第十話 過保護な初夜
婚約からわずか数ヶ月後、私たちヴァルシュタイン公爵家とエルネスト家の結婚式は、王都の大聖堂で盛大に執り行われた。
「形だけの結婚式なのだから、無駄な経費は削減するべきだ」と主張する私に対し、ルーファスは「王室と貴族たちに私たちの結びつきを誇示するための、これは必要な『初期投資』です」と反論した。
その論理に負けた結果、私は想像を絶するほど豪華なウェディングドレスを着せられ、王国の要人たちがずらりと並ぶ中を歩くことになった。
「よく似合っていますよ、私の美しい妻」
祭壇の前で、ルーファスは私の手を取り、うっとりとした様子で囁いた。
彼の手は熱く、私の指先を絡め取るように強く握りしめている。
「……ありがとうございます。ですが、このドレスは少し重すぎます。普段のドレスの三倍は疲れてしまいそうですわ」
「ははっ、結婚式の最中にそんな計算をしているのは、この国であなたくらいでしょうね。そういうところも、たまらなく愛おしい」
彼は私の耳元で楽しげに笑うと、誓いの口付けを交わした。
神父の前で行われる儀式的なキス。だが、彼の唇は私の唇に触れた瞬間、ほんの数秒だけ長く、そして深く押し当てられたように感じた。
参列者からは感嘆の溜め息が漏れたが、私は心臓が不自然に跳ねるのを必死に抑え込んでいた。
これは演技だ。
王都の貴族たちに「円満な夫婦」をアピールするための、彼の完璧なパフォーマンスに過ぎない。
そう自分に言い聞かせて、私は長い一日をなんとか乗り切った。
そして、夜。
公爵領にある私たちの新居、その広大な主寝室。
「……さて」
私は豪華な天蓋付きのベッドの端に座り、小さく息を吐いた。
儀式的な初夜。貴族の結婚においては、世継ぎを作るための義務的な行為だ。
もちろん、契約結婚である私たちにとっては、それすらも「互いの利益を盤石にするための手段」でしかない。
ガチャリ、とドアが開く音がして、バスローブ姿のルーファスが部屋に入ってきた。
普段の隙のない礼服姿とは違い、少し濡れた黒髪と、はだけた胸元が妙に艶かしい。
「お待たせしました、エリザベート」
彼はベッドに近づくと、私の隣に腰を下ろした。
至近距離で感じる彼の体温と、甘い香水の匂いに、私は無意識に体を硬くした。
「……ルーファス様。あの、初夜の段取りについてなのですが」
私は平静を装い、事務的に口を開いた。
「私たちは契約で結ばれた関係です。世継ぎの必要性は理解しておりますが、感情的なやり取りは不要ですよね。速やかに、かつ効率的に義務を果たせればと——」
「エリザベート」
彼の手が、私の頬にそっと添えられた。
その瞬間、私の言葉はピタリと止まってしまった。
「……ルーファス、様?」
「あなたは、相変わらず論理的で可愛らしい」
彼は私の頬を親指で優しく撫でながら、もう片方の手で私の肩を抱き寄せた。
「ですが、今日くらいはその計算を休ませてはいかがですか?あなたのその素晴らしい頭脳は、日中の領地経営のためにとっておくべきだ」
「し、しかし……これは取引で……」
「ええ、取引です。私があなたに利益を与え、あなたが私に力を貸す。ですが——」
彼は顔を近づけ、私の唇にすれるほどの距離で囁いた。
「私があなたを『甘やかす』ことは、契約違反にはならないはずだ」
「……っ」
「私はあなたを誰よりも大切に扱うと決めたのです。それが私の『利益』だからですよ。あなたが心地よく過ごし、私の腕の中で安心してくれること……それが今の私にとって、何よりの報酬なのだから」
彼はそう言って、私の首筋に熱いキスを落とした。
「ひゃあっ……!」
思いがけない刺激に、私は思わず情けない声を出してしまった。
論理的な思考が、頭の中から急速に真っ白に飛んでいく。
「可愛い声だ。……もっと聞かせてください」
彼は私の体をゆっくりとベッドに押し倒し、覆い被さるようにして私を見下ろした。
その漆黒の瞳には、昼間の結婚式で見せたような「演技」の光はない。
ただ純粋な、底知れぬ熱と執着だけが渦巻いていた。
「私は、あなたという女性の全てを手に入れたい。あなたのその鉄壁の理性を、私の手でゆっくりと溶かしてしまいたいんだ…」
「る、ルーファス……待っ……」
「待てません。私はこれでも、随分と我慢しているんですよ?」
彼の指先が、私のドレスの胸元を優しく解いていく。
その動作はどこまでも丁寧で、まるで壊れ物を扱うかのようだった。
「エリザベート……私の愛しい妻。今夜は、あなたの全てを私に委ねてください」
その夜。
私は彼の甘く過保護な愛撫の前に、抵抗する術を完全に失った。
契約結婚だから、感情のやり取りはないはずだ。そう思っていた私の論理は、彼の底知れぬ執着と情熱の前に、もろくも崩れ去ろうとしていた。
【続く】




