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第五章 花と喋れぬ神 (4)

 ーー王は国中の書物を一掃せよと小生にお命じになった。それは王の最初の仕事となる。しかしこれは想像以上の大事業である。文官のみならず武官にも命じて事を遂行する。先王の愚行は罪無き多くの者を殺したが、その牙を潜り抜けた者は、新王により救われた命を、今度は知財を守るために投じる。しかし、この悲惨な循環を絶つには必ず通らねばならぬ道である。王は必ず一代にしてそれを為す決意である。この国に罰するべき何かがあるとすれば、それは野放図な学問である。それらを統制せねばならぬ。魔狩り(フィキル)は長らくその知恵と技術で王国の発展に寄与した知恵者を(くび)り、彼らの技を模倣する学者、医術師、技師を亡き者とした。愚王の治世に於いて貧窮に喘ぐ民草は、全て魔法の仕業であるという世迷言に惑い、互いに密告し合い、禍を増幅させた。この国は以降停滞するであろう。それに引き換えても、過ちを繰り返すわけにはいかぬ。王はそうお考えである。時に王は二十歳、魔狩り(フィキル)で師を失い世を憂いて悪王を弑す。境遇を同じくする者共と合議し、泰平の世を作らんがため、尊い規範を定める。



 蝋燭の火が揺れる度に、エプィヌは思わず手を止める。誰かが部屋を訪れるのではないかと、落ち着かない自分があった。しかし、何事も起きないまま夜が更けて行く。

(来るわけ、ないわ)

 その人が逢いに来たとて、今は、少し前と同じような関わり方をできる気がしない。昨日の今日で、返事を考える時間が必要だ。そのことを、さすがの彼とて分かっているはずなのだ。

 昼間眠り通したせいで目は冴えており、研究を進めるにはうってつけだった。

 ラーギニールの爪弾く水風琴(オロ・ローン)の音色がかすかに聴こえる。その不規則な拍にはどうやら、眠気を誘わない程度に、余計な思考から気をそらせてくれる作用があった。

 『司書賢人録ティディーヤ・エクセリーヤ・ムス』の解読はおおよそ順調だった。そんな歯切れの悪い言い方しかできないのは、この後に続く凄惨な焚書のくだりを読み進めるのがなかなか辛いせいもあった。

 それでも、再び冒頭に立ち戻る。

(師を失い世を憂いて……)

 エプィヌは頭を抱えた。

 “師”という言葉、これは誤りか否か。何をもってすれば解釈を補填できるのかが分からない。

 アハルテケの手記を、後世の王宮司書(ドムン・ティディーヤ)が写したのだから、古語に疎い者が手がけたのならば、誤りである可能性は否定できない。しかし、後に続く「境遇を同じくする者共」という文脈を考えても、正当であると見なす方が自然なのだ。

(魔狩り(フィキル)で師を失った……ならば、ターリアは知恵者、賢人(エクセリーヤ)の弟子ということになる)

 では、何の学問を司る賢人(エクセリーヤ)なのか。エプィヌは自然と、アハルテケ十四進分類法を思い出していた。歴史・文学・法律・経財・建築土木・水産農学・自然科学・形式科学・薬医術・天文暦学・地誌・諸技芸・哲学・兵法……十三と十四、二つの説が交錯する魔法使いの人数だが、こう考えるのはどうだろうか。

「ターリア、悪王を弑し王制を敷く、十三人をして監政官(ラヴィレス)と為し合議を始む」

 呟きが静けさの中にたなびく。

 記録の通りに捉えると、ターリアは当初、己を含む十四人の賢人(エクセリーヤ)の弟子たちを束ねて合議制を始めたことになる。しかし、いくら時代を経たとはいえ、今の監政官(ラヴィレス)がその血を受け継いでいるとは思えない。おそらくは、魔狩り(フィキル)の影響が色濃く残る中、賢人(エクセリーヤ)が実権を握るのは不満のもとであり、学問の継承にも危険を及ぼすと判断したのであろう。規範を作り終えた後、十三人から成る監政官(ラヴィレス)を新設したと仮定するのが自然だ。そうしてターリアは、有力な貴族たちを敵に回すことなく自分の支配下に置くことに成功したのだろう。これを裏付ける史料が欲しいところだった。

(ターリアが“神”や信仰を強く否定する理由が今ひとつ分からないけれど……)

 神の血を引く王を滅ぼしたことへの批判を抑止するため、というだけでは納得がいかない。だとすれば、反対に、丁重に祀るという選択肢も有り得たはずなのだ。

(例えば、神王が自らの神性を否定してただの人になるというなら話は別だけれど……)

 エプィヌはとりとめもなく考えた後で、はっと呼吸を失った。

(マレビト、タダビト……)

 『花狩唄(リィルーグァン)』の中に出てくるタダビトとは、ただの人という意味なのかもしれない。マレビトは稀人、神性を帯びた人。そしてただの人、只人……。これはホウの歌だが、人の思考には文化を超えて共通性がある。草原の人々(ヒャルマール)丘の人(ベルグフォルク)の例をとってもそうだ。解釈を参考にすることは間違いではないはずだ。

(ーーサウランディールの神話はどうすれば分かるのかしら)

 サウランディールの王族と知恵者の成り立ちを知れば、そこに道が開けるかもしれない。しかし、その存在すら認知されていない伝説上の小国となると、歴史書の中に記述を求めるのは困難だろう。

(それに、わたしの仮説が正しければ、ターリアはサウランディールにまつわる書物の存在など、もしあったとしても、抹消したに違いないわ……)

「ーー博士」

 エプィヌは両手で顔を覆った。

(わたしが辿ろうとする道を、あなたが経なかったわけがない。正誤を問わず。遺してくれたものの中に、それはありますか?)

 心の中で問いかけてから、何を意味もないことをやっているのだと、呆れ笑いが漏れた。

 天井を仰ぐと、月の光が驚くほど明るいことに気が付いた。

 来ない人を待って窓をずっと開けていたのだ。

 立ち上がり、(こわば)った腰をさする。それからエプィヌは、窓辺に歩み寄って中空に手を伸ばした。



「全く、不用心な」

 心ノ臓が凍り付いた。

「叫ばれたらその口を塞いでしまうところでしたけど」

 気配がひんやりと冷たい。顔を見ずとも、それが誰だかすぐに分かった。つい大声を上げずに済んだのも、そのせいだった。

「ーー王女さま、ですね」

 はいともいいえとも返ってこない。しかし、振り返ると、暗がりに溶け込んだ黒玉の仮面がそこにあった。

 腰の丈を越える星の色の長髪は首の後ろで縛り、大盤の外套の中にしまわれているので、まるで短髪のように見えた。また、衣服は生地がしっかりしているが格調高く、意匠など全くない簡素なものだ。色彩は夜に馴染む濃い紺の色で、月明かりを背後にしているため、部屋の中ではかえって黒々とした鮮やかさを放っていた。

 こうしていると、佇まいだけはルチーフェロに見紛うほどだ。それがエプィヌにとっては余計に腹立たしかった。

「なぜここに、どこから入られたので?」

 かなり礼を欠いているとは思うが、彼女は怪しい侵入者に他ならない。エプィヌは毅然とした態度で尋ねた。

「だから不用心と言いましたわ」

 金の輪をかけた瞳は嘘を吐かない。それでもやはり、名乗ることはしなかった。

 エプィヌは音を立てずに鼻を鳴らした。不用心とはどちらのことだろうか。先ほどの問いには答えないくせに、口調を変えたり、否定したりが一切ないのも可笑しく思える。

 そのように不敬な相手を前に、ラプンツェルは薄ら笑いすら浮かべているのか、ほんの少しそびやかした顎先は、余裕を持て余してそこにあった。

 しばらくそうしていたが、彼女はエプィヌの椅子に我が物顔で腰を下ろし、優雅に足を組んだ。

「あなたは考えごとに夢中で、わたくしがその窓辺に座って長い間眺めていたことにも気付きませんでしたわ」

 肘掛けに身を持たせかけ、流し目をこちらに向ける。

(兄妹揃いも揃って……)

 エプィヌは苦々しく王女を見下ろした。

 どうして、こうも剣呑なやり方で他人の部屋に押し入ってくるのだろう。

「王女さまの御用は」

「そうですわね……」

 革手袋をはめた華奢な指先が、ほんの少し仮面を撫でる。

「わたくしは、あなたの決定を聞くために」

「わたしの決定とは」

 エプィヌはなおも畳みかけた。

「ルチーフェロ殿下のお考えについて、でしょうか」

「兄さまの行動は把握しています。わたくしが知りたいのは、あなたがそれに従うか否か」

 その声は地の底から、否、天界から降りてくる光の梯子のように、エプィヌの前に二つの道を示した。

(この場で、どちらかを明言せよと)

 ラーギニールにもラズワルドにも、まだ告げていない。王子にも、時をもらっている。そのような状況で、急に己が主君だ、とでも言うように問いかけるこの女は何なのだ。ーー王女だ。ルチーフェロがその思想を、身を捧げる妹君で、それならば、自分ごときがこのような反発心を抱く余地すらないはずだ。

 しかし、エプィヌは引かなかった。

『絡みつく棘、無垢で可憐で、だから非情』

 舞踏会の夜に突きつけられたあの言葉は、想像以上にエプィヌの気を逆撫でていた。王女は戯れで他人を弄んだだけだろう、このようなつまらないことに心を揺さぶられるのは全くもって時間の無駄であり、本来ならばこの思考力は全て研究に注ぐべきだ。

 しかし、そこまで自己を振り返ったところで、エプィヌはやはり、彼女には膝を折れないと結論した。

「ーーそれを、殿下の代わりに?」

「いいえ、わたくしの一存で」

「あなたさまが、殿下に代わってここへ来るもっともな理由がおありで? 殿下へのお返事は殿下に。それは当然の誠意だと……」

「わたくしは、兄さまとは別に動いていました」

 声に声が重なった。

「それを悟った兄さまが、勝手にことを企てているのです」

 エプィヌはつい眉を顰めた。

「殿下が勝手に……だとすれば、王女さまは、いったい何をなさろうと」

「兄さまの目的と同じ」

「……そのような」

 しかし、ラプンツェルは底光りする金の瞳で続けた。

「信じられないかしら? それはわたくしが王女だからでしょうか?」

(ーー何を言っているの、この人は)

 エプィヌは顎を引き、目を細めた。どれだけ見極めようとしても、そのように問われる意味が掴めない。

(わたしが、女だてらに学舎で何を、と言われるのと同じ感覚……? それだけではないと思う。そんな単純なものではなくて、この人の中には、もっとまがまがしい何かを感じる)

「わたくしは自分が男だったらと思って生きてきました」

 こちらの考察を読み取ってなのか、ラプンツェルは大袈裟に哀れさを演出するように、大きく身振りをしながら言った。

「わたくしと兄さまは同じ日に同じ腹から生まれたのに、王位継承権は自ずと兄さまの方にある。それが不満」

 語り終え、胸に手を当てた姿は滑稽にも思えた。不満だから何なのだ、これから何を告げようとしているのだろう。エプィヌは慎重に問い詰めた。

「ただ、それだけですか」

「ーーそれだけ?」

 それから静かに、しかし高らかに笑い声を漏らすと、彼女は天井を仰いで額に手を当てた。

「それだけ、はあ……それだけのことでも、わたくしにとってはそれだけ重要なこと。わたくしは幼い頃から兄さまより賢かった、身体能力が優れていた、そして何より、美しかった。奢りだとお思い? だとしても、わたくしにとっては大切な理由」

「わたしは別にあなたさまを否定などしておりません。その金の髪と瞳は幻のように美しい。それは誰もが認める事実なのですから」

 エプィヌは事実だけをありのまま述べた。それをさも当然というように受け流し、王女は窓の外にその目を向けた。

「しかし、わたくしは表に出ることはない。いるのかいないのか分からない王女。民はわたくしのことなど忘れかかっているでしょうね。ーーわたくしは生きていること自体がおかしいのだから」

「ーーあなたさまは」

 エプィヌは口を開いた後に、わずかに逡巡した。しかし、彼女に逆撫でられた自分の気持ちを昇華し、あからさまな嫌悪感を突き付けられ続けることへの報復の気持ちを吐露するなら今だ、という醜い心が視界を曇らせ、清らかな流れではなく、淀んだ支流へと小舟を進める強引な力が働いたのが分かった。

 自分がそれほど幼稚だとは、今まで思いもよらなかったが、どうしてもそれを止めることはできなかった。

「あなたさまは、晶死病(しょうしびょう)からの生還者ですね」



 返事を待たず、エプィヌは続けた。

「おそれながら、あなたさまは、通常なら助かったのが不思議なくらいの重症だったはず。だから、全身をそうやって衣服で覆って、仮面を着けていらっしゃる……そうですよね?」

 知らず知らず語気を荒らげていたことに気付いた時には、自分が発した言葉とはいえ、耳を疑った。ーーあまりに、人に対する思いやりの欠けた、鋭利な刃物を振るうのと同等のことをしたのだ。衝撃はつきと痛みを伴って胸の左側から背中の方へと走り抜けていった。

 エプィヌの後悔を知ってか知らずか、王女は己への憐みを隠さず、むしろ見せ付けるかのように睫毛を伏せた。

 仮面の隙間で、青ざめた白い唇が動く。

「ーーわたくしが病に罹ったのは、兄さまのせいなのです」

 エプィヌは瞼が痙攣するのを必死に抑えようとした。

(わたしは、今から何を……)

 何を聞かされるのだろう。恐ろしい予感が背筋を這い回り、鳥肌が全身に泡立った。

 後に引こうにも、そこには書架があり、壁があり、足元には広げられた古地図があり、どこにも逃げ場がなかった。

 夜風が吹き込み、ローブの裾を揺らす。ほつれた赤い髪が舞い、汗ばんだ頬に張り付いた。

 鼓動が近い。心ノ臓が喉元まで突き上げて、うるさく跳ね回った。

 王女は片手を持ち上げ、燭の灯りにかざして革手袋を抜き取った。そこにはあまりに複雑な組織があった。太く伸び、あるいは繊細に駆け巡る血管。それは朝霧の中に生い茂る細い樹木のようでもあり、王国の民としてあるまじき表現ではあるが、神秘的、としか言いようのない様相だった。

 中指の爪の先に星の輝きを灯しながら、王女は、それが他人のものであるかのように、無感情に見つめ続けていた。

「病はわたくしたちが生まれる少し前、二十年ほど前から王都で爆発的に流行したものの、赤土通り(トベル・アクメ)には至っていなかったし、隔離政策によって城壁付近で病を食い止めていた。病は時折下火になり、またある時は猛威を振るい、それを繰り返して十年が経っていた。そんな中、兄さまは乳母のユディトを慕っており、度々ラウル家に赴いていました。それで、こっそりと赤土通り(トベル・アクメ)を出ては平民に交わって遊んでいたのです。わたくしも一度だけ……兄さまに手を引かれて、ついて行った」

 ただの昔語りのように、歴史を顧みるだけというように、彼女は静かに口を動かす。

「兄さまは、度々平民との接触があったのに発症せず、わたくしは、たったの一度で罹患したのです。王は、幽閉中の薬医術ノ賢人ミクトゥラム・エクセリーヤに命じて、わたくしをなんとか救った。わたくしが王女でなければ、助からなかったでしょう。わたくしはこの生まれのおかげで、生かされたのです。わたくしは顔半分、全身のほとんどを冒されました。それを知った兄さまは、わたくしを連れ出したことを後悔して、それから……恐ろしいことをしました」

 金の瞳がエプィヌの翡翠の瞳を射止めた。その力強さは逃れることを許さず、息の根さえ止めにかかるほどに思えた。

「あなたが兄さまを愛するのなら、知らねばならないと思います」

「愛……などと」

「あなたは分かっていると言いながら甘く見ていますから、これは善意で、改めて教えて差し上げましょう。王族に言われれば目が覚めるでしょう。あなたに選択権はない。ですから、あなたが兄さまに愛されたのであれば、あなたは兄さまを愛するしかない。悔しいけれど兄さまは、この国の、王位継承権第一位の、ただ一人の王子なのです」

「ーー分かっているつもりです」

 それ以外に答えようがなく、エプィヌは、自分の認識の甘さのせいで、崖から突き落とされたような気分でそう言った。この公式を適用するのならば、王女は、あなたの決定を聞きに来たと言いながら、革命への加担を強要しに、むしろ脅迫しに来たというのが正しいではないか。

 ラプンツェルはそんな少女の本音に気付きながらも、当然のこととして取り合わず、卓上に散らばった書籍やら何やらの山に手を下ろし、無作為にぱらぱらと捲り始めた。

「あの……」

 言いさして、エプィヌはすぐに口を閉ざした。古語で、しかも鏡文字を崩してあるのだから、歴史学の素養のある者でも読み解くのは不可能に近い。この王女に、内容が分かるはずもないのだ。それを止めにかかれば、見られては不都合があると暴露するのと変わらない。

 エプィヌは彼女の手の甲から薄っすら透けた文字の羅列を見つめ、そのまま押し黙った。

 王女はちらと目を上げたが、ほう、とだけ呟くと、それ以上の追及はせず、くたびれたように足を組み直した。

薬医術ノ賢人ミクトゥラム・エクセリーヤは、この謎の病がどこから来たか、こう仮説を立てていました。これは賢人(エクセリーヤ)らも彼らの古い記憶の中でしか知らぬ、雲の峰(スフ・マリス)の向こう、さらには遠く遙か海の彼方から来た病毒因子で、それは永久凍土に閉じ込められたはずだったと。何者かがそれを再び蘇らせ、王都に持ち込んだのだと」

「病毒、因子……」

 初めて聞く単語だった。未知の概念、そこにも積み重なってきた歴史があるはずで、初めて他の知恵者の継承に触れたのだ。薬医術ノ賢人ミクトゥラム・エクセリーヤとは、いったいどのような人物だろう、と思った。

 しかし、エプィヌがそういった感慨に耽る前に、王女は、やや軽蔑を込めて言った。

「兄さまがこれを知って……わずか十歳の子どもが、何をしたと思いますか?」

「分かりません」

 正直に答えたエプィヌに、そうでしょうね、と頷くと、彼女は掠れ声で続けた。

「ーー兄さまは薬医術ノ賢人ミクトゥラム・エクセリーヤが研究のためにわたくしの身体から採取した病のもとを盗み、解放されようという罪人の食事に混ぜて食わせたのです」

(食わせた……?)

 理解が追いつかず、エプィヌは呆然とした。それから、王子のしたこと、その行動の真意がじわじわと腑に落ちるにつれ、彼を心底恐ろしいと思った。

「罪人はとある貴族の子息で、暴行事件を起こした罪で短期間捕まっていましたが、その者を通じて、病は赤土通り(トベル・アクメ)にも広まりました。薬医術ノ賢人ミクトゥラム・エクセリーヤが看るのは王族だけ。晶死病(しょうしびょう)に罹患した者には誰も触れられない。できるのは隔離だけ。そのおかげで絶えた血筋もあります。兄さまは……自分がその病に罹らなかったからには、誰か他に、それも多くの者をわたくしの道連れにしようとしたのです。兄さまはそういう人です」

 まさか、という思いと、彼ならやりかねないという思いとが刹那に交錯した。ーーその病の歴史は、たった十歳の少年の私的な意図によって大きくうねり、数多の人命を押し流してしまったということだ。

 ラプンツェルは真っ直ぐにエプィヌを見つめた。これが王子の所業であり、革命とやらに走ることとなった元凶で、流行病に怯え生き延びた者、誰もが知らぬ真実なのだ。そう告げるように。

「兄さまはわたくしだけを病にしてしまった自責の念から、何でもわたくしを優先するようになりました。兄さまがわたくしに何をくれても、たとえ王座をくれても、完全無欠のわたくしは戻らないのに……わたくしと兄さまは何でも同じ、違うのは男女の差、王位継承権の有無だけで、それもわたくしは己の能力で埋めてきたのに、どうして……」

 エプィヌはもうやめてと叫びたかった。その代わり、逃げ出したいのも相手を追い出したいのも堪えて、事実を受け止めることだけに努めた。

「ーーだから、殿下は、あなたさまのために革命を起こそうとしているのですよね。殿下の革命の決意の根幹にはあなたさまへの強い後悔がある。分かりました。でも、学問を解放することも同様に、殿下は叶えようとしているはずです」

 エプィヌにとって、それだけは譲れなかった。退路を与えられないというのなら、この王女のため、彼女の私怨や王子の償いのために身を捧げるのは不本意だ。

 しかし、今までの話を聞いていなかったのかとでも言うように、ラプンツェルは憐憫を滲ませた。

「それは手段に過ぎないのです。あなたは己が利用されていることも分かっているし、逃れられないことも分かっている。しかし、歴史ノ賢人ウィステ・エクセリーヤの使命に縛られて、現実を見る目を曇らせているのです。ーーいばらのお姫さま」

(まただわ……また、そんな嫌味な呼び方を)

 エプィヌは呼吸を整え、それの何が悪いのだと声高に訴えたい気持ちを抑え付けた。

(わたしからこの志を奪ったら、何も残らない)

 握りしめた拳の中で、爪がきりりと皮膚に食い込んだ。ーー革命が目的ではなく手段であるのならば、そのために利用されるのならば……逆に、彼らの目的を自らの手段として利用するまでだ。決断するのに必要な意味のある何か、とは、こういう苦し紛れの、不純なもので良いのだろうか。

 言いたいことを全て言い切ったからなのか、王女は椅子から立ってひらりと窓枠に飛び乗った。あまりに身勝手な奔放な行動に、エプィヌは思わず大きな声を出した。

「待ってください」

 その背を呼び止め、振り返った黒い仮面に問いかける。

「あなたさまが……瑠璃烏(ラズ・レーグザ)?」

 しばし間があって、王女は夜風に髪を靡かせながら笑った。

「わたくしは夜な夜な自らを慰めている。こうして男の(なり)をして、義賊の真似事をして、犠牲となった多くの民にせめてもの思いで、偽善を。しかし、瑠璃烏(ラズ・レーグザ)は……」

 その声が闇にたなびくと同時に、エプィヌは己の目を疑った。

 もう一人、誰かがいる。庭木の間に佇み、こちらを窺う何者かが。それは、一瞬、ルチーフェロに見えた。しかし、違った。背格好はよく似ているが、はっきりと見て取れる、明らかな相違点があったのだ。

 瑠璃烏(ラズ・レーグザ)という通り名は、誰がそう呼び始めたのだろう。その特徴を目にした者が、美しさや妖しさを讃辞したのだろうか。

(そうか……)

 口を閉ざしたエプィヌは、二つの黒い影が瞬く間に夜に消え行くのを、ただ眺めていた。彼が、なぜ見られることを厭わなかったのか、それを考えながら……。

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