第二十五話 国を買う女
国王陛下が憔悴しきった足取りで公爵邸を去った後。
応接室には、王家の紋章が入った完全な『国家譲渡契約書』と、私、そしてルーファスだけが残された。
「……終わりましたね」
私がふぅ、と小さく息を吐きながらソファに深々と腰を掛けると、ルーファスが契約書を取り上げ、うっとりとした目でそれを眺めた。
「ええ。これでもう、王家は二度と私たちに逆らうことはできません。彼らは名目上の王位こそ保ちますが、その実態はヴァルシュタイン公爵家が養う『ただのお飾り』に過ぎない。……実質的に、あなたがこの国を買収したといっても過言ではないですよ」
「でも…私一人だけの功績ではありませんわ。あなたが王宮の内情を完璧に把握し、法的に一切の隙がない契約書を組み上げてくれたからこそ、成し遂げられたことです」
私は彼に向かって微笑みかけた。
「それにしても、なんだかあっけない幕切れでしたね。かつて私を悪役令嬢として断罪し、この国を追放しようとした者たちが、最後は自分たちから私の足元にひれ伏して国を売り渡すだなんて…」
「彼らは『力』の定義を間違えていたのです。血筋や精神論、あるいは一時的な権力など、確固たる経済基盤と論理の前では砂上の楼閣に過ぎないというのに」
ルーファスは契約書を机の上に置くと、私の隣に座り、私の肩を抱き寄せた。
「これで、あなたを脅かす不確定要素は完全に排除されました。王太子の派閥も、もう二度と私たちの前に立ち塞がることはありません。もう邪魔者はいませんよ」
「ええ。これからは、誰にも邪魔されることなく、私たちの好きなようにこの領地と……いえ、この国全体を『効率的』に管理・経営していくことができますわ」
私はルーファスの胸に寄りかかりながら、目を閉じた。
学園での断罪イベントから始まった、不条理なテンプレ展開との戦い。
私はただ、自分の平穏な日常と、論理的で美しい経営を守りたかっただけだ。
その結果として、国を丸ごと買い取ることになるとは思わなかったけれど、結果オーライというものだろう。
「エリザベート」
ルーファスが私の耳元で、ひときわ甘く、低い声で囁いた。
「これで仕事は全て片付きました。……ようやく、誰にも邪魔されずに、あなたを存分に愛でる時間が確保できましたよ」
「っ……ル、ルーファス様。いくら仕事が終わったからといって、ここは応接室ですわ。誰かが入ってくるかも……」
「入りませんよ。マリアには、私たちがこの部屋を出るまで誰も近づけないよう、厳命してありますから」
彼はそう言うと、私の抗議の言葉を塞ぐように、深く、情熱的なキスを落とした。
冷徹な宰相補佐としての顔は完全に消え去り、そこにあるのはただ一人の女性を狂おしいほどに愛し、溺愛する男の顔だけだった。
「……んっ……ふぁ……」
息が継げず、私が彼の胸板を軽く叩くと、彼は名残惜しそうに唇を離し、蕩けるような笑みを浮かべた。
「あなたの計算式は常に完璧ですが、私からの愛の質量だけは、いつまで経っても正確に計算できていないようですね」
「……それは、あなたが非論理的なほど過保護すぎるからです」
私が頬を赤くして睨みつけると、彼は嬉しそうに喉の奥で笑った。
国を買収し、全てを論理で制圧した悪役令嬢。
だが、この甘すぎる夫からの過剰な愛情だけは、一生かかっても論破できそうにない。
それが少し悔しくもあり、同時に……これ以上ないほどに幸福だった。
【続く】




