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タカマガハラの神務官 〜神様の力を使うのに必要なのは、祈りではなく決裁です〜  作者: ひらまさ


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8/30

第8話 あなたが開ける画面にはありません

第8話です。


今回は神務庁の通常業務寄りの話です。

神様の声も、役所にかかると数字と画面になります。


よろしくお願いします。


第8話 あなたが開ける画面にはありません



朝、波多野承平は、本棚の上を見た。


みよは、昨日と同じ場所に座っていた。


横には、空になった桐箱がある。


箱に戻す、という選択肢もないではなかった。


ただ、一度「行ってきます」と言ってしまった相手を、翌朝また箱にしまうのは、少し違う気がした。


「……行ってきます」


返事はなかった。


返事がないことに、波多野は少しだけ安心した。


「承平、タカマガハラへ行くぞ」


足元で、あぶさんが言った。


「神務庁です」


「人の札にはそう書いてあるな」


「職場でその呼び方しないでくださいね」


「なぜじゃ」


「ちょっと恥ずかしいので」


「神の役所を神の住む場所の名で呼んで、何が恥ずかしい」


「現代の行政機関なので」


「面倒な時代じゃのう」


波多野はあぶさんをリュックへ入れた。


「尻尾、しまってください」


「雑に扱うな」


「神務庁の人には見えるかもしれないでしょう」


「見える者は、見えたことに責任を持てばよい」


「僕の責任にもなるんですよ」


「人間の責任は増えやすいな」


本当にそう思う。




     ***




葛飾の朝は、すでに暑かった。


昨日の江戸川の風は、もうない。


それでも、耳の奥には少しだけ残っていた。


変わったなあ、と言った声。

なくなっていない、と言った声。


あれは、神務庁の仕事ではない。


記録にも残らない。

危険度もない。

予算もつかない。


それでも、声はした。


なら、聞いた者が返事をすればよい。


あぶさんの言葉を思い出して、波多野は小さく息を吐いた。


「……聞いた者が、ですか」


近くを歩いていた会社員が、少しだけこちらを見た。


波多野は咳払いをして、何でもない顔をした。


独り言が増えている。


これは、かなりよくない。




     ***




神務庁の庁舎に入ると、外の音が少し遠くなった。


町のざわめきも、人の願いも、ここでは薄い膜の向こうへ退く。


代わりに、職員の足音、話し声、どこかの部署で決裁箱を置く音が聞こえる。


神務庁は、静かな場所ではない。


静かにしている場所なのだ。


廊下で、同じINARI運用課の職員とすれ違った。


「波多野さん、おはようございます。今日、九時半から小会議室です。末端観測点の件」


「あ、はい。分かりました」


末端観測点。


その言葉を聞いて、リュックの中であぶさんがもぞりと動いた。


「端はよう冷える」


「何の話ですか」


「端の話じゃ」


「説明になってません」


「真ん中におる者には分からん」


「それ、深い話ですか」


「眠い」


「深くなかった」


廊下を曲がると、INARIネットワーク運用課の札が見えた。


扉の向こうからは、いつもの電子音がかすかに聞こえている。


普通の役所の朝。


ただし、画面に映っているのは、全国の神社と祠の状態である。


波多野はリュックの肩紐を握り直した。


「会議中は黙っててくださいね」


「内容による」


「黙っててください」


「善処する」


一番信用できない返事だった。


波多野は、INARI運用課の扉を開けた。




     ***




「波多野さん」


自席に鞄を置いたところで、さかき課長に呼ばれた。


榊課長は、いつものようにブラックの缶コーヒーを机に置いている。


スーツはきちんとしていたが、顔は少しだけ眠そうだった。


神務庁の課長にも月曜はある。


「九時半から、末端観測点の件です。会議室に資料を持ってきてください」


「分かりました」


波多野は端末を立ち上げ、共有フォルダから資料を開いた。


件名。


『長野県南部木曽谷系統における末端情報収集率低下について』


木曽谷。


行ったことはない。


名前くらいは聞いたことがある。


山と谷。

川沿いの道。

昔の街道。


その程度の、地図と教科書で見たことがあるくらいの場所だった。


昨日歩いた柴又や江戸川とは違う。


自分の生活圏ではない。


けれど、神務庁の画面では、同じ地図の上に並んでいる。


東京の路地裏の稲荷も、山あいの集落の小社も、会社の神棚も、古い宿場の片隅に残った祠も。


それぞれの場所に、それぞれの声がある。


ただ、そのままでは役所の画面には載らない。


名前を消し、場所を丸め、数字にして、会議室に持ってくる。


神務庁の仕事は、たぶんそういうことだった。


「承平」


リュックの中から、小さな声がした。


「何ですか」


「腹が減った」


「今ですか」


「今じゃ」


「会議前です」


「だから今じゃ」


「静かにしてください」


波多野は小声で言い、資料を印刷した。


プリンタから紙が吐き出される。


神様の気配も、古い祠の声も、最終的にはA4になる。


それが神務庁だった。




     ***




午前九時半。


INARI運用課の小会議室には、榊課長と波多野、課の職員、それから現場メンテチームの担当者が集まっていた。


担当者は作業着の上に薄いジャンパーを羽織っている。


会議室に入って最初に言ったのが、


「空調、ありがたいですね」


だったので、現場の人らしいと思った。


壁のモニターには、長野県南部の地図が映っている。


谷筋を川が走っている。

その横を、国道と鉄道が細く伸びている。

山側には、旧道と集落が、地図の線と点になって続いていた。


その上に、中継点を示す丸いアイコンがいくつか浮かんでいる。


木曽谷北部第二中継点のアイコンは緑。


ただし、その周囲を囲む地域表示だけが、薄い黄色になっていた。


中継点は正常。


けれど、そこへ集まる声に注意が出ている。


榊課長が資料をめくった。


「では始めます。木曽谷系統の末端情報収集率低下についてです」


画面上の地図が切り替わる。


黄色く囲まれた範囲が、少しだけ大きく表示された。


「中継点そのものは正常です。通信も電源も問題ありません。神気濃度の異常上昇も、界門発生疑いもありません」


「でも、黄色なんですね」


職員の一人が言った。


「はい。末端から集まる情報量が、今朝、注意域に入りました」


榊課長は、中継点を指した。


「ただし、通常画面では、どの末端が落ちているかまでは分かりません。個人宅の屋敷稲荷やしきいなり、会社の神棚、商店や工場の小社も末端に含まれます。個別の位置は匿名化され、中継点単位でまとめられます」


波多野は資料に目を落とした。


末端観測点には、個人所有物件および事業所内祭祀設備じぎょうしょないさいしせつびを含む。


通常画面においては、個別位置情報を匿名加工とくめいかこうの上、地域中継点単位で集約表示する。


役所の文章だった。


意味は分かる。


ただ、読みにくい。


「つまり、本庁で分かるのは、どの家の神棚が弱っているかではありません」


榊課長は続けた。


「この地域から上がってくる声が、減っている。分かるのは、そこまでです」


声。


榊課長は、当然のようにそう言った。


けれど資料には、情報収集率、と書かれている。


神務庁では、声も数字になる。


現場確認の結果は、公開祠と協力神社は確認済み。

清掃、札の貼り替えまで実施済み。

一時的に少し戻ったが、翌日にはまた落ちた。


個人宅や会社の神棚は、勝手に確認できない。


「そもそも『お宅の稲荷がINARIの末端観測点になっています』とは言えません」


現場メンテチームの担当者が言った。


「言えませんね」


榊課長がうなずいた。


「言ったら、別の会議が増えます」


それはかなり嫌だった。


会議室の空気が少しだけ緩む。


すぐに榊課長が戻した。


「原因としては、末端そのものの不調、INARI側の処理不具合、あるいは途中の経路阻害けいろそがいが考えられます」


「経路阻害」


波多野は思わず繰り返した。


「末端の反応は存在する。しかし、中継点まで十分に上がってこない、という場合です」


榊課長は地図の山側を示した。


「道路の付け替え、砂防工事、古い通路や水路跡の断絶。人間にとってはただの工事でも、末端から情報が上がる時の通り道に影響する場合があります」


「道が変わると、声も迷うんですか」


波多野は言ってから、少しだけ後悔した。


榊課長は、普通にうなずいた。


「そういう言い方もできます」


現場メンテチームの担当者が、肩をすくめた。


「道路を掘っただけで全部止まる、というほど単純ではありません。ただ、古い道をまとめて潰した工事の後に、収集率が落ちることはあります。今回は、まだ分かりません」


神務庁は、神様の役所である。


ただし、神様の問題を解くために、結局は道路占用や上下水道工事の情報を見に行く。


それもまた、神務庁らしかった。


「現時点で、緊急性は高くありません」


榊課長は言った。


「ただし、この状態が続くと、界門かいもん荒御魂反応あらみたまはんのうの検知精度に影響します。赤に上がる前に原因を切り分けます」


それから、榊課長は波多野を見た。


「波多野さん。会議後、先週分と今週分のログを照合してください」


「僕が、ですか」


「はい。通常画面で分かる範囲で構いません。気づいた点に印をつけてください」


判断ではなく、照合。


新人に任される作業としては、妥当だった。


「分かりました」


波多野は資料にメモを取った。


通常画面で分かる範囲。


そう言われたことが、なぜか少しだけ耳に残った。


会議室のモニターでは、木曽谷北部第二中継点の地図が表示されたままだった。


中継点は緑。


地域は黄色。


山側には、旧道と集落。


そこから上がってくるはずのものが、途中で迷っているような感じがした。


声がないわけではない。


声はある。


ただ、届いていない。


波多野は、その感覚を言葉にしようとして、やめた。


今はまだ、会議中だった。




     ***




会議が終わると、波多野は自席に戻った。


小会議室から持ち帰った資料を机に置き、通常職員用のINARI画面を開く。


長野県南部。


木曽川に沿って、細い谷が伸びている。


地図上では、川も道路も鉄道も、線でしかない。

山も、等高線と薄い陰影にすぎない。


そこに、木曽谷北部第二中継点が重なっている。


中継点は緑。

周辺地域は黄色。


ただし、赤アラートはない。


「……緑と黄色なんですよね」


波多野は小さく呟いた。


足元のリュックが、もぞりと動く。


「どちらを信じるのじゃ」


あぶさんが言った。


「どちらもです」


「人間は欲張りじゃのう」


「役所なので」


波多野は一覧表と地図を並べた。


公開祠確認済み。

協力神社確認済み。

一時改善。

翌日低下。


資料だけ見れば、事務的な不具合だった。


末端のどこかが弱っているのか。

途中の道が悪いのか。

システム側がおかしいのか。


普通に考えれば、そのどれかだ。


そして、そのどれかを切り分けるために、波多野はログを照合している。


それだけの作業だった。


波多野は地図を拡大した。


川沿いに、国道と鉄道が走っている。


山側には、細い道がいくつか伸びている。


旧道。

集落。

谷から山へ入り込むような細い線。


末端情報は匿名化されている。


だから、個別の屋敷稲荷や会社の神棚は見えない。


見えてはいけない、というより、通常画面には出てこない。


そういう仕組みになっている。


それでも、地域としての変化は出る。


地図の山側。


そこだけ、何かが引っかかった。


色ではない。

線でもない。

画面上に出ている情報ではない。


山側の集落から、中継点へ向かう途中。


そこから何かが上がろうとして、途中で止まっている。


声がないのではない。


声はある。


あるのに、届かない。


川沿いの中継点へ降りてくる前に、山側で迷っている。


そんな感じがした。


「……末端稲荷の問題じゃない」


気づくと、声に出ていた。


「末端の欠測けっそくではないのか」


あぶさんが言った。


「たぶん」


「たぶんか」


「たぶんです」


「人間の仕事にしては頼りないのう」


「狐に言われたくないです」


波多野は、慌てて一覧表に目を戻した。


通常画面で分かる範囲。


榊はそう言った。


通常画面で分かる範囲なら、書いていい。


地域表示は黄色。

公開祠の確認後も改善せず。

工事情報は照会中。


そこまではいい。


だが、


声はあるが届いていない。


山側から中継点へ向かう途中で迷っている。


そんなものは、通常画面にはない。


「承平」


足元から声がした。


「何ですか」


「そこ、声が迷子じゃな」


波多野は、思わず画面から目を離した。


「迷子?」


言ってしまってから、しまったと思った。


すぐ近くで、キーボードの音が一つ止まった。


波多野はゆっくり顔を上げた。


榊課長が、少し離れた席からこちらを見ていた。


目が合った。


榊は、すぐには何も言わなかった。


ブラックの缶コーヒーを持ったまま、波多野の方へ歩いてくる。


足音は静かだった。


こういう時の榊課長は、怒鳴らない。


それが一番怖い。


「波多野さん」


「はい」


「今のは、地図の話ですか」


「……はい」


嘘ではない。


嘘ではないが、全部でもない。


榊は波多野の端末画面を覗き込んだ。


通常職員用のINARI画面。


木曽谷北部第二中継点。

中継点緑。

周辺地域黄色。


表示されているのは、それだけだった。


「何が迷子ですか」


榊が聞いた。


声は穏やかだった。


波多野は画面の山側を指した。


「何もないというより、あるのに届いてない感じがします」


「それは、通常画面から読める情報ですか」


波多野は、黙った。


読めない。


少なくとも、普通には。


「通常画面に、そういう表示はないと思います」


「はい。少なくとも、あなたが開ける画面にはありません」


榊は即答した。


「では、なぜそう思いましたか」


「地図を見たら、なんとなく」


結局、波多野はそう言った。


榊は、波多野が木曽谷に行ったこともないと確認すると、自分の端末を持ってきた。


「少し確認します」


通常職員用ではない、保守用の画面だった。


「本来なら、現地確認と工事情報の照会結果を待ってから見る画面です。匿名化された末端情報に、通常画面より一段深く触れますから」


榊は端末を操作した。


「ですが、今の発言は確認する理由になります」


画面上の地図に、薄い影のような表示が重なった。


中継点を中心に、山側の一方向だけが、少し暗く示されている。


榊の指が止まった。


波多野も、息を止めた。


そこだった。


さっき、薄く見えた場所。


声が迷子になっているように感じた場所。


「……山側ですね」


榊が小さく言った。


「完全に消えているわけではありません。弱い反応が、途中で落ちています」


榊は、さらに画面を確認した。


中継点そのものは正常。

公開祠も確認済み。

協力神社経由の応答も正常。


そこまで見て、榊は少しだけ沈黙した。


「波多野さん。あなたが言った『あるのに届いていない』という表現は、こちらの画面の傾向と近いです」


心臓が、一度だけ強く鳴った。


「そう、ですか」


「はい」


「偶然ですかね」


自分で言って、かなり弱いと思った。


榊は否定も肯定もしなかった。


「今後、地図を見て違和感があった場合は、通常画面で確認できる範囲と、あなたの感覚を分けて報告してください」


「感覚、ですか」


「他に呼び方があれば、そちらでも構いません」


「いや、感覚で大丈夫です」


大丈夫ではない気もした。


だが、それ以外の言い方もなかった。


榊は、少しだけ声を落とした。


「それと。今、誰かと話しましたか」


足元のリュックが、ぴたりと動きを止める。


「……独り言です」


「そうですか。ストレスがたまると独り言が増えると言います。何か心配事があったら言ってくださいね」


そう言って榊は端末を閉じた。


「この件は、私の方で詳細確認を進めます。波多野さんは通常画面の一覧を続けてください。判断は、まだしなくて構いません」


「分かりました」


榊は自席へ戻っていった。


周囲の職員は、何も聞かなかった。


神務庁の職員は、聞かないことに慣れている。


聞くべきことと、聞いたら仕事が増えることを、だいたい分けている。


波多野は、もう一度地図を見た。


木曽谷北部第二中継点。


山側。

旧道。

集落。


声はある。


ただ、届いていない。


さっきより、その感覚は少しだけはっきりしていた。


「……あぶさん」


小声で呼ぶ。


「何じゃ」


「さっきの、声が迷子って」


「うむ」


「どういう意味ですか」


リュックの中で、あぶさんが少しだけ鼻を鳴らした。


「迷子は迷子じゃ」


「説明になってません」


「帰り道を知っていても、曲がるところを間違えることはある」


「それ、今回の話ですか」


「狐の話じゃ」


「狐も迷うんですか」


「迷ったことのない狐は、道を覚えん」


意味があるようで、たぶんない。


あるいは、あるのかもしれない。


波多野には分からなかった。


分からないまま、通常画面のメモ欄に入力する。


通常画面上、木曽谷北部第二中継点周辺に注意表示。

公開祠および協力神社確認後も改善なし。

詳細確認は榊課長へ引継ぎ。


そこまで書いて、少し迷う。


それから、別の欄に小さく追記した。


感覚メモ:完全欠測ではなく、未達に近い。


保存ボタンを押す。


画面の右下に、短く表示が出た。


保存しました。




     ***




昼休みの終わり。


榊礼司は、自席で缶コーヒーを開けた。


今日二本目だった。


本当は一本で済ませたい。


だが、神務庁の月曜は、だいたい二本を要求する。


榊は、個人用の業務メモを開いた。


公式報告ではない。


ただし、必要があれば後で出せる形式のメモ。


神務庁には、そういう書き方がある。


件名。


『波多野承平に係る業務上所見』


榊は、少しだけ画面を見つめた。


榊の頭には、台東区花川戸の界門事案が残っていた。


残留神気による自然再展開。


そう処理された二次開門。


その直前、榊はINARIログに稲荷系反応とカタログ照合エラーを見た気がしていた。


すぐに表示は整った。


見間違いだったのかもしれない。


業務も立て込んでいた。


あの時は、そう処理した。


ただし、波多野承平には稲荷系の神気しんきが残っていた。


現場帰りなら珍しくはない。


そう判断することもできた。


できたので、そう判断した。


市松人形の件もある。


正式受入にはならなかった。


危険性も低いと判断された。


本人からも、そう報告を受けている。


それだけなら、通常業務の範囲内だった。


だが、今日の件を踏まえると、少しずつ疑念が生まれる。


榊は、メモに入力した。


波多野承平。


花川戸|界門事案時、INARIログに一時齟齬(そご)の可能性あり。

同事案後、本人に稲荷系神気の残留を確認。

市松人形照会。正式受入なし。本人報告済み。

木曽谷系統案件にて、通常画面に表示されない未達傾向を指摘。

本人説明、地図を見たらなんとなく。

発言直前、独語様反応あり。


榊は、そこまで入力してから、少しだけ考えた。


事実だけだ。


解釈は入れていない。


偶然。


疲労。


感覚の鋭さ。


あるいは、何か別のもの。


今の段階では分からない。


分からないものは、分からないまま置いておくしかない。


ただし、消していいものでもない。


榊は、メモの末尾に一行だけ追加した。


要経過観察。


保存ボタンを押す。


画面の右下に、短い通知が出た。


保存しました。


榊は端末を閉じた。


少し離れた席で、波多野承平は通常画面を見ながら首をかしげていた。


足元のリュックが、時々かすかに動いている。


普通の職員なら、疲れているのだろうと思う。


独り言が増えているのだろうと思う。


榊も、そう思うことはできた。


できたが、それだけでは足りない。


INARI通常画面には、表示なし。


保守用画面にて、該当傾向を確認。


波多野承平、表示前に異常を指摘。


情報取得経路、不明。


榊は、閉じた端末をもう一度だけ見た。


まだ、報告する段階ではない。


ただし、忘れていい段階でもなかった。


お読みいただきありがとうございます。


今回はINARIネットワーク運用課の仕事と、波多野が少しずつ「通常画面にはないもの」を拾い始める回でした。


榊はどう動くのか、菅野と榊、二人に目をつけられた波多野はどうなるのか。


次回は少し軽めに、神務庁の現場側の日常も書いていけたらと思います。

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