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炮封の黄金獅子(レグルス)  作者: 小津 カヲル
第三章 別れ道
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永遠の誓い 1

 まだ市場が開けたばかりの早朝、レイチェル・リンドは城下の町にある生家へ向かって急いでいた。夜も明けきらぬうちに、城内の寮まで使いを寄越したのは生家の大店、リンド商会を取り仕切る番頭だった。

 レイチェルがこうした呼び出しを実家から受けるのは、少なくない。だがその大半を無視してきたが、その日ばかりはそうすることも出来ずに急ぎ足で向かう。

 市場の建ち並ぶ通りを越えて向かった先は、比較的裕福な商人たちが居を構える一角。そこにリンドン家の屋敷があった。その大きな門の前で、レイチェルを待ち構えていた人物がいた。

「お嬢様、お待ちしておりました」

「お父様は?」

「今は薬で落ち着いておられます」

 レイチェルはそれを聞いてホッとしつつも、厳しい表情を緩めることなく屋敷への門をくぐった。

 レイチェルの父は商人としてはやり手で、時に強引な手法をもって競合相手をたたき伏せ、地位を登りつめた人物だ。だがこと家族に関しては真逆で、特に一人娘であるレイチェルを溺愛している。そのレイチェルが自分の望まぬ道を選び、家を飛び出てしまった。その頃から、少しずつだが持病が悪化していることはレイチェルのみならず、使用人たちの悩みの種だ。

 だがそれでも、レイチェルは今だけは城を離れる気はない。それを再び父に告げることは、さすがのレイチェルも告げ難いのが正直なところだった。


「レイチェル、来てくれたのか」

 寝台で大人しく横になっていた父親と向き合うと、尚更だ。

「倒れたと聞いたわ、お薬はきちんと飲んでいたの?」

「もちろんだ、今は特に大事なお客様をお招きしているのだから」

 レイチェルはその言葉に、少しだけ眉を寄せる。客というのが、自分へ用意された見合い相手であることを察してのことだ。大祭のために招けるほどの外国の商いをする男を紹介されたのは、二週間前。

「そのお客様は、そろそろお帰りになられるのでしょう? そうしたら一度仕事を任せて、ゆっくり休んでみたらどう?」

「休んでなどいられるものか。今度こそ、レイチェルの嫁入り支度をせねばならないのだから」

 レイチェルは小さくため息をつく。

「お父様、縁談はお断りしたはず。いいかげん、諦めてよ」

「そうはいくか、相手も乗り気なんだ。これを逃したら、おまえを嫁にしてもいいという男など現れないぞ!」

 聞き捨てならないことを耳にして、レイチェルが顔を歪める。

「乗り気って、そんな勝手なことを言ったら呆れられてしまうわよ」

 そう父親をたしなめたのと同時だった。元気に言い返していたはずの父親の顔が青ざめ、胸を押さえながら呻いた。

「お父様!」

 慌てて控えていた侍女を呼び、薬を用意させる。レイチェルの父は長らく心の臓を患い、度々こうして発作を繰り返している。薬で発作は軽くなるものの、発作が無くなるわけではない。

 侍女が用意した薬を飲み、再び寝台に横になると痛みは軽減したようだった。

「レイチェル、儂はそう長くないだろう。頼む、老い先短い父の憂いを、汲んではくれまいか」

 そう言いながらレイチェルの手に伸ばされた父の指は、覚えていた記憶よりも、ずっと細く皺まみれだった。

「どうして……嫁に行かない方が、側に居られるじゃない」

「そうじゃない、おまえの幸せは、マイアの望みだ」

「お母様?」

 レイチェルの母は、幼い頃に病死している。レイチェルの父は後妻を取らずに、男手で娘を育てた。多忙にもかかわらず、娘のために時間を作り、足りない分は財力で優秀な家庭教師を雇い、彼女の望む教育を施した。そのせいで道がズレたという可能性も大だが、文句を言いつつもそれとて好きにさせてきた。だがレイチェルの父にとって、引けない部分がある。それは妻の望み。

「マイアは、レイチェルの花嫁姿を見ることが、一番の望みだった。だからせめて私が、この目で見届けてからマイアに伝えてやらねばならない」

「……でも、私はお父様からお母様が望まれたように、義務感や商売のために妻に望む人と一緒にはなりたくないもの。お母様はそういう意味で言ったのだと思うわよ?」

「それはそうだが……」

「お父様が焦るのは分かるわ。私は器量だって善くないし、男に負けないくらいに鍛えてこんな為りよ。そんな娘を、だれが好んで嫁にするものですか」

「そんなことはありませんよ、あなたは魅力的な人です」

 突如、父娘の会話に割って入る声に、レイチェルは驚いて振り向く。

 するとそこに立っていたのは、父が縁談相手にと滞在させている男、ゼクスだった。

「失礼、廊下まで声が聞こえましたので、お邪魔させていただきました。ご当主のお加減はいかがですか?」

「これはゼクス殿、みっともない姿をお見せして申し訳ない」

「いいえ、どうか私にお気遣い無くゆっくりとお休みください。ちょうどレイチェルさんにお話ししたいと思っていたのです、彼女をお借りしても?」

「ど、どうぞ、どうぞ! ほらレイチェル、儂の代わりにゼクス殿をご案内してさしあげて」

「お父様……」

「ご迷惑でしたか?」

 レイチェルを窺うようなゼクスにそう邪険に扱うわけにもいかず、レイチェルは渋々父の指示に従うしかなかった。

「分かりました、どうぞこちらへ」

 レイチェルはゼクスを促す。すると父は何故かにこにこと上機嫌な表情を浮かべる。

 本当に発作だったのだろうか。そんな疑念が浮かぶものの、レイチェルは自分の後ろをついて来る男を振る良い機会だと思うことにして、庭へ出た。

 しばらく中庭を歩き、茂みに囲まれた東屋に入る。

「まずは、ゼクス様のお話からお聞きしましょうか」

 レイチェルは平民とはいえ、国で五本の指に入るほどの大店の家の娘である。いきなり婚約破談の話をレイチェルから切り出すことが、いかに失礼であるかは承知していた。まずは自分と話がしたいと言った彼の言葉を優先させる。

 するとゼクスはそんなレイチェルの正面に座り、まっすぐに彼女を見つめて己の手を胸に当てた。その仕草は、己の信を問うものだ。

 レイチェルは嫌な予感に身構える。

「私は、あなたを妻に迎え入れたいと願っております、レイチェル」

 そう言う瞳は真っ直ぐだが柔らかく、まるで本当に愛おしいものを見つめるかのようだった。

 普通の娘ならば、頬を染め、上品な顔立ちのゼクスのような男からの求婚を拒むことはないだろう。だがレイチェルは疑い、たじろぎながら口をついて出たのは。

「どうして」

 そんな問いだった。だがその問いに、ゼクスは遠い目をして微笑む。そして明確な答えを求めていたレイチェルに、肩すかしを食らわせた。

「さあ、どうしてでしょうか……」

「な……理由もなく求婚したというの?」

「自分でも、よく分からないのです。私はラプス公国の人間で、このファラの大祭が終われば国に帰らねばなりません。ですがそうした帰路に立った時を考えてみると、私はどこか後ろ髪を引かれる。リンド氏の紹介で良縁を結べると期待はありましたが、同じくらい流れることも想定していた縁談です。なのに私は、レイチェル……あなたを知らずに帰ることを惜しい気持ちに駆られている」

 そう言ってレイチェルに向けられた微笑みは、彼女の父のようなギラギラとした商人のそれではなかった。人の富をより多く奪ってやろうとか、少しでも儲けを得ようと失敗を探すそれではない。少なくとも、レイチェルの父とは全く違う、別の生き物にしか見えなかった。 だからレイチェルは首を傾げながら「この人は本当に商人なのだろうか」とすら考える。

「……後ろ髪引かれたからって、求婚していたら妻が何人いても足りないわよ」

「はは、確かに。でもこういう気持ちは初めてのことなので」

 柔らかい表情であっても、怯むことなくレイチェルをじっと見つめる。それだけで彼が見た目よりずっと肝が据わっていることを、充分すぎるほど理解し、生半可な誤魔化しはきかないのだと察した。

「私は剣士ではないけれど、主君と認めた姫を護りたいし、志を同じくする仲間を見捨てられないわ」

「そういう貴女だからこそ、惹かれたのです。どうか私が滞在する残り僅かな時間、貴女と過ごす許しをください」

 その素直な申し出にレイチェルの方が顔を赤らめる。そしてそれを誤魔化そうと腕で頬を隠す仕草をしていると、その腕をゼクスがそっと取って距離を詰める。

 それに気づいてレイチェルが振りほどくのと同時に、席を立ち上がって東屋の入り口に逃げる。

「失礼、これでも年甲斐なく必死なのです、貴女のような若くて美しい人に振り向いてほしくて……」

 そう言いながらも、とろけそうな笑みを浮かべるゼクスに、レイチェルは言葉を返すことができない。

 どう足掻いても自分より人生経験を詰んだ男に、言葉で諦めさせるのは無理なのだ。そう考えてレイチェルは考えを改めた。

「いいでしょう、今日は休みを取ってきました。一緒に、どこかへ……」

「本当ですか、それは嬉しい」

 レイチェルが全てを言い終わらぬうちに、ゼクスは気色ばむ。そして善は急げとばかりに立ち上がる。

「ぜひ貴女と行ってみたい場所があったのです、馬車を手配しましょう」

「あ、ちょっと、どこへ……」

「シンシアとの国境の町、デルタです」

「…………はあ?」

 レイチェルはその想定外の提案に、変な声しか出なかった。

 だがゼクスはそんなレイチェルをにこやかに促し、早急に支度をさせると一時間後には二人で馬車に乗り込んでいたのだった。

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