表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/34

藤 忠勝 5

 思った通り、夏也は佐伯先生に姉の話をしていた。それとなく当たってみようとは思っていたから、デパートで佐伯先生に会えたのはラッキーだった。もとの目的だった夏也の誕生日プレゼントの品定めは半端に終わったが、先生から話を聞けただけで十分な収穫だ。しかもそれは、想像以上の結果となった。夏也が言っていた「トラウマ」とは、どうやら相対する人間にフルシカトされることのようだ。

 真っ赤な他人に無視されても辛いのに、それをまさか、夏也は実の家族に施行されているなんて。肩の鞄を担ぎ直し、街灯の淡い光が揺らめく下を歩きながら、ぼんやりと俺はその様を想像した。年の離れた姉に、いくら言葉を投げかけても届かない。届かなくなった。夏也が辿った過程はきっと、俺なんかが至れる境地を軽く踏み越えているに違いなかった。

 「友達だから言えない」という定義があって、尚且つそれは、夏也の中で完全無視を被るというトラウマに直結する。友達と指定しているが、そこは家族、要は自分が信頼する人間と置き換えて差し支えなさそうだ。その定義を以ってするなら、夏也は姉に自分の能力を打ち明けて悪い結果を導いてしまったことになる。佐伯先生の話によればそれが三年前、つまり夏也が命の終焉を透視する能力を持ったのが最低でも三年前というわけだ。

「それにしたって、普通、八歳も下の弟をシカトするかよ」

 小声でひとりごち、当然誰の返答もないままに俺は足を進める。夜になって一段と冷え込んだ空気は身に染みた。今朝、マフラーを装備しようと考えた自分自身に感謝しながら、震える身体を縮めながら歩く。マフラーを巻いていない夏也に出会ったのは、そのときだった。夏也のマフラーは、どういうわけか夏也の手の中で小さく丸められていた。

 俯いている夏也は、俺に気付いていないようだった。声をかけることを躊躇い、俺は夏也が自分の横を通り過ぎるのを傍観していた。通り過ぎたところで、夏也が下を向いたままでいる理由をようやく掴んだ。マフラーを首に巻かず、掌で大事そうに抱えている理由もわかった。

「おい」

 いきなり肩に手を置いて、夏也がコケダマを落としてしまったこともこのときは完全に忘れていた。俺は、通過した夏也の身体を片手で引き寄せた。細い身体だ。夏也はあっけなく仰け反った。

 俺を見ても、夏也はなにも言わなかった。酷く憔悴しているようだ。あろうことか、夏也は俺から目を背け、そのまま歩き去ろうとする。どこか白々しいその態度が、俺の神経を不快に刺した。

「おいってば!」

「なんだよ!」

 さっきよりも強い力で夏也の肩を掴めば、夏也は、声を荒げて俺に向き直った。肩に置かれた俺の手を、夏也は鬱陶しそうに振り払った。マフラーにくるまれたそれを胸に引き寄せ、俺から数歩夏也は離れる。

 俺の視線は夏也のマフラーに引っ張られていた。柄でもなく思わず息を呑んでしまう。包み口から肉球が剥がれた小さな前足が覗いているのだ。死んだ子猫。夏也は、死んだ子猫をマフラーに包んで連れ帰っている。咄嗟に俺は、その子猫と思しき霊体を探した。その子猫どころか、いつも夏也の足元をうろついている黒い子猫の霊も見当たらなかった。

「モノが死んじゃった。前に話しただろ、俺が橋の下で世話してた猫」

 夏也が飼っていた猫のことは、つい最近、俺も聞いていた。河原にも案内してもらったし、夏也に代わって猫に餌をあげたりもした。ほとんど外出しない夏也が、唯一家を出る用事がその猫の世話、モノと触れ合うことだった。

 最初はニ匹いたという話を聞いて、夏也に懐いている黒猫の霊の謎が解けた。俺がそれを教えてやると、夏也は嬉しそうに笑った。夏也が猫の頭を撫でる動作をすると、クロは、霊のくせに目を細めて鳴いた。夏也に存在を認識されたのが、相当嬉しかったのだと思う。

「こんな時間までなにしてんだよ。早く帰れよ、藤は家族が待ってるだろ」

「夏也は帰らないのか」

「帰るよ。帰ってクロの隣に埋める」

 痛切な夏也の一言に、俺はなにも言えなくなった。俺にできることなんてなにもないし、夏也が言う通り、家に帰る以外の選択肢などなかった。こういうふとした瞬間に、自分が如何に無力であるかを突きつけられる。

 じゃあね、と夏也は俺の隣を通過した。やりきれない俺は、またしても夏也を引き止めてしまった。まだなにかあるのかよ、と夏也は再度口調を強めた。相当苛立っているらしい。当たり前だ。夏也の友達のモノが死んだのだ。俺、いつからこんなに女々しくて、鬱陶しい人間になったんだっけ。戸惑う俺を、夏也の涙ぐんだ瞳が捉えた。夏也に手のマフラーから、ぶらりと小さな棒のようなものが垂れ下がった。千切れかけたモノの前足だった。モノの酷い死体を、俺は一瞬のうちに想像した。

 瞬間的に催した吐き気に、咄嗟に口を押さえた。はっとして、すぐに手を離した。夏也は俺を見ていて、そして唇を噛んで俯いた。

「そうだよな。こんなの見たら、いくら藤でも気分悪くなるよな」

 夏也が寂しげに目を伏せる理由は、容易に想像できる。だから俺は、弁解しようと口を開いた。夏也がそんな顔をするのは、単にモノが死んで悲しいからというだけではない。そんなことはわかりきっている。だって夏也は、いつ眼前に死を突きつけられるかわからないのだ。俺がモノの死体を見て参っている、ということは、それはつまり、夏也を永遠に理解しないと豪語するのと同じことだ。夏也はおそらく、いや、絶対だ。モノの死を視ていた。

「いいよ、わかってる」

 夏也は言った。先を越された。わかってるってなにが、と問うことはできなかった。俺が考えていることは、夏也にはお見通しだった。

 今更自分を守る言いわけは無理だ。そう思うと、全身から力が抜けた。溜息も漏れた。自分でも驚くほど安定したトーンで、俺は言った。「埋めるの、手伝う」。言えた。そのときの俺には、それ以上のことも、それ以下のことも言えなかった。ただ俺には、傷ついている夏也を、親友として放っておくことなんてできなかった。



 モノを庭に埋めた後、夏也は律儀にお茶を出してくれた。夏也は本当に、俺という人間の所在が疑問になってくるくらい、しっかりした奴だと思う。モノが死んでいちばん悲しいのは夏也のはずなのに、どうしてここまで落ち着いた振る舞いができるのだろう。それに比べて、俺は人様の家に上がりこんで腰を下ろして、一体なにをしているのか。

「手伝ってくれてありがとう」

 部屋のカーテンを閉めながら、夏也は小さく言った。どういたしまして、などと言う空気ではなく、俺は微かに首を横に振っただけだった。夏也は俺の隣に座った。暖房はついているのに、流れている空気は氷のように凍てついている。そんな気がするのは錯覚だ。俺は首に巻いたままだったマフラーを外した。

「悪いな」

「なにが」

「俺、図々しいと思って。いつも夏也の家に上がって、お茶まで飲んで。しかも、こんなときまで」

「こんなときだから嬉しい。俺、だいたい家にひとりぼっちだから、藤がよく来てくれるのって嬉しいんだ。本当だよ」

「お茶、別に出さなくていいんだぞ」

「出したくない相手には出さないよ。家にも入れない」

 夏也がそう言うと、俺は黙った。俺が黙ったから、夏也も黙った。壁にかかったレトロな時計が、午後七時十七分を示している。親に心配させるのも悪いし、メールだけでも入れておこうか。ポケットの携帯電話を取り出して操作していると、夏也が突然立ち上がった。俺がメールを送信し終えるのと同時に、夏也は、手にいつかのコケダマを持って戻って来た。俺が作った当初、確かなかったはずの小さな可愛らしい葉が茎に一枚ちょこんと追加されている。本当に小さな葉っぱだった。

「コケダマってさ、上手に育てたらニ年くらいは生きるんだって。佐伯先生が言ってた」

 夏也は、コケダマが載った受け皿を床に置いた。水をやったばかりなのか、コケの表面はうっすらと湿っている。

 七瀬に押し付けられた不恰好なコケダマは、一応、マニュアル通りに面倒を見ているつもりだが――植物を育てるのが苦手な俺には、ニ年も育てる自信などなかった。

「夏也ならできるだろ。ニ年どころか、三年でも四年でも保たせられるんじゃないか」

「なんで?」

「それは俺が作ったやつだけど、もとは佐伯先生の手作りだからな。恋する相手からのプレゼントじゃ、目をかける回数も気持ちも変わってくるだろ」

 それにさ、と言葉を繋いでから、俺は躊躇った。今言っていいのだろうか。いや、俺のこういうところが女々しいのだ。俺は続けた。

「夏也は、人以上に命の大切さとか尊厳とか、そういうのがわかるだろ」

 再び夏也は口を噤んだ。無理もなかった。モノが死んだ直後なのだから、明るくなにか言えるほうが異常だ。夏也はしっかりしている上に純粋だから、余計にタチが悪い。

「今の時代、命なんて消費されるものなんだから。まして植物の命になんて、誰も目を向けないだろ。人の何十倍も辛い思いしてるけど、夏也は、人の何十倍も優しい人間だよ」

「優しくないよ」

 俺が言い終わるか言い終わらないかのうちに、夏也は低く、鋭く言った。夏也は俯いて下唇を噛んでいた。

「違うんだ。俺、優しくない。だって俺、モノを殺した」

 右の耳から左の耳まで、一直線に氷柱が突き抜けたような気がした。もちろん俺にそんなグロテスクな経験はなかった。それでもそう表現するほかない衝撃が、俺を貫いた。

「俺なんだよ。俺が殺したんだ。俺、どうしよう。藤、俺、どうしたらいいかな」

「おい、お前なに言って」

 モノは猫だけど、ペットじゃなくて友達なんだ。こっそり餌をやっているモノのことを、夏也は俺にそう説明してくれた。ファンタジーだってわかってるけど、こいつには人間の言葉がわかると信じてるし、俺の話をいつも真剣に聞いてくれると思ってる、とも言っていた。

 友達を亡くしたショックで、動揺しているのだろうか。いやでも、殺した、とはどういう意味だ。夏也が大切な友達のはずの猫を殺す。不幸な事故ならともかく、俺にはとても想像できない構図だった。

 とりあえず鎮めようと、俺は夏也に声をかけた。残念ながら意味はなく、夏也はますます興奮するだけだった。そしてこう叫んだ。

「俺がモノを殺したんだよ! 俺が! 俺がこの気持ち悪い力を使って殺した!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ