第七話 合理的な二人の対話
ルーファスが執務机の上に滑らせたその書類を一目見た瞬間、私の目は釘付けになった。
「これは……王都と南部を結ぶ、大運河の建設計画書……?」
「その通り。南部穀倉地帯の物流を飛躍的に向上させる国家プロジェクトです。すでに国王陛下の内諾は得ており、来春から着工予定となっています」
私は食い入るようにその計画書を読み込んだ。
運河のルート、予想される輸送コストの削減率、それに伴う周辺地域の経済効果……全てが緻密な計算の上に成り立っている。だが、私が驚いたのはそこではない。
「ルートが……本来の最短距離ではなく、あえて東に大きく迂回して設定されていますね。これはつまり、我がヴァルシュタイン公爵領の境界をかすめるように設計されている……?」
私が顔を上げて問いかけると、ルーファスは満足げに深く頷いた。
「ご名答。通常の官僚なら、山を切り開いてでも最短距離を通そうとするでしょう。しかし、私はあなたの領地が現在進めている『魔力駆動ポンプによる大規模灌漑』の計画を知っていた」
彼は私の手元にある灌漑計画の図面を指さした。
「あなたの計画は素晴らしいが、一つだけ欠点がある。それは『莫大な初期投資と、引き込むための豊富な水源が必要である』ということだ」
「……っ!」
私は息を呑んだ。
痛いところを突かれた…東部の鉱山から魔石を安価で調達できるとはいえ、肝心の水をどこから引くか。
既存の川からでは水量が足りず、遠方から水路を引くための莫大な追加予算が必要になる計算だったのだ。
「私が設計したこの大運河の迂回ルートを使えば、運河の一部をあなたの領地の灌漑用水源として直結させることができる。国家事業である運河の建設費は当然、王室と国庫が負担します。あなたは追加の水路建設費を一切負担することなく、無限の水源を手に入れることができるというわけだ」
あまりにも完璧すぎる提案だった。
これなら、私の領地経営の最大の課題が、文字通り一瞬にして解決する。
「素晴らしい……」
私は思わずため息をつき、書類から顔を上げて彼を見た。
「このルート変更には、王宮内の反対勢力も多かったはずです。最短ルートを外せば、一時的な工期は延びる。それをどうやって説得したのですか?」
「簡単なことです」
ルーファスは涼しい顔で答えた。
「『ヴァルシュタイン公爵領からの豊富な農産物と魔石が、運河を通じて王都へ直接流入する経済効果』を数字で叩きつけたのですよ。長期的な利益を考えれば、最短ルートに固執するより、あなたの領地を物流網に組み込んだ方が遥かに国益にかなう。彼らも馬鹿ではありませんから、私の計算書を見ればすぐに理解しましたよ」
数字と論理で、反対派をねじ伏せた。
その鮮やかな手腕に、私は心の底から感嘆した。
これまで、王宮の人間といえば、感情や体面、派閥のしがらみだけで動く非合理的な存在だと思っていた。
王太子レオンハルトや、その取り巻きたちがまさにそうだったからだ。
だが、目の前にいるこの男は違う。
彼は私と同じだ。
感情ではなく、冷徹な計算と合理性で世界を見ている。
「ルーファス様。あなたの有能さはこれで十分に理解できました」
私は姿勢を正し、改めて彼に向き直った。
「我が領地にとって、これ以上ない恩恵です。ですが……疑問が一つあります」
「何でしょう?」
「なぜ、そこまでしてヴァルシュタイン公爵領に利益をもたらそうとするのですか? 確かに国益にはなりますが、これは明らかに我が領地を特別扱いしすぎている…。あなたの本当の目的は何です?」
私が警戒心を露わにして問い詰めると、彼は少しだけ目を伏せ、やがてゆっくりと顔を上げた。
「私の目的は、最初から一つしかありませんよ、エリザベート」
彼は静かな、しかし確かな熱を帯びた声で言った。
「私の目的…それはあなたです」
「……私?」
「ええ。この運河の計画も、迂回ルートの設計も、全てはあなたに『私という男の価値』を証明するための手土産に過ぎません」
ルーファスは私に一歩近づき、私の視線を逃がさないように見つめ返してきた。
「王都には、感情や体面で動く愚か者が多すぎる。私はあの泥沼のような宮廷政治の中で、自分と同じ目線で世界を見ることができる、完璧に論理的で賢いパートナーをずっと探していたのです」
彼の漆黒の瞳が、私を射抜く。
「学園でルミナ・アルフェリアの狂気を打ち砕いた時の、あなたのあの氷のような論理。王太子の謝罪すら無駄だと切り捨てた冷徹さ……。私はあれを見た瞬間、あなたに強烈に惹きつけられた」
「……」
「エリザベート。私はあなたに、恋愛ごっこを求めているわけではない。王宮の権力を握る私と、辺境最大の経済力を持つあなた。私たちが結びつけば、この国で最も強力で、最も効率的な体制が完成する」
彼は右手を差し出した。
「どうです? 私と、完璧な『契約結婚』を結びませんか?」
執務室は水を打ったように静まり返った。
彼の言葉には、一切の無駄がない。全てが理にかなっている。
私の中で、彼への警戒心はすでに消え去り、代わりに「彼とならば、どれほどのことができるだろうか」という強い興味と好奇心が湧き上がっていた。
「……ルーファス様。あなたは、本当に計算高い方ですね。その提案……少しだけ、話を聞いてあげてもよろしくてよ」
私は差し出された彼の手を見つめ、小さく笑みを作った。
【続く】




