七瀬詩仁 3
こつん、と道端の小石を蹴った。地面を跳ねた小石を追いかけ、俺はもう一度それを爪先で弾く。何度かそうしているうちに、小石の行方がわからなくなった。特に探す気になるはずもなく、俺は、無言で隣を歩いている三橋に歩く速度を合わせた。それでも三橋はなにも言わず、鞄を肩に提げて俯いているだけだった。
退屈を持て余した俺は、なにげなく三橋の横顔を覗き込んだ。長い睫毛と澄んだ瞳、形の綺麗な唇が、あまりにできすぎた三橋の顔立ちを象徴している。体つきも華奢だし、誰が見ても美少年としか言いようがない三橋を眺める度、性別を間違えて生まれてきてしまったのではないかと俺は本気で思ってしまう。
漫画の話題もゲームの話題も、今の三橋は、ぴくりとも反応しそうになかった。となれば、ここで振る内容は決まっていた。俺は、三橋に投げかけようと密かに暖めていた事柄をに口に出した。
「藤の奴、まだちょっと苛ついてるみたいだな」
とは言え、暖めたと言えるほどの話の種でもない。もったいぶった言い回しをしてみたけど、俺は単に現在気になっていることを呟いただけだった。
「お前と藤がいがみ合って二日か。夏也と三橋が一緒に現われたことが、余程ショックだったんだな」
「別にいがみ合ってたわけじゃない」
三橋にアクションがあった。お、と俺が驚いているうちに、三橋は更に言葉を重ねる。
「一緒に現われた、なんて言い方しないでよ。まるで僕が忠勝君に隠れて壱井と付き合ってるみたい」
「なんだよ、その発想。お前、そういうことって気にしてるんだ」
「七瀬はしない?」
「男女ならまだしも、男同士でいきなりそれは思いつかないだろ」
「僕は思いついた」
妙な意地を張るな。口を閉ざした三橋の横を、頑なに俺は歩いている。藤も三橋も、不機嫌になるタイミングがいまいち俺には掴めなかった。
いつもの帰路とは外れた道を歩いていることは、俺にもわかっていた。三橋もなかなかに抜けた奴だけど、無意識に慣れた道筋を誤るほど鈍くはない。三橋がどこに向かっているのか、問い質してもおそらく答えてくれないだろうと察した俺は、黙って三橋を追っていた。
何分か歩いていると、脇に菊の花束を添えた道路に出てきた。サイドに目をやれば、河原と川が見える。俺もよく知っている、夏也が頻繁に訪れている河原だった。
三日前、ここで事故があった。自転車に乗っていた中学生の男の子が、軽トラックにもろに撥ねられた交通事故。男の子は吹っ飛んでアスファルトに頭を強打、不運なことに打ち所が悪かった。怪我自体は命に別状はなかった、と聞いている。
「可哀想だよな」
口からそんな言葉が漏れた。三橋は頷かず、代わりに飄々と言った。
「その事故があったとき、僕と壱井、ここにいた」
唐突すぎる物言いだった。え、と俺が聞き返すと、三橋はいつものポーカーフェイスで視線を下げた。そういえば、俺と藤がコケダマを持って壱井の家を訪ねたのも三日前だった。あのときの三橋は、尋常ではなく青ざめていた。体調が悪い、というよりは血の気が引いていたように見えた。三橋の異常な震えは、人の死を間近で突きつけられたからなのか。合点がいくと同時に、クールな三橋にもきちんとした感情があることに少し安心した。いや、ここで俺が安心する意味がわからなかった。俺は頭を振り、三橋に向き直る。
「やな偶然だな。あんまり考え込むなよ」
「僕と壱井は、ここにいたんだよ」
一文字一文字を強調して、三橋は言った。三橋は続ける。今度はいつもと同じ、情感の篭っていない醒めた口調だった。
「酷い事故だったよ。目撃者はいっぱいいた。河原に座ってた僕の前に、男の子が乗ってた自転車が落ちてきたんだ。タイヤ、まだ回ってた。あの男の子は死んじゃうって、壱井にはわかってた」
再度、俺は聞き返した。「壱井にはわかってた」。三橋の口から放たれた一言が、俺の耳朶に突き刺さった。三日前、温室で佐伯先生と藤と一緒にコケダマを作っていたとき、俺が適当にぼやいたことだ。何度でも言う。あれは本当にちょっとした思い付きでしかなかった。霊が見える人間がいるなら、その霊になる寸前、つまり命が終わる瞬間を悟れる人間がいてもおかしくないのではないか。その程度の、言わば軽いノリだった。それを藤が真に受けて、三橋は本人から直接聞いた、というところか。すべて藤の推理ならまだしも、俺が当たりを引いたのか。こんな場面で別に引かなくてもよかった。
三橋は菊の花束に目をやった。一瞬寂しげに眉根を寄せた後、いつもの澄ました表情に戻って言葉を次いだ。
「忠勝君にも言ったんだけどね。壱井は、友達だからこそ言えることがあるのと一緒で、友達だからこそ言えないこともあるって言ってた。だから友達じゃない対象が壱井には必要だったわけで、それが僕だったのは、壱井との関係性がいちばん希薄だったからじゃないかな。四月に編入してきた僕は、ほとんどあいつと喋ったこともないんだし」
壱井が僕のメールアドレスを知ってたことには驚いたけど。三橋は驚いた様子など微塵もなくそう言った。その部分に関しては、特に言及する気はなさそうだった。
「親友だっていう忠勝君は、その理屈だと、壱井にとっては最も辛い相手ってことになるね。忠勝君が苛々してるのも、一応納得できる」
「人が死ぬのがわかるって、夏也はお前にそう言ったのかよ」
「そう」
「お前、まさか人に言いふらしたりしないよな」
あまりにあっけなく同意した三橋に、俺は思わず詰め寄った。三橋が人の秘密をばら撒く人間ではないことは重々承知しているつもりだけど、確認せずにはいられなかった。現に三橋は、今ここで、夏也の秘密を俺に打ち明けた。信頼はするけど、三橋はなにを考えているかいつもわからない。わからない以上は、やりすぎと思いつつも釘を刺すしかなかった。
三橋には、俺の判断を特に不快と取った印象はなかった。淡々と三橋は話を続ける。
「壱井には悪いけど、七瀬には教えといたほうがいいと思った。忠勝君は勝手に自分で気付くと思うし」
「なんで」
「不思議じゃないの?」
「ほんの思いつきでしかなかったけど、俺、それ考えてた。壱井には誰かが死ぬ様子が見えてて、それが怖いからほとんど家から出なくなったんじゃないかって。で、俺はそれを藤に言ってみた」
一瞬の間を置いて、三橋は、そう、とだけ言った。三橋の端麗な横顔からは、やっぱりこいつがなにを考えているのかはわからなかった。事故を目撃する寸前も、三橋はこんな顔をしていたのだろうか。三橋にとっての日常が、そしていきなり崩された。三橋だけではなく、その事故が起こる前は、誰にとっても日常的な夕方だったはずだ。オレンジ色に染まる空に、ほんのりの香るどこかの家庭の夕食の香り。不幸な現象がそこであったとしても、過ぎ去ったことで尚且つ自分に無関係なら、何事もなかったかの如く世界は廻る。
「友達だからこそ言えないこと」
思想を廻らせていた俺は、三橋の単調な一言で現実に返った。足を止めて河原を見つめながら、三橋は言った。
「壱井のその言い分なら、七瀬もタブーって話になるけど」
三橋が言いたいことは、俺にも想像がついた。三橋に倣い、俺も河原を視界の中心に移した。この河原で俺と話していたときも、夏也は普通に煙草を吸うふりをして、実は見えていた命の終わりに震えていたのだろうか。
夏也の言い回しは妙だ。三橋が言いたいのは、おそらくそれだと思う。友達にも言えないこと、と表現するならまだわかる。だから親しくない三橋を選んだのだとすれば、発想が飛んでいるものの頷けはするのだ。でも夏也は、そうは言っていない。友達だからこそ言えない、と括っている。だからこそ、と強調する点がどうにも不自然だった。
「七瀬はある? 友達だから言えないことって」
やはり三橋は俺と同じことを考えていた。俺は頭を捻ってみた。友達だからこそ言えないこと。脳内で記憶を探ってみるけれど、これといった出来事は出てこなかった。
「強いて言うなら、こういう想像はできるよな」
「それを言ったら、友達っていう関係が崩れちゃうかもしれない?」
「俺とお前、本当に意外と気が合うよな」
「キミなんかと気が合ってるくらいなら、永遠に世界から孤立したほうがましだよ」
言いたいこと言いやがって。澄ました顔で髪をいじっている三橋を、俺は本気で水の中に沈めてやりたくなる。考えたところで、その情景が夏也に視えるのか、と思い至った。胸を内側から締め付けられるような、そんな息苦しさを俺は覚える。
「夏也、孤立してんのかな」
「どうしてそんなこと思うの。壱井には友達がいるのに」
「その友達に言えないこと抱えてるんだろ」
「壱井の友達、七瀬と忠勝君だけじゃないよ」
「誰がいたって言えないなら同じことだろ」
だからそうじゃなくてね、と三橋は言って足を進めた。進め始めた。自分勝手に河原に下る三橋の背中を、俺は慌てて追いかける。いくらか砂利の上を歩いた後、三橋はざっと辺りを見渡した。
「ほら」
やがて三橋は、身を屈めて手を伸ばした。三橋がそうする視線の先を目で追った。真っ白な毛並みの、小さな子猫が走ってきた。子猫は三橋に飛びつくと、その細い指をぺろりと舐めた。




