第六話 突然の来訪
王立学園での騒動から、さらに数ヶ月が経過した。
聖女候補ルミナ・アルフェリアの退学処分と、彼女の口から語られた「ゲームの物語」という狂気的な主張は、一部の王宮関係者を除いて厳重に伏せられた。
表向きには、「聖女候補様は重い病に倒れ、療養のために故郷へ帰った」ということになっている。
一方の私はといえば、あれ以来誰からも干渉されることなく、無事に王立学園の全課程を首席で修了し、故郷であるヴァルシュタイン公爵領へと帰還していた。
「素晴らしい決算報告ね。東部の鉱山からの魔石産出量が前年比で三割増……。これなら、予定していた治水工事の予算も前倒しで確保できるわ」
私は執務室の机に向かい、山のように積まれた書類の束に目を通していた。
窓の外には、公爵領の中心地である豊かな街並みが広がっている。
父である公爵は高齢のため、現在はこの領地の事実上の支配権は、次期当主である私に委ねられていた。
領地経営は楽しい。
努力すればしただけ数字として結果が返ってくるし、民の生活が豊かになっていくのを肌で感じることができる。
そこには理不尽な思い込みも、運命の強制力もない。
純粋な論理と計算だけが支配する、私にとって最も心地よい世界だった。
「エリザベート様。王都より、大切なお客様がお見えです」
ノックの音とともに、侍女のマリアが執務室に入ってきた。
「お客様?今日は事前の約束はなかったはずだけれど…」
私が怪訝に思って書類から顔を上げると、マリアの背後から、見覚えのある長身の影が静かに歩み出てきた。
「突然の訪問をお許しいただきたい、エリザベート・フォン・ヴァルシュタイン公爵令嬢。近くの直轄領を視察した帰りに、どうしてもあなたに挨拶をしておきたくてね」
漆黒の髪。冷徹なまでに理知的な瞳。
そして、どんな高位貴族の前でも決して崩れない、完璧で優雅な微笑み。
「……宰相補佐、ルーファス様」
私はペンを置き、ゆっくりと立ち上がった。
学園でのあの騒動の日、王太子の居室で私を面白そうに観察し、そして最後に『契約結婚』などという戯言を吹き込んできた男だ。
「遠路はるばる、辺境の公爵領へようこそ。ですが、王宮の頭脳とも呼ばれるあなたが、こんなところまで直接足を運ばれるとは驚きですわ」
「私の視察は隅々まで直接この目で見るのが主義でね。それに…」
ルーファスは私の机の前に立つと、そこに広げられていた治水工事の設計図と、分厚い予算書に視線を落とした。
「ほう。これは……新式の魔力駆動ポンプを組み込んだ、大規模な灌漑計画ですか。なるほど、東部の鉱山で採れた下級魔石を動力源に転用し、運用コストを劇的に下げる計算……素晴らしい。さすが、学園を首席で卒業された優秀な次期当主様だ」
彼は書類を一瞥しただけで、私が三ヶ月かけて練り上げた計画の要点を瞬時に理解した。
「……驚きました。ただの予算書から、そこまで読み取るとは…」
「数字は嘘をつきませんからね。特に、あなたの書く数字は実に美しく、論理的だ。無駄な装飾がなく、ただひたすらに最大の効率と利益を追求している」
ルーファスは顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳の奥には、以前と同じような…あるいはそれ以上の、熱を帯びた執着のようなものがゆらゆらと揺れている。
「学園での一件以来、私はあなたの動向をずっと追わせていただいていました」
「……私の監視をしていた、ってことかしら?」
「監視などという野蛮なものではありません。ただの『興味』ですよ。学園を卒業後、すぐに領地へ戻り、次々と革新的な政策を打ち出して領地を豊かにしていくあなたの手腕。王都の貴族たちは、あなたが聖女のように慈悲深いからだと噂していますが……私は知っている」
彼は一歩、私に近づいた。
「あなたは慈悲などで動いていない。全ては『領地の利益』という究極の合理性のために行っている。領民を豊かにするのは、それが最も税収を安定させる手段だからだ…。違いますか?」
「……ええ。驚くほど、おっしゃる通りですわ。なんだか先ほどから思考が筒抜けのようで、お恥ずかしいですわ」
私は隠すことなく肯定した。
偽善者ぶるつもりはない。
私が民を愛しているのは事実だが、それは「私の領地を構成する大切な財産だから」という極めて合理的な理由からだ。
「やはり。あなたは私が思った通りの、最高の女性だ…」
ルーファスは楽しそうに目を細め、私の執務机に軽く手をついて身を乗り出した。
「どうです? 学園で提案したあの話、そろそろ真面目に検討していただけましたか?」
「契約結婚の話ですか。申し訳ありませんが、あの時は冗談だと思って忘れておりました」
私が冷たく切り捨てると、彼はくくっと喉の奥で笑った。
「冗談でこんな辺境まで足を運ぶほど、私は暇ではありませんよ」
「……」
「私は本気です、エリザベート。あなたという極上の頭脳を、私の人生のパートナーとして迎え入れたい。今日はその具体的な『メリット』を提示するために来たのです」
ルーファスは懐から一枚の書類を取り出し、私の机の上に滑らせた。
それは、私にとって見過ごすことのできない、あまりにも魅力的提案の始まりだった。
【続く】




