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【第一部完結】タカマガハラの神務官 〜神様の力を使うのに必要なのは、祈りではなく決裁です〜  作者: ひらまさ


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24/31

第24話 時相境界班

前回からの続きです。


旧蓮見台団地の件、神務庁側へ移ります。

境界対策課には、場所の境界に加えて時の境界を担当するチームがあります。


※前回の倉橋鑑定パート、ライブ感で部署名を適当に書いていたりしたので、今日改めて考えて差し替えました。恐れ入りますがそちらも見てもらえると嬉しいです。


第24話 時相境界班じそうきょうかいはん




翌朝、INARI運用課の未処理一覧に、新しい照会が入っていた。


差出課は、呪具呪物管理課。


件名は、


『旧蓮見台団地関連封筒一式に係る地域表示照合依頼』


波多野承平は、その文字列を見て、少しだけ手を止めた。


旧蓮見台団地。


昨日、庁内の共有掲示に注意喚起だけが出ていた案件だ。


若者三名が廃団地へ立ち入り、その後、封筒や紙片が届き始めた。

相談者の自宅が、旧団地の一室のように変わった。

同行者宅のインターフォン映像に、平成七年三月二十日の表示が出た。


そこまでは概要として読んでいた。


ただ、今朝回ってきた照会票は、それよりずっと具体的だった。


添付資料を開く。


呪具呪物管理課。

担当、倉橋千尋。


波多野は、少しだけ背筋を伸ばした。


倉橋さんの所見は、いつも余計な情緒がない。

だから怖い。


怖いものを怖いと書かず、危ないものを危ないという形で書く。

分からないものを、分かっていることと分かっていないことに分ける。


その作業がきちんとしているほど、かえって案件の輪郭がはっきりしてくる。


照会票の冒頭には、こうあった。


『物件本体の呪物反応は軽微。ただし、宛先欄および住所欄に線状残留神気を確認。反応は物件内部ではなく、外部経路へ接続している可能性あり』


次。


『旧蓮見台団地三号棟三〇七号室を起点とする、住所・配達経路型時相境界異常疑い』


波多野は、そこで一度、読み返した。


住所。

配達経路。

時相境界。


長い。


けれど、長い言葉には意味がある。


神務庁で長い言葉が使われる時は、だいたい誰かが怖いものを怖いまま扱わないために、必死で枠を作っている時だった。


祟り。

呪い。

心霊現象。

神隠し。


そう言ってしまえば、話は早い。

でも、それでは行政文書にならない。


誰が担当するのか。

何を確認するのか。

どこまでが事実で、どこからが推定なのか。

相談者に何を禁止し、どの部署に何を照会するのか。


それを決めるには、怖さに名前をつけ直さなければならない。


さらに下には、照会事項が二つ並んでいた。


一つ目。


『宛先欄および住所欄に確認された線状残留神気ならびに外部経路接続可能性について、INARI運用課へ地域表示照合および稲荷系接続の有無確認を依頼する』


二つ目。


『映像内時刻表示および住所欄反応につき、境界対策課時相境界班への照会を要する』


最後に、短い一文。


『相談者の帰宅を禁ずる』


波多野は、その一文を見て、少しだけ喉が詰まった。


帰宅を禁ずる。


行政文書にすると、それだけだ。


でも、実際には、自分の部屋に帰るなという意味である。


鍵もある。

服もある。

充電器もある。

いつも寝ている布団もある。


そこに、昨日までの生活が残っている。


それでも、帰るな。


家が安全ではなくなった時、人はどこに帰ればいいのだろう。


「波多野さん」


榊礼司の声がした。


波多野が顔を上げると、榊課長は既に同じ照会票を開いていた。


「見ていますね」


「はい。旧蓮見台団地の件です」


「まず、通常の照合作業を行います」


榊は、いつもの静かな声で言った。


「対象は、旧蓮見台団地跡地、相談者宅、同行者宅、それから同行者もう一名の生活圏です。地域連携室経由で、必要な範囲の位置情報は共有されています」


「はい」


「確認するのは、通常の地域表示上の神気変動、稲荷系反応、それから稲荷系接続を示す表示変動の有無です」


「稲荷系、ですか」


波多野は、思わず聞き返した。


榊は、少しだけ視線を上げた。


「断定はしません。倉橋さんも断定していません」


「はい」


「住所、移動、生活圏、届け先。そういう語が並ぶと、稲荷系の生活圏反応と見たくなる。ですが、本件は祠や小社を起点にしているとは限りません」


榊は、照会票の一文を示した。


「だから、有無確認です。稲荷系だと決めるためではありません」


波多野はうなずいた。


先日の杉沢精機の件が、頭に浮かんだ。


あの時は、敷地の奥に小さな赤い鳥居があった。

狐像が二体あり、供え物台には封筒や紙が重なっていた。


会社の稲荷だった。


商売。

納品。

お金の流れ。

誰かに向けられたはずの請求や怒り。


それらを、稲荷が聞いてしまっていた。


波多野には、白い線が見えた。

祠から敷地内へ伸びる、かつて人や物や金が動いていた道筋。


それは、怖かった。

でも、入口はあった。


祠という入口が。


今回の旧蓮見台団地には、それが見えない。


少なくとも、照会票上、起点となる稲荷や祠は示されていなかった。


「通常画面で見える範囲に限りますか」


波多野が聞くと、榊は頷いた。


「はい。まずは通常画面です」


「非ログ所見は」


「後です」


榊はすぐに言った。


「混ぜないでください」


その言い方が、少しだけありがたかった。


最初から分ける。

ログで見えるもの。

自分が拾ってしまうもの。

あぶさんが何か言うかもしれないもの。


それらを混ぜると、たぶん全部駄目になる。


波多野は、INARIの地域表示を開いた。


対象地点を順に入力する。


旧蓮見台団地跡地。


灰色の地図上に、該当地域の中継点が表示される。

神気濃度。

変動履歴。

過去二十四時間の推移。

系統別検知値。

地域中継点の集約値。


赤はない。

黄もない。


波多野は、もう一度表示範囲を広げた。


周辺の神社。

住宅街。

古い商店街跡。

再開発予定地。

解体待ちの敷地。


どこにも、目立つ上昇はない。


次に、相談者宅。


地域表示は平常。


同行者宅。


平常。


もう一名の生活圏。


平常。


平常、平常、平常。


怖い話には、似合わない言葉だった。


「通常表示上、異常なし」


波多野は、照合結果欄に入力した。


『旧蓮見台団地跡地、相談者宅、同行者宅および同行者生活圏につき、照会時点のINARI通常地域表示上、顕著な神気濃度上昇、稲荷系反応上昇、稲荷系接続を示す表示変動は確認されない』


そこで一度、手を止める。


確認されない。


ない、とは書かない。

確認されない、と書く。


神務庁に来てから、そういう言い方ばかり覚えている気がした。


「榊課長」


「はい」


「通常画面では、何も出ません」


榊は、波多野の画面を見た。


「はい」


「本当に、何も」


「分かりました」


榊は驚かなかった。


その顔は、何かが出ると思っていた顔ではない。

出ないことも、最初から選択肢に入れていた顔だった。


「では、次です」


波多野は、少しだけ息を吸った。


「非ログ所見ですか」


「はい」


榊は、声を少し落とした。


「ただし、無理に聞きに行く必要はありません」


波多野は、榊を見た。


「いいんですか」


「いいんです」


榊はすぐに答えた。


「非ログ所見は、あなたの体調や境界への負荷を無視してまで取るものではありません。通常ログで見えないからといって、あなたに穴埋めさせる運用にはしません」


その言葉に、波多野は少しだけ返事が遅れた。


「……はい」


「見えるものがあれば、分けてください。見えないなら、見えないと書いてください」


波多野は、画面を見た。


旧蓮見台団地。

三号棟三〇七号室。

転居先確認済。

配達再開。

平成七年三月二十日。


文字としては、読める。

情報としては、分かる。


けれど、耳の奥に声は来ない。


杉沢精機の時のような、紙に収まりきらない怒りはない。

木曽谷の時のような、迷子になった声もない。

水路の時のような、塞がれた水の音もない。


静かだった。


いや、静かというより。


空だった。


「声は、ないです」


波多野は言った。


榊は、黙って待った。


「人が呼んでいる感じでもありません。祈りでも、怒りでも、寂しさでもない」


足元のリュックは、静かだった。


あぶさんも何も言わない。


「でも」


波多野は、画面の中の住所欄を見た。


旧蓮見台団地。

三号棟三〇七号室。


「宛先だけがあります」


「宛先」


榊が繰り返した。


「はい」


波多野は、自分でも言葉を探しながら続けた。


「誰かがいる、という感じじゃありません。誰かが助けてくれと言っている感じでもない。でも、ここに届ける、という形だけが残っています」


「届けるものは」


「分かりません」


「届ける相手は」


「それも、分かりません」


波多野は、息を吐いた。


「ただ、相談者本人が引っ張られているというより、相談者に届くものの宛先が、旧蓮見台団地三号棟三〇七号室に変わっているような感じです」


言ってから、自分で怖くなった。


人ではなく、宛先。


身体ではなく、届け先。


そんなものがずれるということを、普通は考えない。


けれど、神務庁にいると、普通は考えないものに名前をつけなければならない。


榊は、すぐには何も言わなかった。


波多野の画面に視線を落とし、少し考えてから言った。


「非ログ所見欄に、今の内容を断定を避けて入力してください」


「はい」


波多野は入力した。


『非ログ所見。声、祈り、怒り等の主体的反応は現時点で感知せず。ただし、相談者本人ではなく、相談者に対する宛先に関する反応が旧蓮見台団地三号棟三〇七号室へ向いている印象あり。本人の転位ではなく、届け先の誤接続に近い感覚』


打ってから、手を止めた。


届け先の誤接続。


自分で書いた言葉が、妙に嫌だった。


榊は、その一文を読んだ。


「この書き方でいいでしょう」


「はい」


「INARI運用課としての回答は、通常地域表示上の異常なし。稲荷系接続は確認されず。ただし、非ログ所見として、宛先に関する反応の誤接続疑いあり」


榊は、照会票の宛先欄を確認した。


「主照会先は、境界対策課時相境界班です」


「境界対策課」


波多野は、思わず声に出した。


境界対策課といえば、道上主任だ。


浅草の界門。

花川戸の路地。

しめ縄。

結界杭。

通してはいけないものを通さない。


榊は、端末を閉じた。


「行きます」


「僕もですか」


「はい。あなたの非ログ所見が照会に含まれます。説明できるようにしてください」


「説明できるかは、あまり自信がありません」


「できる範囲で構いません」


榊は、そこで少しだけ表情を緩めた。


「できないことを、できるように話さないでください」


それはたぶん、榊なりの優しさだった。




     ***




境界対策課の区画は、INARI運用課より少し現場の匂いがした。


庁舎内なのに、どこか靴底の泥や金属の匂いがする。


装備棚には、結界杭、しめ縄、紙垂、簡易封鎖札、携帯型神威測定器が並んでいる。

壁には、都内の地図が何枚も貼られていた。


赤いピン。

青いピン。

黄色い付箋。

手書きの矢印。


きれいなシステム画面とは違う。

人が現場から帰ってきて、手で残した痕跡がある。


「お、波多野君」


装備棚の前で、道上主任が振り向いた。


白っぽい作業着。

安全靴。

いつもの、少し軽い笑顔。


「今日はINARIの人がこっち来る日でしたっけ」


「呪具呪物管理課からの時相境界照会です」


榊が言うと、道上の顔から笑みが少し薄れた。


「あー」


その「あー」には、嫌な資料を読まされた人間の重さがあった。


「旧蓮見台団地ですか」


「見ていますか」


「見ました。見たくなかったですけど」


道上は、波多野を見た。


「三号棟三〇七号室。転居先確認済。配達再開。平成七年三月二十日」


「はい」


「これは、俺の守備範囲のようで、ちょっと違いますねー」


「違うんですか」


波多野が聞くと、道上は装備棚の結界杭を指で軽く叩いた。


「俺らが普段見るのは、どこに通るか、です。界門とか、異界の裂け目とか、路地の境界とか。こっちとあっちの間に道が開く。だから、通すか止めるかを見る」


「今回は」


「いつに通ってるか、が混じってます」


道上は、端末の照会票を見た。


「場所だけなら、俺らでも見ます。でも、平成七年三月二十日が固定点になってるとなると、時相の連中が要ります」


「時相の連中」


「同じ課です。奥にいます。あまり表に出したくない連中です」


「なぜですか」


「説明が長いんですよ」


道上は真顔で言った。


冗談なのか本気なのか、分かりにくかった。


「ただ、現地に出るなら俺も絡みます。旧団地跡地の導線、立入管理、開いてる道と閉じる道。そこはうちの仕事です」


榊が頷く。


「まずは、時相境界班に所見確認をお願いします」


「了解です」


道上は、廊下の奥へ歩き出した。


波多野と榊も後に続く。


境界対策課の奥は、少し空気が違った。


現場装備の匂いが薄くなり、かわりに古い紙と機械の匂いがする。


通路の壁には、時計が三つかかっていた。

どれも同じ時刻を指していない。


波多野が思わず見ていると、道上が言った。


「気にしない方がいいです」


「壊れてるんですか」


「壊れてるやつと、わざとずらしてるやつと、誰も直す担当を決めてないやつがあります」


「最後は普通に駄目では」


「そういう班です」


道上は、一番奥の扉の前で止まった。


プレートには、こうあった。


神務危機管理局

境界対策課

時相境界班


道上はノックした。


返事はない。


「常盤さん、入りますよー」


返事を待たずに扉を開ける。


中は、狭かった。


机が三つ。

棚が四つ。


古い事例ファイルが、棚に入りきらず床に積まれている。

壁には、年表のようなものが貼られていた。


その横に、住宅地図。

さらにその横に、古い時計の文字盤だけがいくつもピンで留められている。


部屋の中央の机には、紙束、端末、測定札、時刻同期機、空の栄養ドリンク瓶が混ざっていた。


その奥で、一人の職員が顔を上げた。


四十前後に見える。

庁内作業着の上に、くたびれたカーディガンを羽織っている。

髪は雑にまとめられ、目の下には薄い隈があった。


時間を扱う部署なのに、この人の机だけ常に締切前のように荒れている。


波多野は、失礼なことを思った。


「道上」


その人は低い声で言った。


「今、何時だ」


「十時二十二分です」


「どこの」


「日本標準時です」


「なら、まだ午前か」


「午前です」


常盤と呼ばれた職員は、少しだけ安心したように息を吐いた。


道上は、波多野の方を見て小さく肩をすくめた。


「こういう班です」

ここから「旧蓮見台団地の件」は、怪談から神務庁案件へ入っていきます。


稲荷の網ではない。

呪物そのものでもない。

では、人間が作った住所や配達の手続きが閉じ損なった時、それは何になるのか。


次回、時相境界班がもう少し踏み込みます。


感想、評価やブクマしていただけると本当に嬉しいです。何卒宜しくお願いします。

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