第27話 閉じ方
旧蓮見台団地編、解決に向けて動き始めます。
道を切るだけでは終わらない。
では、三十年前から残った手続きを、どう閉じるのか。
第27話 閉じ方
旧蓮見台団地の封鎖から、四日が過ぎた。
その間、案件は動かなかった。
正確には、動いてはいけないはずだった。
朝一番で波多野承平がINARIの通常画面を開くと、旧蓮見台団地跡地の表示は、相変わらず平常だった。
赤はない。
黄もない。
封鎖措置を示す案件番号と、境界対策課の経過記録が、画面の隅に並んでいるだけだった。
けれど、波多野には分かっていた。
通常画面には出ていない。
封鎖の中で、何かが、まだ道を探している。
***
午前十時。
小会議室に、四人が集まった。
榊。
常盤。
道上。
そして、波多野。
倉橋は来ていない。
呪具呪物管理課からは、物件側の追加所見が書面で届いていた。
『封緘済み封筒三点につき、追加反応の変化なし。ただし、当該案件は物件単独で完結する性質のものではないと考える。現地側の経過観察を要する』
倉橋らしい書き方だった。
自分の手が届く範囲だけを書く。
その外側は担当ではないと明示する。
けれど、担当ではないから問題がないとは、書かない。
榊は、その書面を机の端に置いた。
「現地の状況を確認します」
常盤が、端末を開いた。
「外周封鎖は保ってる。団地の敷地から外へは出てねえ」
「外周は、ですか」
波多野が聞くと、常盤は頷いた。
「三号棟の内側が、楽じゃねえ」
画面には、三号棟一階の簡略図が表示された。
集合ポスト。
階段室。
三〇七号室へ続いていた配達経路。
三〇七号室を中心に、境界対策課の内側封鎖線が引かれている。
「三〇七号室のポストに出た封筒は、消えては、また現れる。宛名は空欄のままだ」
「健太さんは、もう本人ではない」
「今のところはな」
道上が切ったのは、三〇七号室と健太を結んでいた配達経路だった。
健太は、誤って本人として取り込まれかけていた。
その道を切ったことで、健太への配達は止まった。
だが、三〇七号室に残った手続きそのものが消えたわけではない。
常盤は、画面を切り替えた。
表示されたのは、四階の平面図だった。
四〇一号室。
その集合ポストに、薄い黄色の印が付いている。
「昨日の夜から、四〇一号室に同種の反応が出てる。封筒はまだ現れてねえ。本人照会も始まってない」
「四〇一号室が、次の宛先になるんですか」
「違う。宛先は今も三〇七だ」
常盤は、三〇七号室と四〇一号室を画面上で示した。
「三〇七への直接経路を切られたから、同じ棟の別住所を中継点にして、道を引き直そうとしてる」
「四〇一号室を経由して、三〇七号室へ届けるんですか」
「物理的に階段を下りるわけじゃねえ」
常盤は言った。
「あれがたどってるのは、廊下じゃなく住所だ」
旧蓮見台団地。
三号棟。
三〇七号室。
その住所は、部屋の中だけに存在しているものではない。
集合ポスト。
部屋番号。
入居者台帳。
管理記録。
同じ棟に並ぶ、ほかの住所。
それらすべてが、三〇七号室という場所を形作っている。
「四〇一は、今のところ一番強く反応が出てる中継点だ」
常盤は言った。
「そこから三号棟の住所体系へ入り直して、三〇七への配達経路を組み直す気なんだろう」
「どうして、四〇一なんですか」
「絶対的な理由までは分からねえ。同じ棟で、物理的にも近い。残ってる記録同士のつながりも強い。封鎖の外側で、最初につかめた住所が四〇一だった可能性が高い」
建物の物理構造が、無関係なわけではない。
近い部屋。
同じ階段。
同じ集合ポスト。
同じ管理台帳。
そうした現実のつながりが、住所のつながりを強くする。
だが、怪異が本当に移動しているのは、壁や廊下の中ではない。
住所と住所の間だった。
「四〇一を切ったら」
「別の住所へ移る」
道上が答えた。
「四〇二かもしれません。管理人室かもしれない。集合ポスト全体かもしれない。三〇七号室と住所上つながるものなら、入口になり得ます」
「物理的な近さは関係ないんですか」
「関係はあります」
道上は言った。
「ただし、近いから歩いて移るわけではありません。近い場所ほど、住所や管理上のつながりが強い。それだけです」
常盤が、三〇七号室の表示を指した。
「あれは別の部屋へ配達しようとしてるんじゃねえ。三〇七へ届くために、住所の網を迂回してる」
「団地の外も、ですか」
「外周封鎖が保っている間は、敷地内に残った住所を優先すると思います」
道上は、少し間を置いた。
「ただし、現地側を全部切ったあと、外へ探しに行かない保証はありません」
健太の自宅。
拓海の自宅。
動画の保存先。
旧管理会社の倉庫。
行政機関に残った記録。
一度でも三〇七号室とつながった場所へ、道が伸びる可能性がある。
「じゃあ、また切れば」
「切れます」
道上は、あっさり言った。
「見つけた道を、一つずつ。ただ、切るたびに別の入口を探します」
「きりがない」
「はい」
常盤が、椅子の背にもたれた。
「道を切ってるだけじゃ、終わらねえ。三〇七号室が配達を続ける理由そのものを閉じるしかない」
***
閉じる。
その言葉は、四日前の研究室でも出ていた。
切るのは、道の話だ。
閉じるのは、手続きの話だ。
三十年前から開きっぱなしになっている確認を、正しい形で終わらせる。
「本人確認を、完了させるということですか」
「少し違う」
常盤が言った。
「本人を見つけて完了させるんじゃねえ。本人を確認できなかった手続きを、確認不能として終わらせる」
「そんな終わらせ方があるんですか」
「人間の手続きにはある」
常盤は、資料を一枚、机の中央へ出した。
古い住宅管理書類の写しだった。
退去者確認。
転居先照会。
本人所在不明。
確認継続。
確認不能による処理終了。
薄くかすれた文字が並んでいる。
「三〇七号室で止まったのは、本人が見つからなかったからじゃねえ」
常盤は、一番下の欄を指した。
「本人が見つからなかったという結果を、誰も確定させなかったからだ」
未確認。
それは、本人がいないという意味ではない。
まだ確認が終わっていないという意味だ。
終わっていないから、三〇七号室は今も本人を探している。
本人が見つかれば、その相手へ配達する。
本人が見つからなければ、住所をたどり、道を変えて探し続ける。
「誰かの名前で空欄を埋める必要はねえ」
常盤は言った。
「空欄のまま終わらせればいい」
「じゃあ、この書類を現場へ持っていけば」
「紙を置くだけで終わるなら、とっくにやってる」
常盤は、端末の画面を閉じた。
「向こうは文書の内容を読んじゃいねえ。形式だけ残った手続きだ。本人確認の問いに誰かが応えれば、そいつを本人にする。何を答えたかじゃない。応答があったかどうかしか見てねえ」
波多野の喉の奥に、四日前の感覚が戻った。
暗い廊下。
黒い人影。
自分へ向けられた確認。
返事をしかけた口。
榊の手。
止められなければ、自分が三〇七号室の本人にされていた。
「それなら、確認不能だと答えても、答えた人が本人にされませんか」
「普通に答えれば、そうなる」
常盤は低く言った。
「だから、本人確認の問いには答えない」
「どうやって」
「問いの先を変える」
波多野は、常盤を見た。
「本人として返事をするんじゃねえ。本人確認を続けている手続きそのものに、処理結果を返す」
「本人はいない、と」
「確認不能。照会終了。空欄のまま閉鎖」
道上が、わずかに眉を寄せた。
「そんな区別をしますかね。あれが」
「分からねえ」
常盤は即答した。
「だから、気に入らねえ抜け道なんだ」
会議室が静かになった。
「普通に応えれば、応えた奴が本人にされる。だが、誰に向けられた問いなのか聞き分けて、本人じゃなく手続き側へ返せる奴がいるなら、閉じられるかもしれねえ」
「かもしれない」
「成功例はない」
常盤は、波多野を見なかった。
「失敗すれば、応えた奴が新しい本人になる」
***
榊は、すでに気づいていた。
会議が、閉じるしかないという結論に辿り着く前から。
いや、もっと前から。
四日前。
三〇七号室の前で、波多野が声を聞いた時から。
常盤の言う方法が成立するなら、必要なのは、問いを聞き分けられる者だった。
通常の職員には、黒い男の言葉は意味として届かなかった。
常盤は構造を推定できる。
道上は、通っている経路を切れる。
だが、問いが誰に向けられているのかを聞き分け、返事を届ける相手を選べる者は、一人しかいない。
榊は、机の向かいに座る波多野承平を見た。
声を聞く。
網を、少し見る。
届かないものの行き先を拾う。
呼ばれれば、応えてしまう。
四日前から、答えは目の前にいた。
榊は、缶コーヒーへ手を伸ばそうとして、やめた。
言えば、この会議は終わる。
出口が見つかる。
健太も、次の誰かも助かる。
だが、その出口をくぐるのは、波多野だ。
一つ間違えれば、三〇七号室の本人にされる。
取り込まれた波多野を、道上が切り離せる保証はない。
それだけではなかった。
波多野を、この解決に使う。
それは、波多野の力を、神務庁の業務として公式に動かすということだった。
一度動かせば、記録が残る。
記録が残れば、次も呼ばれる。
聞いて、応えられる職員。
通常ログに出ないものへ、返事を届けられる職員。
便利な力は、便利であるがゆえに手放されない。
そして、便利すぎる力は、いつか必ず、危険なものとして分類される。
役所は、そうやって動く。
榊は、その先を知っていた。
だから、気づいていることを言わなかった。
***
「榊さん」
常盤が、榊を見た。
「あんた、気づいてるだろ」
榊は、視線を上げた。
常盤の目は、いつもの、やさぐれた研究者の目だった。
けれど、その奥は笑っていなかった。
「問いの先を聞き分けられる奴だ」
常盤は、静かに言った。
「俺が言わなくても、あんたはとっくに、その先まで計算してる」
榊は答えなかった。
否定もしなかった。
「言わねえのは、あんたなりの理由があるんだろう」
常盤は、それ以上、踏み込まなかった。
確認できた事実だけを置く。
その扱いは、管理者へ返す。
倉橋と同じやり方だった。
「僕ですよね」
その時、波多野が言った。
三人が、波多野を見る。
波多野自身も、言葉にしたあとで喉が乾くのを感じていた。
三〇七号室の廊下が、頭に浮かぶ。
あの時、榊に止められなかったら。
自分の名前が、あの封筒の空欄に入っていた。
怖くないわけではなかった。
むしろ、理屈が分かった今の方が怖かった。
それでも、会議の話を追っていけば、行き着く先は一つだった。
「僕なら、問いを聞き分けられるかもしれません」
「波多野さん」
榊の声が、鋭くなった。
「軽々しく言わないでください」
「軽々しくは言ってません」
波多野は、榊を見た。
「健太さんへ続いていた道は切れました。でも、三〇七号室は残っています」
四〇一号室を中継点にして、三〇七号室への道を引き直そうとしている。
そこも塞げば、また別の住所を探す。
その先が、団地の中だけで済む保証はない。
「誰かが本人になるまで、あれは道を探し続けるんですよね」
「そうです」
「だったら、放っておけません」
「放っておかないために、あなたを使うとは限りません」
榊は言った。
「現場で、あなたは応えかけました。覚えていますか」
「はい」
「あの時、応えていたら、あなたが三〇七号室の本人にされていました」
「はい」
「今度は、問いを聞くだけでは済みません。本人確認には応じず、未了の手続きそのものへ終了結果を返す必要があります。ですが、向こうがその二つを区別する保証はありません」
「はい」
「向こうが、返事の内容ではなく、応答した事実だけを拾えば、その時点であなたが本人になります」」
「分かっています」
「分かっていません」
榊の声は、低かった。
「取り込まれたあとで、元に戻せる保証はありません」
波多野は、少しだけ黙った。
机の下で、握った手に力が入る。
怖かった。
もう一度、あの廊下へ入ることが。
自分の名前が消え、知らない誰かの部屋の本人にされることが。
それでも、四〇一号室に出た黄色い印が頭から離れなかった。
怪異は止まっていない。
道を変えただけだ。
「それでも、誰も閉じなければ、あれは次の住所を探します」
波多野は言った。
「僕が聞けるなら。僕にしか、返す相手を選べないかもしれないなら」
一度、息を吸う。
「本人はいないって、手続きに返したいです」
会議室が静かになった。
道上が、小さく息を吐いた。
「やることになったら、帰り道は俺が作ります」
榊が、道上を見た。
道上は、波多野ではなく、机の上の平面図を見ていた。
「三〇七号室へ向かう道と、波多野君が戻る道を分ける。本人にされかけたら、その場で切ります」
「戻せますか」
榊が聞く。
「保証はできません」
道上は、はっきり答えた。
「だから、俺からやれとは言いません。ただ、やるなら、切るのは俺の仕事です」
常盤は何も言わなかった。
榊だけが、波多野を見ていた。
現場で見た、あの顔だった。
聞こえてはいけないものが、聞こえてしまった顔。
そして今、それに、自分の意思で応えようとしている顔だった。
***
足元のリュックが、その時、わずかに動いた。
波多野は気づかなかった。
榊も、常盤も、道上も気づかなかった。
けれど、あぶさんは動いた。
波多野が、
本人はいないって、手続きに返したい。
そう言った、その瞬間に。
小さく、体を起こすように。
あぶさんは、波多野が名をつけた時のことを覚えていた。
呼ぶ名を与えた。
だから、応える先が定まった。
応答は、縁を結ぶ。
誰に返事をするか。
どこへ声を届けるか。
それは、言葉の内容よりも重い。
あぶさんは何も言わなかった。
ただ、リュックの中で、静かに波多野の方へ鼻先を向けていた。
***
「今日は、結論を出しません」
榊は言った。
「波多野さんを現場で使うかどうかは、私が判断します。管理者として」
「榊課長」
「あなたの意思は聞きました。記録します」
榊は、波多野から目を逸らさなかった。
「ですが、意思があることと、やらせることは別です」
波多野は、何も言えなかった。
榊は、ようやく缶コーヒーを手に取った。
まだ開けなかった。
「常盤さん。封鎖は、あと何日保ちますか」
「外周だけなら、もう少し持たせられる。ただ、内側の迂回は止められねえ」
常盤は、画面の四〇一号室を見た。
「封鎖開始から一週間が限度だ。あと三日。その先は、団地の外に残ってる住所や記録まで探り始めてもおかしくねえ」
「分かりました」
榊は立ち上がった。
「三日以内に判断します」
会議の空気が、わずかに動いた。
「それまで外周封鎖を維持してください。道上さん、四〇一号室側へ予防封鎖を。新しい中継点が確認された場合は、切断前に経路を記録してください」
「了解です」
「波多野さん」
「はい」
「通常業務に戻ってください。旧蓮見台の件には、今は触れないでください」
考えなくていい、とは言わなかった。
考えずにいられるはずがないと、榊も分かっていた。
***
会議のあと、榊は自席へ戻らず、給湯室の前でしばらく立っていた。
手の中の缶コーヒーは、まだ開いていない。
三日以内に判断する。
そう言った。
けれど、判断の中身は、ほとんど決まっていた。
放置すれば、封鎖は弱る。
怪異は四〇一号室を中継点にして、三〇七号室への道を引き直そうとする。
そこを切れば、別の住所を探す。
いずれ、団地の外へ出る。
止めるには、未了を閉じるしかない。
閉じるには、問いを聞き分け、返事を届ける相手を選べる者が要る。
それができる可能性があるのは、波多野だけだった。
出口は、一つしかない。
一つしかないから、これは判断ではない。
ただ、波多野を、あの刃の上に立たせる日を、三日先へ置いただけだった。
榊は、缶コーヒーを開けた。
一口飲む。
ぬるくなっていた。
苦味だけが、喉に残った。
波多野承平は、声を聞く。
網を、少し見る。
呼ばれれば、応えてしまう。
そして、応える先を選べる。
使われれば、記録が残る。
記録が残れば、いつか名前がつく。
能力名。
使用条件。
危険性。
管理区分。
担当部署。
役所は、名前をつけなければ扱えない。
名前をつけたものを、放ってもおかない。
波多野を助けるために、波多野を使う。
それは、あの若者を制度の中へ入れる、最初の一歩になる。
榊は、それでも、別の出口を探すことにした。
見つからないかもしれない。
たぶん、見つからない。
それでも残された三日間は、波多野を使わずに済む方法を探すための時間だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
健太が巻き込まれたのは、「本人」として捕まるところまで。
波多野がこれから触れようとしているのは、その本人を探し続けている手続きそのものです。
次回、旧蓮見台団地へ戻ります。
ブクマ・感想等本当に励みになります。お待ちしております。




