第12話 地方では、神様より人にお供えします
第12話です。
今回は、旧水路跡の案件を追って、波多野たちが地方の駐在所へ向かいます。
神務庁の仕事は、端末や報告書だけで完結するものではなく、神社、自治会、地主、工事業者、そして土地の記憶とも関わっていきます。
少し地味な回ですが、この世界の足元を描く話になっています。
営業マンは辛いよ
第12話 地方では、神様より人にお供えします
榊礼司は、地方支部から送られてきた追加資料を、しばらく黙って見ていた。
INARIネットワーク運用課の端末には、昨日から開きっぱなしになっている地域表示があった。
関東北部支部管内。
茨城県北寄りの町。
旧水路跡を含む道路拡幅予定地。
申請書上の時系列は、もう頭に入っている。
午前九時二十分、祠状構造物を確認。
午前九時四十五分、祠内部より札状物件を確認。
午前十時十五分、作業員一名が足場より転落。
午前十時四十分、重機接触事故。
午前十一時二十分、現場監督より自治体経由で地方支部へ連絡。
午後一時十五分、地方支部職員到着。
午後二時十分、札状物件を簡易封緘。
書類だけを読めば、工事現場で祠が見つかり、札が出て、その後に事故が起きたように見える。
だが、INARIの地域表示は違っていた。
負の神気反応は、午前八時台後半からすでに上昇している。祠が確認されたとされる午前九時二十分より、明らかに早い。
さらに、札状物件を簡易封緘した後、移送経路側の反応は低下していた。だが現地側の反応は、下がりきっていない。
札だけでは終わらない。
榊は画面を閉じずに、視線だけを横へ動かした。
「波多野さん」
「はい」
波多野承平は、反射的に背筋を伸ばした。
昨日、倉橋が札を見て言った言葉が、まだ耳に残っている。
これは、祟る側ではない。
封じる側です。
榊は、いつものように静かな声で言った。
「現地確認を行います」
「現地、ですか」
「はい。札状物件単独では、本件は終わりません。現地側に何が残っているのかを確認する必要があります」
榊は端末の画面を回し、波多野にも見えるようにした。
「あなたには、INARI照合担当として同行してもらいます」
「僕が、ですか」
「今回、申請書上の時系列と地域表示のずれに気づいたのは、あなたです。現地で追加の照合が必要になる可能性があります」
榊の言葉は、説明としては筋が通っていた。
ただ、波多野はもう、それだけではないことも分かり始めていた。
榊は、波多野が何を拾うのかを見ようとしている。
現地で、通常ログに出ないものを拾うのか。
それが再現性のあるものなのか。
危険なのか。
本人に負荷があるのか。
そういうものを、たぶん、見ようとしている。
「呪具呪物管理課には、すでに共有しています」
榊がそう言った時、運用課の入口で控えめなノックがあった。
「失礼します」
入ってきたのは、細いフレームの眼鏡をかけた女性職員だった。白衣ではなく、濃紺の庁内用ジャケットを着ている。
「呪具呪物管理課の倉橋です」
榊は頷いた。
「本件の物件側担当です。祠の構造、札の位置、封緘の残存を見てもらいます」
倉橋は波多野に視線を向けた。
「波多野さんですね」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
倉橋は、すぐに続けた。
「現地では、気づいたことがあれば、まず私に共有してください。工事側や自治体側には直接言わないでください」
「なぜですか」
「証言が寄ります。あと、揉めます」
淡々としていた。
だが、言っていることはかなり実務的だった。
榊が続ける。
「単独行動はしないこと。神威使用は許可が出るまで行わないこと。通常ログにない所見は、事実と切り分けて報告すること」
「はい」
「それと」
榊は一拍置いた。
「体調に変化があれば、すぐに報告してください」
波多野は、胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。
「分かりました」
そう答えながら、足元に置いたリュックの重みを意識する。
リュックの中で、あぶさんは何も言わなかった。
***
常磐線の車窓から見える景色は、少しずつ東京ではなくなっていった。
最初は、まだ建物が連なっていた。
ビル、マンション、看板、線路沿いの駐輪場。
やがて建物の背が低くなり、空が広くなった。
国道沿いには、東京にもある看板が並んでいる。
ドラッグストア、回転寿司、家電量販店、広い駐車場のコンビニ。
けれど、一本奥へ入ると景色は急に薄くなる。
家と家の間に畑があり、畑の向こうに田んぼがあり、その先に低い山が見えた。
東京では、建物の隙間に空がある。
ここでは、空の下に家があった。
波多野は、窓の外を見ながら、膝の上のリュックを押さえた。
「現地では、私物を不用意に出さないでください」
向かいの席で、倉橋が言った。
「私物、ですか」
「はい。封緘前後の現場では、持ち込んだものに反応が移ることがあります。特に布、紙、木製品、古いもの。あと、由来の分からないもの」
波多野は、膝の上のリュックを見た。
「……分かりました」
リュックの底で、あぶさんが不満そうに身じろぎした。
「由来が分からぬとは失礼な」
波多野は、聞こえなかったふりをした。
倉橋は、当然、聞こえていなかった。
***
神務庁関東北部支部茨城駐在所は、思っていたより小さかった。
駅から車で少し走った、県道沿いの古い合同庁舎。
その二階の一角。
入口には小さなプレートがあり、そこに神務庁の文字があった。
中に入ると、机は八つほどあった。
だが、人は三人しかいない。
一人は電話を受けている。
一人はファイルを抱えて出ていくところだった。
もう一人は、古い測定器のケースを閉じている。
壁のホワイトボードには、手書きの予定が詰まっていた。
現場確認。
自治会説明。
神社総代会。
祭礼警備協力。
河川敷小祠照会。
市道路課打合せ。
地域巡回聞取。
本庁なら、それぞれ別の部署が持つ仕事だった。
ここでは、同じ作業服の職員が、同じ庁用車で回るらしい。
「いやぁ、本庁からわざわざ、ありがとうございます」
奥から、大柄な男が出てきた。
四十代半ばくらいだろうか。
紺色の神務庁作業服を着ている。
肩幅が広く、胸ポケットには庁用スマホと古い測定器が入っていた。安全靴の先には、乾いた泥が少し残っている。
顔には笑みがあった。
ただし、歓迎の笑みというより、怒鳴られる前に先に出しておく種類の笑みだった。
「関東北部支部茨城駐在所の小田倉です」
「INARI運用課の波多野です」
「呪具呪物管理課、倉橋です」
「いやぁ、助かります。助かるんですが、正直、胃も痛いですねぇ。本庁が来るってだけで、現場はだいたい“何かまずいことになった”って顔しますんで」
小田倉所長は、そう言って笑った。
笑っているのに、軽くは聞こえなかった。
「すみません」
「いえいえ。来ていただけるだけありがたいです。うちは何せ、人が足りませんから」
小田倉は、波多野たちを小さな打合せ机へ案内した。
机の上には、現場写真、申請書の写し、工事日報の抜粋、地域巡回メモらしき紙が重ねられている。
「本庁みたいに、祟りは祟り、界門は界門、呪物は呪物、とはいきませんでねぇ。地方はまず、空いてる人間が行きます」
「全部、ですか」
「全部、とは言いません。言いませんが、初動はだいたい何でも見ます。祠、札、井戸、界門、古札、人形、狐火、迷子の狛犬。あと、自治会長の怒鳴り声」
最後だけ、少し声の調子が変わった。
「怒鳴り声も案件なんですか」
「地方では、かなり重要な反応値ですねぇ」
小田倉は、にこにこと笑っている。
倉橋が資料をめくりながら言った。
「大型の緊急案件は少ないんですか」
「少ないです。人が少ないと、負の神気も薄いんですよ。まあ、怪異ですら人口減少には敵わないんですねぇ」
小田倉は、そこで少し肩をすくめた。
「ただ、楽かと言うと、そうでもありません。静かだから調査が後回しになる。後回しになるから、古いものが古いまま残る。井戸、水路、塚、祠、封じの石。で、たまに道路工事や造成で掘り当てるんです」
「掘り当てる」
「ええ。大昔の爆弾を」
波多野は、机の上の現場写真を見た。
ブルーシート。
土。
石組みらしいもの。
祠と呼ぶには小さく、支障物と呼ぶにはどこか引っかかるもの。
「昔は、この辺ももう少し賑やかだったんです」
小田倉は、壁の管内図を見た。
「祭りもありましたし、講も残っていました。祠を掃除する人もいた。今は、誰が鍵を持っているかも分からない祠が増えました」
「過疎、ですか」
「過疎と言うほどではありません。これでも、まだ首都圏ですからねぇ。国道沿いには店もありますし、新しい家も建つ。人が消えたわけじゃないんです」
小田倉は、笑った。
けれど、その笑みは少しだけ薄くなった。
「ただ、土地のことを覚えてる人から、先にいなくなるんですよ」
その言葉は、波多野の中に静かに落ちた。
東京の声は、いつも重なっている。
怒りも、祈りも、欲も、寂しさも、どこかで濁っている。
ここは違った。
声は少ない。
けれど、少ない声が遠くまで残る。
「地方では、神様より人にお供えします」
小田倉が、不意に言った。
「人に、お供え」
波多野が聞き返すと、小田倉は営業用の笑顔に戻った。
「ええ。自治会長さん、氏子総代、地主さん、宮司さん、市役所、工事業者。神様に届く前に、人間を通らないといけませんからねぇ」
「お供えって、具体的には」
「まあ、高いものは駄目です。そこは公務員ですから」
小田倉は、両手を軽く上げた。
「ただ、覚えておくんです。あの総代さんは神前には辛口の酒、あそこの奥さんは駅前の菓子屋の最中、あの地主さんは酒が駄目で煎餅。そういうのを外すと、神様より先に人間が荒れます」
「え、それってガイドライン上大丈夫なんですか」
思わず波多野が言うと、小田倉はにこにこしたまま肩をすくめた。
「よくはないですねぇ」
「よくはない」
「でも、そうしなきゃ回りません」
「賄賂では」
「賄賂じゃありません。お供物です」
「人にですか」
「地方では、神様より人にお供えしますからねぇ」
小田倉は、そこで少しだけ声を落とした。
「もちろん、僕たちだって限度は知っています。便宜を買うためじゃありません。話を聞いてもらうためです。誰に先に話を通すか。どの祭礼には顔を出すか。どこの家は酒を出さない方がいいか。そういうのを間違えないための、お供物です」
倉橋が、静かに言った。
「規程上は、推奨されません」
「でしょうねぇ」
「記録には残していますか」
「残せるものは」
「残せないものは」
「覚えています」
小田倉は、悪びれずに言った。
波多野は、少しだけ分かった気がした。
神様への供物も、人間への手土産も、こちらの都合だけで場所に入らないための手続きなのだ。
「休日もですか」
「ありますねぇ。マラソン大会、商工会のゴルフ、消防団の慰労会、祭礼の設営。全部は出られませんよ。こっちも人がいませんから。でも、行ける時は行きます」
「それも神務庁の仕事ですか」
「地方では、仕事になる前の仕事です」
小田倉は、ホワイトボードを見た。
「正式な相談になる前の話は、会議室じゃなくて、だいたい片付けの時に出るんです。“そういえば、あそこの祠なんだけど”って」
波多野は、INARIの画面を思い出した。
地域表示。
中継点。
神気反応。
そこには、マラソン大会も、ゴルフも、祭礼のテントも出てこない。
小田倉所長の名前も出てこない。
けれど、その表示の下に、この人たちはいる。
神社に頭を下げる駐在所長がいて、祭りを続ける氏子がいて、古い祠のことを覚えている誰かがいる。
神気は、自動で神務庁に供給されるわけではない。
それは、人がまだ覚えていて、人がまだ面倒を見ていることの引き換えに残っているものだった。
「強い神社さんには言われますよ」
小田倉は、資料をめくりながら言った。
「うちの神気を使ってるんだろ、うちがなきゃ困るんだろ、って」
「実際は」
「困ります」
即答だった。
「だから頭を下げます。神様にではなく、神様の周りにいる人間に」
そう言ったあと、小田倉は少し照れたように笑った。
「まあ、若い人にもね、知ってもらいたいんです」
「何をですか」
「私らのようなのが、地方にいるのを」
笑顔の下の声には、営業用の丸みがなかった。
「本庁の画面には出ません。報告書にも、あまり出ません。出るとしても、何月何日、誰それが現地確認、くらいです。でも、いるんです。神社に頭を下げて、自治会で怒られて、地主さんの昔話を聞いて、祭りのテントを運んで。そうやって、まだ切れていないものを、切れないようにしている人間が」
波多野は、何も言えなかった。
波多野に声は、勝手に聞こえてくる。
祠から。人形から。水の跡から。
こちらの都合など関係なく、耳の奥へ入り込んでくる。
けれど小田倉所長は、聞こえない声を拾うために、出向いている。
神社に顔を出し、自治会で怒られ、地主の昔話を聞き、祭りの片付けに残る。
聞こえてしまう波多野とは違う。
小田倉所長は、聞くために頭を下げている。
「それで、本件ですが」
小田倉が資料を一枚引き寄せた。
空気が、少しだけ仕事のものに戻る。
「申請書上は、午前九時二十分に祠状構造物を確認、九時四十五分に札状物件を確認となっています」
「はい」
「ただし、九時二十分は“祠として確認された時刻”です。“最初に何かがあった時刻”ではありません」
波多野は顔を上げた。
「どういうことですか」
「工事日報上は、午前八時四十分に“支障物確認”があります」
「支障物」
その言葉を口にした瞬間、波多野の耳の奥で、ほんの小さく水が詰まる音がした。
「現場からすれば、最初は祠ではなかったんでしょう。古い石組みか、残置物か、工事の邪魔になる何か。全部を祠として止めていたら、仕事にならない。それは分かります」
小田倉は、そこで笑わなかった。
「でも、札が出た時点で止めるべきでした」
倉橋が口を開いた。
「札は、誰が外しましたか」
「現場作業員です。祠内部に挟まっていたものを、木片だと思って取り除いた、と」
「取り除いた」
「記録上は、一時保全です」
倉橋の眼鏡の奥の目が、少しだけ細くなった。
「取り除いたものを、一時保全と呼んでいるわけですね」
小田倉は否定しなかった。
「報告書は嘘じゃありません。ただ、現場そのものでもないんです」
彼は申請書の写しを指で押さえた。
「うちに届く頃には、現場の言葉が、報告できる言葉に変わっていることがあります」
波多野は、書類を見た。
祠状構造物を確認。
札状物件を確認。
一時保全。
作業中断。
安全確認。
きれいな言葉だった。
だが、その前には別の言葉があったはずだ。
古い石組み。
邪魔なもの。
木片。
動かした。
外した。
まだ大丈夫。
「業者さんにも事情があります。工程がありますし、元請け下請けの関係もありますし、発注者にどう言うかもあります」
小田倉は、少しだけ苦く笑った。
「神様より人間の方が、言葉を変えますねぇ」
倉橋が淡々と言った。
「事実と記載事実は違います」
「違うんですか」
「一致するよう努力はします。ですが、一致しているとは限りません」
波多野は、INARIの地域表示を思い出した。
八時台後半から上がっていた負の神気反応。
九時二十分より前。
支障物確認と重なる時間帯。
報告書、工事日報、INARIログ、小田倉の巡回メモ。
それぞれが、少しずつ違うことを言っている。
だからこそ、重なる場所を探す必要がある。
「二年前の地域巡回メモに、この周辺の記載があります」
小田倉が、薄い紙を一枚出した。
「この祠が、ですか」
倉橋が聞く。
「いえ。“旧水路跡の近くに、小さい水神さんのようなものがあったはずだ”という口頭情報です。位置も曖昧で、現地確認時の神気反応は平常値。工事計画も、その時点では未確定でした」
波多野は紙を見た。
旧水路跡周辺。
小祠または石組みありとの口頭情報。
地元呼称不明。
管理者不明。
神気反応、平常値。
次回道路課協議時に再確認。
「正式案件化しなかった理由は」
倉橋の声は、少し硬かった。
「当時は工事計画が未確定。神気反応は平常値。管理者不明。現地は安定」
小田倉は、一度言葉を切った。
「そして、こちらの人手不足です」
言い訳はしなかった。
「現地を見ます」
倉橋が言った。
「はい。車を出します。現場まで二十分ほどです」
***
庁用車の後部座席で、波多野は窓の外を見ていた。
国道を外れると、道は少しずつ細くなる。
畑の間を抜け、古い家の前を通り、低い山が近づいてくる。
助手席の小田倉は、駐在所へ連絡していた。
「ええ、これから本庁確認に入ります。封緘線はそのまま。関係者の立入は解除まで不可でお願いします。はい。現場内は無人で。……いえ、僕も怒られたくありませんからねぇ」
いつもの笑顔で、いつもの声だった。
電話を切ったあと、リュックの中であぶさんが小さく言った。
「あの男、悪くないな」
「小田倉所長ですか」
「泥の匂いがする」
「悪口ですか」
「褒めている」
あぶさんは鼻を鳴らした。
「画面だけを見ている連中より、よほど網に近い」
「網?」
「人の家を回り、神社に頭を下げ、爺婆の話を聞く。そういうところに、稲荷の道は残る」
波多野は、小田倉の作業服の背中を見た。
神務庁の職員だった。
けれど、庁舎の中の人間とは少し違って見えた。
現場は、思っていたほど禍々しくはなかった。
仮囲い。
カラーコーン。
停止した重機。
青いビニールシート。
作業員の姿はない。
仮囲いの入口には、神務庁の仮封緘票が貼られていた。黄色い立入制限テープの内側に、簡易結界杭が四本打たれている。
どこにでもある工事現場が、そこだけ役所の手で止められていた。
だからこそ、波多野は一歩目で息を止めた。
耳の奥で、水が詰まっていた。
流れない。
通らない。
塞いだ。
抜いた。
戻せ。
足首に、冷たい輪がかかった。
手首にも、同じものが巻く。
見ても、何もない。
乾いた土と、安全靴の先があるだけだ。
それなのに、皮膚の下を細い水が這っていた。
「承平」
リュックの奥で、あぶさんが低く言った。
「声を結ぶ」
「それで、止まるんですか」
「止まらん。人形とは格が違う。これは土地の水だ」
あぶさんの声は、いつもの軽さを失っていた。
「気休めにしかならん。お前の感受性を、少し鈍くするだけだ」
次の瞬間、耳の奥で暴れていた水音が、細く縛られた。
消えたわけではない。
遠のいたわけでもない。
ただ、直接頭蓋を叩いていたものが、布一枚越しになった。
波多野は、ようやく息を吸った。
「波多野さん」
倉橋の声が、横から入った。
「顔色が悪いです。何を拾いましたか」
「……水です」
それだけ言うのがやっとだった。
倉橋は、青いビニールシートを見た。
「小田倉所長。封緘線を一段外へ。現場入口も閉じてください」
「了解です」
小田倉は理由を聞かなかった。
営業用ではない顔で、庁用スマホを取り出す。
「茨城駐在、小田倉です。旧水路跡、仮封緘線を拡張します。関係者立入は解除まで不可でお願いします」
倉橋は、簡易結界杭の位置を見て、わずかに眉を寄せた。
「まだ、持っています」
「何がですか」
「封じです。完全には破れていません」
風はなかった。
それなのに、青いビニールシートの端だけが細かく震えている。
倉橋は、静かに続けた。
「ただし、次に間違えたら、破れます」
波多野の耳の奥で、布一枚越しの水音が、また低く鳴った。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、地方の神務庁職員がどんな仕事をしているのか、という回でした。
本庁の端末に表示される神気反応の裏側にも、神社に頭を下げたり、自治会に顔を出したり、昔の話を聞いて回ったりする人たちがいます。
次回は、いよいよ旧水路跡の現場確認に入ります。波多野や倉橋は無事任務を終えられるのか。
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