。壱井がなにかを恐れてその括りを作ったことは明らかだったが、今この場で更に浮き彫りになった。壱井が怖がっていたのは、修復できない姉との関係性だったようだ。自分と姉の間で起こった崩壊を、ほかの親しい人間との間で再現したくなかったのだろう。そしてそれは、七瀬が役を買って同じシナリオを辿ることとなった。

 いや、違う。壱井は、姉との関係を修繕できないとは考えていなかった。優輝はすぐに自分の考えを否定する。もし考えていたなら、モノはずっと前から壱井の家で暮らすことになっていた。現実はそうではなかった。

「つまり壱井とお姉さんの関係性は、その日、完全に壊れて修復できなくなった」

「話が早いな、お前は本当に」

 優輝の一言に、藤は苦笑を混ぜた笑みを返してきた。力ない藤は見慣れないが、たじろいでいては話が進展しない。優輝は話を前に進めることに集中する。

「それが壱井の自殺決行の決定打?」

「その可能性はある」

「七瀬は、その後壱井と話せたの?」

「ごめん。話せてない。だから今日、もう一回行ってみたんだ」

 事務的な優輝の口調とは裏腹に、藤も七瀬も、面白いように声に感情を乗せてくる。表情豊かな七瀬についてはなにも思わないが、藤に人並みの感情があったことが、失礼ながらやはり意外に思えてしまう。沈黙した空気が場を包む。優輝は再度切り出した。

「壱井からの電話の前、藤が僕に言いかけたことってなんなの」

「コケダマに水やるわ。俺、帰る」

「え」

 思わぬ回答だった。出鼻を挫かれたように、優輝は戸惑った。唐突に腰を上げた藤を引き止める間もなく、藤の背中は遠ざかっていく。

「ちょっと待てよ、藤!」

 七瀬の声が響いたが、藤は振り向きもしなかった。藤がいきなり立ち上がったことに、七瀬も困惑しているようだった。賢い藤の意味不明な行動を取る理由が、優輝にはまったくわからなかった。   

 壱井が自殺を図った。それは事実だ。七瀬が壱井を避けていた。それも事実だ。でも、なにが起こっているのかわからない。藤がなにを考えているのかわからない。嫌な予感が胸の内を這い回った。不協和音を頭の奥で無限にエコーさせているような、そんな不快感がぽつりと優輝の脳に浮かび上がっている。これが気のせいであればいいと願ったが、それを確かめる術などあるはずもなかった。





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