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【第一部完結】タカマガハラの神務官 〜神様の力を使うのに必要なのは、祈りではなく決裁です〜  作者: ひらまさ


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第25話 未了

第25話です。


旧蓮見台団地の件、時相境界班の常盤が本格的に動きます。


怪談としては「名前を読んだ」「封筒が届いた」という話ですが、神務庁ではそれを「未了の手続き」として扱います。

第25話 未了


「なら、まだ午前か」


常盤はそう言って、机の上の湯呑みに手を伸ばした。


中身を一口飲んで、顔をしかめる。


「冷めてる」


「昨日のじゃないですか、それ」


道上が言った。


「昨日がいつかによる」


「そういう班です」


道上は、二度目の説明を波多野に向けた。


常盤は湯呑みを置き、紙束の山から一つの束を引き抜いた。


角が揃っている。


散らかった机の上で、その束だけが整えられていた。


「呪具呪物管理課からの照会だな。旧蓮見台団地の件」


「はい」


榊が答えた。


「読んだ。二度読んだ」


常盤は束を机の中央に置いた。


「二度読みたくなかったが」


その言い方は、道上の「見たくなかったですけど」と同じ重さをしていた。


この案件は、読んだ人間を同じ顔にするらしい。


波多野は、部屋の中をもう一度見た。


壁の年表。


住宅地図。


ピンで留められた時計の文字盤。


そして、通路にあったのと同じように、この部屋の棚の上にも時計が二つ置かれていた。


どちらも、違う時刻を指している。


視線に気づいたのか、常盤が言った。


「気になるか」


「すみません。つい」


「いい。だいたいの人間が気にする。そして、だいたいの人間が『直せば』と言う」


「直さないんですか」


「直さない」


常盤は、時計の一つを顎で示した。


「時刻を一つに決めるとな、ずれてる方が見えなくなる」


「ずれてる方」


「基準ってのは、比べるためにある。ずれを見る商売の人間が、正しい時刻に慣れすぎると、鈍る」


理屈なのか、屁理屈なのか、波多野には判断がつかなかった。


ただ、この人が時計を直さない理由に、一応の筋が通っていることだけは分かった。


「時相境界班ってのはな」


常盤は椅子の背にもたれた。


「出世する仕事じゃねえんだ」


「はあ」


「界門や結界の連中はいい。閉じました、通しません、で成果が見える。写真も撮れる。決裁も下りる」


道上が横で、否定も肯定もしない顔をした。


「こっちの最良の成果は、何も起きませんでした、だ。何も起きなかったことに、予算は付かねえ」


「予算の話は、また今度にしましょう」


榊が静かに言った。


「照会の件です」


「分かってる」


常盤は姿勢を戻した。


その瞬間、声から愚痴の湿り気が抜けた。


「呪物課の倉橋ってのは、この所見を書いたやつか」


「はい。担当は倉橋です」


「いい所見だ」


常盤は、束の一枚目を指で叩いた。


「分かってねえことが、分かってねえまま書いてある」


波多野は、少しだけ聞き返しそうになった。


褒めているのか、けなしているのか、一瞬分からなかった。


「褒めてる」


顔に出ていたらしい。


「分かってねえことを分かったように書く所見が、一番危ねえ。処理が先に走る。この所見は、疑いは疑い、確認は確認、禁止は禁止で書き分けてある。呪物課ってのは、いい仕事するんだな」


「本人に伝えておきます」


榊が言った。


「やめとけ。伝わると増長する」


「倉橋さんは増長しないと思います」


波多野は、思わず言った。


常盤は波多野を見た。


「知り合いか」


「何度か、現場でご一緒しました」


「なら、なおさら伝えるな。真面目なやつほど、褒め言葉の置き場所に困る」


妙に実感のこもった言い方だった。




     ***




「講義をする」


常盤は、そう宣言した。


「手短にお願いします」


「時間ならある。ここは時相境界班だ」


「今のは冗談ですか」


「さあな」


常盤は立ち上がり、壁の年表の前に立った。


「INARIの兄ちゃん。うちの作業仮説を言う。時間は、流れてるんじゃねえ。処理されてる」


「処理」


「一つの時点が完了して、次の時点へ送られる。完了して、送られる。その繰り返しだ。人間が朝起きて、飯を食って、仕事に行く。そのあいだに、世界のほうも膨大な手続きを済ませてる。そう考える」


波多野は、少しだけ間を置いた。


「それ、証明されてるんですか」


「されてたら、うちの部屋はもっと広い」


「仮説なんですね」


「仮説だ。だが、仮説には使い道がある」


常盤は年表から手を離した。


「この仮説で見ると、時相境界異常ってのはな、だいたいが、終わらなかった手続きの残骸だ」


「終わらなかった手続き」


「完了しなかった時点は、閉じられずに残ることがある。送られないまま、開きっぱなしで、そこにある」


常盤は机に戻り、束の中から一枚を抜いた。


管理台帳の照会結果だった。


三号棟三〇七号室。


入居者氏名。


自治会連絡員。


郵便物一時預かり。


転居先確認。


そして最後の欄に、赤い文字。


未了。


「これだ」


常盤は、その一枚を波多野たちに向けた。


「祟りだの呪いだの言う前に、まずこれを見ろ。人の居場所を決める手続きが、閉じないまま三十年残ってる」


波多野は、その赤い文字を見た。


未了。


行政文書では、よくある言葉だ。


終わっていない。


処理されていない。


確認できていない。


倉橋の所見にも、神職のメモにも、同じ方向を向いた言葉があった。


これは、届け先を直すもの。


「時相境界異常ってのは」


常盤は言った。


「祟りより、よっぽど役所に近い」




     ***




「で、だ」


常盤は、束の後ろの方をめくった。


「INARI運用課の非ログ所見。これは、あんたか」


「はい」


波多野は、少しだけ背筋を伸ばした。


説明できるようにしてください、と榊に言われていた。


説明できる自信は、庁舎の廊下を歩くあいだに増えてはいなかった。


「本人ではなく、宛先がずれている。届け先の誤接続に近い感覚」


常盤は、所見の文言を読み上げた。


「これ、どうやって取った」


「どうやって、と言われると」


「機械か。札か。それとも、あんたの感覚か」


「感覚です」


正直に言うしかなかった。


「声とか、音とかでもありません。ただ、宛先だけがある、という感じがしました」


「ふうん」


常盤の反応は、それだけだった。


疑う顔でもない。


食いつく顔でもない。


「稲荷系かどうかは、俺の管轄じゃねえ。そっちはINARIさんの仕事だ」


線を引く言い方だった。


だが、突き放す言い方でもなかった。


「ただ、所見の中身は、うちの読みと合う」


「合う、ですか」


「本人じゃなくて、宛先がずれてる。その見立てだ」


常盤は、台帳照会の一枚と、倉橋の所見と、波多野の非ログ所見を、机の上に並べた。


「整理するぞ。届け物ってのは、三つで成立する。宛名。住所。本人確認。この三つが揃って、初めて『届いた』ことになる」


指を三本立てる。


「三〇七号室の住人あての何かは、本人確認が未了のまま、三十年止まってた。宛名はある。住所もある。だが、本人の確認が取れねえ。だから配達は止まる。手続きとしては正しい。未了のまま止まってるのが、正しい状態だった」


一本目の指が折られた。


「そこに、若いのが入り込んだ。集合ポストの名札を、声に出して読んだ」


波多野は、聞き取り票の記述を思い出した。


読むなよ、と止めた声。


表札だろ、と笑った声。


「読んだ直後に、金属音。それから、封筒が届き始めた。紙片には、転居先確認済。判は、配達再開」


二本目の指が折られた。


「名前を読んだのが、本人確認の応答として処理された。そういう筋は、引ける」


常盤は、聞き取り票の別の一枚を、机の上に足した。


「もう一つ、見ろ。封筒の宛名だ」


「宛名、ですか」


「最初に届いた封筒は、古い名字あてで、住所はあの若いのの家だった。あとに届いた厚い封筒は、若いのの名前あてで、住所は三〇七号室だ」


常盤は、二枚の記録を指で示した。


「逆になってる」


波多野は、その二枚を見比べた。


古い名字。健太の住所。


健太の名前。三〇七号室。


宛名と住所が、入れ替わっている。


「台帳の上で、あの若いのと、三十年前の住人が、同じ人間として扱われ始めてる。そう読める」


部屋が、少しだけ静かになった。


波多野は、喉の奥が乾くのを感じた。


名前を読んだだけだ。


肝試しに行った若者が、残っていた名札を、読んだだけ。


それが、三十年止まっていた手続きの、最後の空欄を埋めてしまった。


「あの」


波多野は言った。


「それだと、健太さんは」


「宛先にされたわけじゃねえ。もっと悪い」


常盤は、三本目の指を立てたまま言った。


「確認済みの本人にされた」


「……」


「宛先は、今も旧蓮見台団地三号棟三〇七号室だ。あんたの所見の通りだよ。ずれてるのは本人じゃなく、宛先だ。ただし、本人確認の欄には、もうあの若いのの応答が入っちまってる。だから、届く。三〇七号室あてのものが、確認済みの本人のところへ、届く」


榊が、静かに口を開いた。


「常盤さん。今のは、どこまでが確認事項ですか」


「いい質問だ」


常盤は、あっさり指を下ろした。


「全部、仮説だ。名前を読んだのが引き金、ってとこまでは決められねえ。時系列が合ってるだけだ。相関と因果は別もんだよ」


「では、所見にはそう書いてください」


「書くさ。断定で書いたら、うちの所見じゃなくなる」


役所は、怖い話を怖いまま扱わない。


波多野は、今朝、自分が思ったことを、また思った。


ただ、枠を作る人間が変わると、枠の形も変わる。


倉橋は、物と経路を分けた。


常盤は、手続きと時点で切った。


同じ案件が、部署ごとに違う形で名前をつけ直されていく。




     ***




「気になる点が、もう一つある」


常盤は、聞き取り票の一枚を抜いた。


「三人目だ。同行者の、もう一人」


「真由さん、ですね」


波多野は言った。


「名札は読んじゃいない。動画も見ていない。送られてもいない。ただ、現場で、読み上げられるのを聞いた」


「はい」


「郵便と映像は、まだ分かる。経路が引ける。配達も、録画も、人間が作った道を通ってきてる。だがな」


常盤は、その一枚を見たまま言った。


「現場で一度耳にしただけの名前が、夢で戻ってくる。この戻り方の経路が、引けねえ」


「引けないと、どうなるんですか」


「分からん」


即答だった。


「分からんから、嫌なんだ」


常盤は付箋を一枚取り、短く書きつけて、聞き取り票に貼った。


要追加聞き取り。


「地域連携室の方が、広がる仕組みを疑うと言ったそうだが」


「経過報告書に、そうあります」


榊が答えた。


「いい勘してる。郵便の線だけなら、広がり方に限度がある。夢の線が生きてるなら、話が変わる。ここは深追いしねえ。現地を見る前に筋を増やすと、見たいものしか見なくなる」


付箋の貼られた紙が、束に戻された。


それから、常盤はふと、台帳照会の一枚に目を落とした。


「平成七年三月二十日、か」


誰に言うでもない声だった。


「その日付に、何かあるんですか」


波多野が聞くと、常盤は少しだけ黙った。


「……あの日はな」


湯呑みに手を伸ばし、口をつけずに戻す。


「霞が関も、それどころじゃなかった」


それ以上は言わなかった。


波多野も、それ以上は聞かなかった。


三十年前。


波多野はまだ生まれていない。


ただ、この人が今、手続きの話ではない顔をしたことだけは分かった。


「団地の手続きが、なんであの日で止まったのか。役所の側の記録も当たる必要がある。誰も、好きで未了のまま放置したわけじゃねえだろうさ」


常盤の声は、また仕事の声に戻っていた。


「止まるには、止まるだけの日だったのかもしれん」




     ***




「方針だ」


常盤は、机の上の紙を、とん、と揃えた。


その音が、倉橋の癖と同じで、波多野は少しだけ驚いた。


紙を扱う人間は、みんなああなるのかもしれない。


「やり方は、大きく二つある。一つは、切る」


道上が頷いた。


「誤接続してる道を遮断する。境界対策課の通常のやり方だ。道上、できるか」


「経路が特定できれば、閉じるのはうちの仕事です。ただ」


道上は、珍しく歯切れが悪かった。


「今回のは、どこを通ってるのか、まだ見えてません。見えてない道は、閉じられません」


「だろうな。で、もう一つは、閉じる」


「同じでは」


波多野が言うと、常盤は首を振った。


「切るのは、道の話だ。閉じるのは、手続きの話だ」


「手続きを、閉じる」


「未了を、正しく完了させる。三十年開きっぱなしの欄を、正しい形で埋めて、正しい形で終わらせる」


それは、神職のメモにあった言葉と、同じ場所を指していた。


これは神様に返すものではなく、届け先を直すもの。


「切るのは楽だ。だがな、道だけ切っても、未了は残る。残った未了は」


常盤は、そこで一度言葉を切った。


「また別の宛先を探す」


部屋の時計が、それぞれ違う時刻のまま、それぞれの音で鳴っていた。


「どっちでいくかは、現地を見てから決める。見る前に決めるやつは、この仕事に向いてねえ」


常盤は立ち上がり、棚から古い革の鞄を引きずり出した。


中を確認もせずに、机の上の測定札と時刻同期機を放り込む。


「現地確認の編成は」


榊が言った。


「時相境界班から常盤さん。境界対策課から道上主任。導線と立入管理をお願いします。INARI照合担当として波多野。管理者として私が入ります。呪具呪物管理課には物件側の追加所見を依頼済みです」


「四人か。多いな」


「多い方がいい案件だと判断しています」


「そりゃそうだ」


常盤は鞄の口を閉めた。


それから、壁の年表を見た。


古い順に並んだ項目のどこを見ているのか、波多野には分からなかった。


ただ、その目が、さっき日付の話をした時と同じ目をしていた。


「三十年、配達を待ってたやつがいる」


常盤は、鞄を肩にかけた。


「何を届ける気なのかだけは、見に行かねえとな」


波多野の足元で、リュックは静かなままだった。


あぶさんは、今日も何も言わない。


宛先だけがある、と書いたのは自分だった。


その宛先の先に何がいるのかを、明日、見に行くことになる。



今回は、時相境界班から見た「旧蓮見台団地の件」でした。


祟りでも、呪物そのものでもなく、三十年前に閉じなかった「未了」の手続き。

それを切るのか、閉じるのか。


次回、現地確認に向かいます。


そろそろ第一部も終盤です。第二部以降はもっともっと盛り上がってまいりますので、是非評価、感想、ブクマ宜しくお願いします!

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