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第五話 物語の崩壊と、新たな出会い

「……悪役令嬢?」


私は首を傾げた。

その単語の意味自体は知っているが、今の状況には全くそぐわない。


「殿下を奪おうとした、と言いましたか?」


私はそのまま視線を横にずらし、呆然と立っている王太子レオンハルトを見た。


「レオンハルト殿下。私がこれまでに一度でも、あなたに言い寄ったことがありますか?」


「……ない」


「私が殿下と二人きりで会ったことは?」


「それも、ないな」


「私が殿下に手紙を送ったこと、贈り物をしたこと、あるいはいずれ婚約をと迫ったことは?」


「………一度も、ない」


王太子が事実を口にするたびに、ルミナの顔からさぁっと血の気が引いていくのがわかった。


「そんな……でも……でも、あなたは悪役令嬢で……私は聖女候補で……だから……」


「だから、私はあなたをいじめる『はず』だった?」


私は静かに言った。


「それは、あなたの中にあるだけの『物語』でしょう?現実ではありません」


「……物語……」


ルミナは虚ろな目で呟いた。


「でも……でも、これは……ゲームの……」


「ゲーム?」


レオンハルトが眉を寄せた。「ルミナ、お前は何を言っている」


「違う……違うんです……私は、ただ……」


彼女の目は完全に泳いでいた。

恐怖と混乱で体が小刻みに震え、両手で頭を抱え込んでいる。


「私は……前世で……このゲームを……プレイして……だから知ってるんです……」


前世。ゲーム。

周囲の男たちに動揺が広がった。

狂人のたわごとかと疑うような視線が彼女に注がれる。


だが私は、なぜか驚くほど冷静だった。


「つまり——あなたは、この世界を『ゲーム』だと思い込んでいたのですね」


「……」


「そして自分は『主人公』で、私は『悪役令嬢』だと。だから私があなたをいじめるはずだと、そう信じて疑わなかった」


ルミナは泣きじゃくりながら頷いた。


「でも……でも、そうじゃないと……おかしいんです……。あなたは、私をいじめなきゃいけないのに……。そうじゃないと、私が殿下たちに守ってもらうイベントが……」


「いけない?」


私は冷ややかに首を傾げた。


「誰が、そんなことを決めたの?」


「ゲームが……物語が……!」


「ここはゲームじゃないわ。物語でもない」


私は静かに、だがはっきりと宣言した。


「ここは現実。私たちは、それぞれの意思で生きている人間です。あなたが思い描く『物語のシナリオ』の通りになんて、誰も動きはしないわ」


「……っ」


「あなたは、自分に都合の良い物語に囚われていた。『聖女』と『悪役令嬢』という構図に。だから、私が何もしないことに——耐えられなかったのでしょう?」


ルミナは崩れるように、ソファの上に泣き伏した。

彼女の泣き声だけが、部屋に響き渡る。


「でも……でも、私は……主人公で……」


「この世界に主人公なんていないわ」


私は冷たく言い放った。


「みんな、それぞれの人生を生きているだけ。あなたの妄想に付き合う義理は、誰にもないの」


その言葉が、彼女の幻想を完全に打ち砕いた。




その後の展開は、あっけなかった。


ルミナ・アルフェリアの告発は、虚偽であると王宮に正式に認定された。

呪いの痕跡がないこと、私に動機も手段もないこと……そして何より、彼女自身が「ゲーム」という狂気的な幻想に囚われていたことが、全て記録された。


彼女は聖女候補の資格を剥奪され、学園からも退学処分となった。


最後まで彼女は「私は被害者なのに」と泣いていたらしいが、同情する者は誰もいなかった。

物語に囚われて現実を見失い、無実の人間を陥れようとした代償だ。




それから半年が経った。

私は相変わらず、学園で領地経営を学んでいた。


周囲の評価は一変し、「エリザベート様は本当に聖女のようだ」とまで言われるようになったが、私は何も変わっていない。ただ、普通に生きているだけだ。


ある日の執務室でのこと。

ノックの音がして、王太子レオンハルトが入ってきた。


「エリザベート。俺は、お前を見誤っていた」


彼は真剣な表情で、深く頭を下げた。


「最初、俺はルミナの言葉を信じ、お前を疑った。だが、実際は違った。お前は何もしていなかった。俺は……お前に詫びなければならない。そして——」


「殿下」


私は彼の言葉を冷たく遮った。


「お詫びは受け取ります。でも、その先は不要です」


「……何?」


「私は殿下に興味がありません。それは…良い意味でも、悪い意味でもね」


レオンハルトは目を見開いた。


「私は殿下と婚約する気も、恋愛する気もありません。私が望むのは、静かで平穏な人生と、領地の発展だけですから」


「ああ…そうか、すまなかった。」


彼は数秒間呆然とし、やがて自嘲気味に苦笑して去っていった。




これで、面倒な人間関係は全て清算された。


(これで心置きなく、領地経営に専念できるわ)


そう思い、図書室から借りた本を抱えて廊下を歩いていた時のことだった。


「見事な立ち回りでしたね、エリザベート様」


ふと、柱の陰から声がした。


そこに立っていたのは、漆黒の髪と理知的な瞳を持つ青年…そう、宰相補佐のルーファスだった。

あの断罪の場で、彼だけは最初から面白そうに私を観察していたことを思い出す。


「ルーファス様。立ち回りも何も、私は事実を述べただけですが」


「それが素晴らしいのです。感情に流されず、純粋な論理と証拠だけで狂気を打ち砕いた。王太子の謝罪すら冷酷に切り捨てるその合理性……本当に、美しい」


彼は私の前に進み出ると、優雅な所作で私の手を取り、手の甲に軽く口付けた。

ぞくりとするような、熱を帯びた瞳が私を射抜く。


「私はあなたのような、完璧なまでに合理的な女性を探していました。どうでしょう、私と『契約結婚』を結びませんか?」


「……はぁ?」


「互いの領地と権力にとって、これ以上ない有益な取引になる。そして何より——」


ルーファスは目を細め、私の耳元で甘く、執着に満ちた声で囁いた。


「私は、あなたという女性そのものを、どうしても手に入れたくなった」


「えぇ…ええっ!?」


平穏な日常は、この最高峰に厄介でハイスペックな男によって、甘く強引に崩されていくことになるのだった。



【続く】

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