第92話 喧嘩
金髪の男に案内されたのは、白軍中央本部にある武道場だった。用意された紺色の胴着に着替え、腰に白い帯を結び、高反発のマットレスが敷かれた場所に足を踏み入れる。東洋風に言うと『ジュウドウ』というやつだったか。体術よりも柔術をご所望らしい。得意分野とは言えんが、相手の実力を知るにはちょうどいい。
「…………」
ザハールは短髪緑髪を手で逆立て、前方に突き出た前髪を維持する。特注のスーツは中央本部内の着替え室に収納しており、軽くシャワーを浴びてサッパリした状態で喧嘩に臨もうとしていた。前から水道と電気は機能していたが、今はガスも導入されているらしい。ガス給湯器とやらが設備に追加され、温水で嫌な汗を洗い流すことができた。
動力源は全くもって不明。
魔獣の臓器でエネルギーを賄っていると言われているが、どうもきな臭い。軍部は都合の悪いことを隠蔽する体質があり、インフラ周りには何か知られざる裏があると思っていいはずだ。不要な混乱を避け、社会を維持するためには嘘をつく必要があるのは分かるが、そういうのが嫌で攻略者になった。全員に確認を取ったわけじゃないが、他の攻略者も多かれ少なかれ覚醒都市に不満を持っていたからこそ、安全圏から離脱して、命を顧みずにナロトの果てを目指したと思っている。
だからこそ、都市でぬくぬくと育った半端者には負けるわけにはいかん。
「ルールは良く知らんが、ダウンした方が負けってことでいいか?」
「ああ。それで構わない。特に禁じ手もないから、自由に仕掛けておいで」
同じく紺色の胴着を着た男は、極めて単純明快なルールを説明。腰を軽く落とし、指をピンと伸ばした両手を胸の前で構えている。あくまで『柔術』でケリをつけるつもりらしいな。ダウン=勝利というルールから考えても一番理に適ってる。白いセンスを薄っすら纏っているが、あの状態だと手練れかどうか分からんな。素人じゃないのは確かだが、覚醒都市だと意思の力を使えないやつの方が珍しい。一般教養や必修科目に近く、温室育ちがセンスを纏えるからといって大した驚きはなかった。
「そうかい。だったら遠慮なく――」
ザハールは大きく一歩踏み込んだ。柔術に頼る気なんぞ毛頭なく、頼るべきはナロト体内で磨かれた喧嘩殺法。フリースタイルの体術だ。身には緑色のセンスを纏い、思うがままに左肩を突き出して、挨拶代わりのタックルをかます。
「……っ!!!?」
しかし、男の胴体に触れようとした瞬間、謎の斥力が働く。真下方向に強い圧が働き、早くも身体はマットレスに叩きつけられようとしていた。重力系の意思能力か、はたまた、センスの攻防力移動を用いた『アイキドウ』に近しい技術か。なんにしても、このままじゃあっけなく負ける。温室育ちに舐められたまま終わる。
「ちぃっ!!!」
ザハールは両手をマットレスに押しつけ、乱暴な受け身を取った。得意系統は『肉体系』だ。四の五の言わずにパワープレイで押し切ることが主な戦闘スタイル。心理戦や能力戦を無視して、腕力だけで乗り切るのがいつもの流れ。他の二つは仲間が補ってくれるから気にせずに済んだが、今回は一対一。自分の得意分野を前面に押し出すしか、勝ち筋はない。
「――!!」
地面に両手を突いたまま、ぐいっと力任せに押し込み、身体を跳躍させる。すぐさま天井に到達し、両足の踵に力を込め、センスを解き放つ。
「こいつでぇ!!!」
迷うことなく猪突猛進。小手先の技に多少なりとも心得があろうが、圧倒的な力で捻じ伏せてやる。
「ふむ。筋は悪くない」
男は涼やかな顔をして、回避を選択。だが、威力を殺し切れなかったマットレスが浮き上がり、足場の概念が崩壊した。相手は宙に浮いた状態となり、無防備な姿を晒している。どうやら、先の一撃は受けられないと判断したらしい。攻撃後も謎の斥力が働くことはなく、体勢はフリーな状態。足場も安定し、踏ん張りも効きやすい。
「寝言は寝てから言いやがれ!!」
相も変わらずザハールは突進を選択。今までよりも身に纏うセンスの量を増やし、何らかの斥力が働こうと、パワープレイで押し切る戦術を徹底した。グンと身体に勢いが乗り、相手を殺しかねない加速と共に懐へと迫る。後は怯え慄く面を拝みながら、無様にダウンするのを見届けるだけだ。
「…………」
だが、目に入ったのは冷ややかな表情。澄ましたり、余裕ぶったりとは違った末恐ろしさを節々から感じ取れる。野生の勘と言うべきか、これまでの経験則とも言うべきか、本能は引けと囁いている。直線的な戦闘スタイルを好むことから、これはよくあることなんだが、警戒アラートは大雑把に弱中強の三段階に分けられる。それで押し引きを決めるわけだが、これは……。
「参った」
ザハールは衝突寸前でセンスを解き、敗北を認める。あれ以上、進んでいたら死んでいた。弱中強の三段階だと判別不可能であり、脅威レベルを一段階引き上げる必要があった。男が放った殺気は四段階目のEX。
「気に入った。名前を聞かせてもらっても?」
「俺はザハールだ。そっちは?」
「私はジーク。一応、ここの国王をやらしてもらっている」
どうやら頭のセンサーは超絶に優秀だったらしい。見覚えがあるどころの騒ぎじゃなく、覚醒都市民なら知っていて当然の有名人。長らく姿を消していたらしいが、隠遁生活にも嫌気が差したように見える。色々と考えることは山積みで、何を切り出せばいいか悩ましいところだが、気付けば頭より先に口が動いていた。
「肩書きはどうでもいい。危険を承知で俺と前線に出てくれないか?」
「ああ、喜んで。王国と体内の往復が可能となった今、私を止める術はない」
思いつきの提案は快く許諾され、ミーラの安否を確認することなく、次の目的地はあっさりと決まった。




