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藤 忠勝 4

「来ると思ってた」

 ドアノブを握る夏也の指には、いつも通り、いくつもの指輪が通っている。夏也が自分を派手に飾り始めたのは、一体いつからだっただろうか。俺は記憶を掘り返した。普通に学校に来ていた頃から、夏也はお洒落にはかなり敏感な子供だったとは思う。それでもアクセサリーは身に付けていなかったし、単純に流行好きなだけなら、別段珍しいこともない。クラスに何人かはいる都会っ子。そのひとりが壱井夏也。俺の記憶の中では、そのはずだった。

「俺が来ると思ってたのか。なんで」

「だって藤は頭がいいから」

 答えになってない。そう思ったが、俺は表情を変えなかった。夏也に促されるままに敷居を跨ぐ。こうして夏也の家に上がるのは、もう何度目になるのだろう。小さい頃から片親育ちで姉とも年が離れていた夏也は、よく俺を家に招いてくれた。懐かしい。そこまで考えた。そこで、記憶の底でなにかが弾けたような気がした。そうだ、夏也には姉がいたのだ。七歳か八歳か、年上の姉がいた。昔の夏也は、俺を呼んでは姉の話をしていた。姉がいない俺は、どうやら美人で優しいらしいその存在を、羨ましく思っていた。

 夏也は最近、姉の話をしたか。素早く過去の自分に問いかけてみたが、それらしい記憶は出てこなかった。

「藤にもらったコケダマ、元気に育ってるよ」

 夏也が触れた話題に曖昧に頷きながら、俺は更に思考を深く掘り下げる。当初の俺は、夏也に姉がいることが至極羨ましかった。子供心だが、幼かった俺が駄々をこねるくらいの理由程度にはなり得たはずだ。きっかけを掴んで蘇る思い出は明確なのに、何故俺は、今日まで夏也に姉がいたことを微塵も思い出さなかったのだろう。夏也のことを念頭に置く機会はいくつもあったのに、過去にあれだけ話題に出てきていた夏也の姉が頭から消え失せていた理由はなんだ。一度気付いてしまえば、違和感は肥大していく一方だった。

 自分で言うのもどうかと思うが、俺は人以上に勉学に長けている自信がある。特に暗記はほとんど無意識のうちにしてしまっていることが多い。その俺が、話の上では頻繁に接触していた夏也の姉の存在を、綺麗さっぱり忘却していた。そしてそれを今になって思い出した。なんとも言えない、奇妙な感覚だった。

 自分を買い被っているだけか。そう片付けようにも、スムーズに納得できなかった。仮にも俺は名門辻ノ瀬学園の生徒で、更に成績は常時トップをキープしている。それも、特にテスト勉強などせずに。自惚れでなく、親友であるはずの夏也が話してくれた姉の存在を忘れていることが、自分自身で信じられなかった。

「藤?」

 疑問符で、俺は現実に返ってきた。夏也が俺の目の前で、マグカップを持って呆然と突っ立っている。俺に飲み物の質問でもしていたのだろうか。思い出そうと意識してみても、端から夏也の声は耳に入っていないのだから、閃くものがあるわけがなかった。

「ジュースと紅茶、どっちがいい?」

「え、ああ、うん」

 思わずどもってしまった。どっちでもいいと思いつつ、じゃあ紅茶がいいと夏也に告げた。夏也は頷き、キッチンのほうに引っ込んだ。何分もしないうちに、甘い香りの漂うカップと甘そうな大福をお盆に載せた夏也がリビングに現われた。昔から気の知れた仲なんだから構うことはないのに、夏也はいつも俺に茶菓を振舞ってくれる。

「お湯はいつでもばっちり沸いてるんだけどさ、お茶っ葉、切らしちゃってるんだ。大福と紅茶じゃ不恰好だけど、今日はこれで我慢してくれ」

「悪いな」

「これ、いちご大福。コケダマくれたときに言ってただろ、そのときの。藤、いちご大福好きだろ」

 夏也の様子を、俺はじっと観察する。俺が見る限り、夏也はいつもと同じだった。派手に飾った手で、丸々とした和菓子を口に運ぶ。齧り口から、いちごの餡が弾力を持って伸びている。その餡を、夏也は器用に大福の片割れで絡め取った。やたら嬉しそうに頬を染める夏也は、無邪気そのものだった。

 大福は甘かった。甘党の俺には、頬が溶け落ちるほどの味わいのはずなのに、慣れた甘さがどうにも舌に馴染まない。美味しい、と素直に感想を述べられない自分が、夏也に少し悪いような気がした。

 純粋な子供の如く、無防備に表情を弛緩させる夏也。元来の大きな目が、より一層、夏也の邪気のなさを強調している。冗談っぽく、夏也には命の終わりが見えている、と口にした七瀬を思い出した。七瀬の適当な思いつきが、俺の憶測に大きく影響してくるとは思わなかった。世の中、お勉強ができることだけが頭のよさには繋がらないというわけだ。要は柔軟な発想、普通の人には見えないものが俺には常に見えているのに、そこに至れなかった俺は、周囲が言うほど完璧な人間ではない。

 七瀬の一言があったからこそ、俺は結果として夏也のシックスセンスを見抜くことができた。だが、残念ながら、俺にそれを言おうとして言わず、代わりに三橋に打ち明けた夏也の選択の真相は未だに不明だった。

「俺が来ると思ってたのは、なんで」

 楽しそうにコケダマについて語る夏也の言葉を、俺は遮る。虚を突かれたように、夏也は戸惑った顔をした。それは一瞬だけで、夏也はすぐに俺が見慣れた笑顔を繕った。

「藤は、頭がいいからだよ」

「意味がわからない」

「わかってるんだろ、俺が人の死を視てること。藤自身に第六感があるんだから、そういう力がある人間がいたとしても、別に不思議でもないだろ」

 言った。夏也は、はっきりとその能力を認めた。予想が当たった爽快感が、微かに俺の奥底で弾けた。推測の的中は普段ならもっと清々しいのに、今日は湿った陰鬱なマイナスの感情が俺の裏側で蠢いている。やっぱりそうだ。それを俺より先に、夏也は三橋に教えたのだ。今更覆せない事実が頭上にどっしりと圧し掛かる。

「でもさ、藤。ひとつだけ訊きたい」

 眼鏡を人差し指で押し上げて、俺は、いつもの無表情を装って応じる。夏也は俺と目を合わせなかった。三橋とも目を合わせなかったのだろうか、なんていちいち考えてしまう自分が本当に女々しすぎて、俺は己を引き裂いてやりたい気分だった。

「それ、三橋から聞いたのかな」

「七瀬が適当に思いついたことだ。俺はバカ正直にそれを信じた、ってだけだよ」

 七瀬の名前が出てきたことに、夏也は素直に驚いたようだった。そうか詩仁か、と呟いた後、夏也は何度か小さく頷いた。

 黙って自分のカップに口をつけて、夏也は静かに言った。

「じゃあ藤も詩仁も、たぶん足りてない」

「足りてない?」

「俺が視てる死は、人だけじゃない。動物も植物も、そういうすべての命を含めて、終わりがわかる」

 俺の頭の中で、数日前の出来事がフィードバックした。佐伯先生が作ったというコケダマを、夏也は嬉しそうに俺に披露した。それを見つめて、目を見開いた状態で、夏也は幾ばくかの時間硬直した。俺が夏也の肩に手を置いて、その拍子にコケダマが床に落下して壊れてしまった。あの短い時間のうちに、夏也はコケダマがどうなるかを予知していたというわけだ。驚いて手を滑らせてしまった、という形で、夏也が視覚として捉えた未来が現実になった。

 日常的に霊を見ている俺が言うのもなんなのだが、まさか本当にそんなことがあるなんて。予測していたとは言え、驚いている自分を認識せずにはいられなかった。夏也の足に頭をすりつける、黒い子猫の霊がふと俺の目についた。

「なんで俺はダメで、三橋はいいのか知りたい」

「俺が藤に教えなかったこと?」

「俺のこと、親友だと思ってくれてるんだろ?」

「思ってるよ。だからこそ言い出せなかった」

「それは一体どういう理屈なんだよ」

 理屈、と夏也は繰り返した。俺は頷き、夏也の言葉の続きを待った。

「理屈というかトラウマだよ。藤も岬姉ちゃんみたいになったらどうしよう、って」

 姉ちゃん、と言っているからそうだ。夏也にはやっぱり姉がいた。だが不思議なことに、俺にはその名前を聞いた覚えがなかった。俺は錯乱でもしているのだろうか。

「なあ、藤。ダメになっちゃったコケダマがあるだろ。知ってると思うけど、あれ、佐伯先生が俺に、って作ってくれたものなんだ。俺、家族以外の人からプレゼントなんてもらったことないから、本当に嬉しかったんだ」

「その件は本当に悪かったと思って」

「違う、謝って欲しいんじゃない」

 俺の声に被せて、夏也は言った。テンションは先刻よりも幾分上がっている。夏也は厭味を言う人間じゃないし、俺に謝らせたいわけではないことは本当のようだ。

 夏也は食べかけのいちご大福を皿に置いて、胸に手を当てた。右手の中指を薬指に嵌められた指輪が、部屋の灯りに反射して、少しだけ輝いた。僅かながらも眩しかったそれに、俺の目は、一瞬の半分だけ眩んだ。

 記憶の波に身を任せているような、ゆったりとした、且つ恍惚とした口調で夏也は再度口を開く。

「俺、優しくしてもらえた。父さんと藤と詩仁以外の人が、俺に優しくしてくれた。これってさ、藤。ものすごくすごいことだよ」

 瞬きを繰り返して、俺も食べかけのいちご大福から手を離した。夏也がなにを言おうとしているのか、俺にはまったく予想がつかない。ということはなかった。

「佐伯先生のこと考えると、なんか安心するんだ。俺のことを受け止めてくれるような気がする。藤が俺を受け止めてくれないって言ってるんじゃない。なんというか、上手く言えないけど、胸の奥がほんのりしてくる」

 典型的だ。俺は、素早く脳裏で思考を繰る。そういう気持ちになることを、動詞で人はなんと形容するのか。考えるまでもなく明らかなことだった。夏也のことだから、知らないふりをしているのではないだろう。単純に、純粋に、自分がそんな気持ちを抱いていることを俺に報告してくれている。至極、無邪気だ。それをそれだと自分で確定しないことも、俺にはとても真似できないくらいに夏也は無邪気だった。

「夏也、お前」

 ん、と夏也は顔を上げた。幻想から回帰したような表情、心なしか頬が少し火照っているような気がする。ここまで無邪気な夏也なら、顔にもすぐに現われてしまうのかもしれない。

 そういう気持ちになることを、動詞で人は、なんと形容するのか。答えは至って簡単だ。今のところの俺にそんな気配はないが、人間ならたぶん誰でも一度は経験するそれだ。つまり「恋する」。夏也のシリアスな告白の中に、当たり前の感情が混ざりこんだことで俺の緊張は解けてしまった。生徒が先生に恋する、という構図はともかく、呼吸を始めた恋愛感情を打ち明けた夏也は、間違いなく普通の中学生だ。年相応の日常の要素が、それも俺が持たない要素が、夏也に残されている。柄でもなく、俺は安堵した。








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