第89話 繋がれたバトン
「…………えらいこっちゃ」
錬金釜の水面に表示される映像を見つめ、ぽつりと感想を述べたのは金髪おさげ髪の少女ニコラ。右と左の両サイドに分けた毛束をまとめる青い星型のアクセサリーをつけ、服は黒を基調とした給仕服を着ている。頬にはそばかすがあり、垢抜けないあどけなさが残っている。
任された主な役割は『ジェノを見守ること』。
彼女が勤める魔術商社『リーガル』の企業理念は『ジェノ・アンダーソンのための魔術改革』であり、代表取締役であるセレーナによって私物化されている。魔術結社『イリーガル』の頃に比べたら見る影もなく、大々的に魔術を公表し、主に『運搬』や『人材派遣』と言った健全なビジネスに舵を切り、新規上場《IPO》の目途が立っているぐらい経営は順調だった。
裏社会で深く根を張る以前と比べれば、180度業務内容は変わったものの、今のところ感触は悪くない。拘束時間は長いけど、自分の研究にも精を出せるし、給料も手厚い。立ち上げメンバーかつ、魔術部門部長という肩書きのおかげもあって、破格の待遇を受けている。
ともあれ、責任は重大だ。
給料に見合った仕事をしなければならず、『ジェノ』に関連する出来事で失態を晒すわけにはいかない。セレーナの命にも関わり、失敗に終われば部長の肩書きどころか、魔術師としての沽券にも関わる。
ただこれは、想定の範囲内を大幅に超えている。
「生半可に悪意をかじったばっかりに、願いが反転したかな。『犯罪行為を未然に防ぐ神と化すこと』が彼の最終目的だったから、その対極に位置した存在になったと思っていい。つまるところ……『聖人行為を助長する悪魔と化すこと』? 堕天との共通点もあるし、あながち間違いでもないんだろうけど、なんだかしっくりこないなぁ。あの黄金の左腕に関しても情報が足りてないし、能力も未知数。ただ、今のところハッキリしていることと言えば……」
水面に指を入れ、波を立て、映像を後ろへズームする。ジェノの後ろから足並みを揃えて進行しているのは、ジーナ、セレーナ、バグジーの三名。黄金の左腕に備わる十二本の突起は三本消費されており、能力は明らか。
「あの左腕に触れれば心身を掌握される。悪意の反転現象によって、苦手だったはずの感覚系が極みに近い状態まで仕上がってる」
仮説に仮説を重ね、ひとまずの結論を導き出す。常時監視しなければならない立場上、現地に赴くことはできず、かといって何もしなければ制御できない事態に陥る。デッドラインは恐らく十二人の仲間を心身掌握するまでであり、条件達成型の意思能力だとすれば、そこで飛躍的な進化を遂げる可能性が極めて高い。
それだけは未然に阻止しなければならない。
ニコラは巨大釜から視線を外し、近くの散らかったテーブル前に移動する。三角フラスコなどの実験器具を右手で払って乱暴にどかし、バリンと派手な音が鳴るも気にせず作業を続行する。
スペースを確保した状態で手に取ったのは、丸まった製図用の方眼紙。テーブル上にバッと開き、大きめのコンパスを使って記憶を頼りに無数の魔法円を描く。続いてニコラは中心部分に転がっていたチェスのコマを二つ置いた。一つは黒のキングで、もう一つは白のクイーン。仮説を検証するための儀式場に見立てており、そこでの成否は高い精度で現実世界の成否に直結する。離れた場所に適用できるほどの高度な魔術ではなく、ただの実験に近かった。
「なんとかなれ!」
バンと両手をテーブル上に叩きつけ、橙色のセンスを込める。魔法円にエネルギーが注ぎ込まれていき、対象である黒のキングに向けて作用しようとしているのが見て取れた。これらのモチーフとなったのは、オクトーバーフェスト内で『常闇の王』一行が迷い込んだ旅館の屋上で目撃したもの。
『黄金の魔術』。
旧き神々の理に背いた神の力を封じる魔術。ニコラの計画にとって必要不可欠だった最後のピースであり、実証するには絶好の機会だと考えていた。なんにしても、机上で成功しなければ実地で試せるわけもなく、黒のキングの行く末をニコラは凝視していた。
「…………」
直後、バチリと音を立て、電源がショートしたような光が走る。気付けば白のクイーンが弾け飛んでおり、儀式場を維持する抵抗体の調整が必要なことを意味している。実験は失敗に終わったように見えるも、ニコラの中では違っていた。
「成否の鍵を握るのはクイーン。つまるところ、黄金のセンスを伴う『神醒体』さえ用意できれば、『黄金の魔術』は成功する」
一歩先の未来を確信し、おさげを形作る右側の青い星型の髪留めを外し、そっとセンスを込めた。
◇◇◇
ジンと末端神経が痺れたような痛みが走り、毛利広島は目を覚ます。近くには気絶したカグラが仰向けでダウンしており、特注のスーツは破けてしまっている。その隣には両手をかざした状態で時間が止まっているスサノオが見えた。
「うちらは負けたっちゅうわけか……完膚なきまでに……」
広島は見て分かる結論を忸怩たる思いで口にする。返事をする者も、励まし合える者も、傷を舐め合える者もおらず、一人で敗北を噛みしめる。幸いながら傷口は浅い。牙で切り裂かれたような傷跡がスーツに残っているのみで、肌には傷も残さない程度で止まっている。毒を注入されたような気配もなく、見るからに手加減をされているような印象を受けた。
「こいつは使い物にならんね。胃液に触れんよう気ぃ付けるしかない」
戦術的優位性を失った衣を脱ぎ去り、広島はセーラー服を露わにする。身動きは少しばかり取りやすくなったが、問題はそこにない。これから何をすべきかが重要であり、思いを募らせるのは不在となったパーティの中心軸。
「それより、どこにいったんじゃ……。ジェノ・アンダーソン………」
広島の声は胃体区に虚しく響く。手掛かりなど一切なく、先に進めばいいか、それとも戻ればいいのか、判断がつかない状況になっていた。
「…………?」
そこにプルルルという発信音が響き渡る。反射的にスカートのポケットに手を突っ込み、携帯を取り出すも、画面が割れており、電源は切れている。それならばと耳を澄ませ、音がする方向を探ると、すぐに出所が分かった。
襟元にある赤いタイ。
そこに広島の視線は注がれ、馬鹿馬鹿しいとは思いながらもタイを解き、受話器のように見立てて、耳元に当てる。そして……。
「うちは毛利広島というもんじゃ。そっちは?」
「私はニコラ・フラメル。折り入って話がある」
不思議と会話は成立し、次の一手の見通しが立とうとしていた。




