第88話 行進
ナロトの詳細、主に胃低区、胃体区、幽門区に関することと、覚醒都市と永遠王国の成り立ちはパパから聞いた。一方でセレーナは鬼になった経緯とドイツで行われたオクトーバーフェストの顛末について話していた。
話が弾んだというよりかは事実確認に近く、ウィットに富んだ面白おかしい掛け合いもないまま、事務報告的なやり取りが続いていた。
「鬼からの輸血……ねぇ。緊急だったのは分かるけど、他に治療法はなかったの?」
道のりは緩やかな肉壁のカーブが続く胃体区に差し掛かる中、バグジーはふとした疑問を口にする。やはりというべきか、パパが気になるのは鬼になった経緯みたい。意思能力を覚えたことに関しては触れようともせず、約束を破ったことに関するお咎めも今のところなかった。
「うちの社員に優秀な回復系意思能力者がいたんだけど、現在は行方不明。マルタ共和国で営業を行ってから音信不通になったから、その前後でいざこざがあったのは間違いないんだろうけど、こっちの人員も限られているから調査不足。落ち着いたら移動用の魔術道具『暁の星』を使って捜しに行ってもいいんだけど、メリッサって社員が握ってるから連絡がつかない限りは厳しいかな」
「彼女の現在地は?」
「今は帝国かな。滅葬志士って化け物狩りの集団を取りまとめる『元締め』って役職になったばかりで、国家間の正式な依頼を受けて初の海外遠征に出かけるっぽい。場所はフランスだったかな。そっちが落ち着くまでは来れないと思う」
「他の社員と意思疎通を取る手段はないの?」
「錬金魔術を得意とするニコラって社員なら動向を確認できるかもね。ただ、映像と音声を映し出すだけで通話はできないから、手を打つにしてもタイムラグがあるかも。聞く限りナロト体内ってロシアのバイカル湖の深海にあるし、移動系意思能力以外での侵入は難しいから、限界がある」
「でも確か、『暁の星』って二つあるのよね?」
「そうそう。もう一つはパパの大嫌いなジェノが持ってる。道中で再開できたら増援を呼ぶことも可能かもね」
「…………」
聞かれたことに答えるを繰り返す中、パパは口を閉ざし、黙り込んでしまっている。理由は恐らくジェノ・アンダーソン。以前にパパからは接触禁止命令が出されており、今日に至るまで頑なに守り続けていた。魔術商社を通じて間接的なサポートを続けてきたものの、ジェノとは直接顔を合わせていない日々が続いている。
「あのさ、この際だから訊いときたいんだけど、今の差し迫った状況でもジェノと関わるのは反対?」
セレーナは思い切ってパパの懐に深く踏み込む。あの時は怖くて訊けなかったけど、今は心境も状況も違う。後ろ向きな気持ちよりも前向きな気持ちが先行し、なんの抵抗もなく口にすることができた。結果的にパパの逆鱗に触れようと触れなかろうと、どう転んでも構わないと思えたのが大きいかもしれない。
「まぁ、バッタリ偶然出くわしてしまう分には仕方ないかもしれないけど、能動的に接触するのは今でも反対よ。自立した今となっては、アナタの判断を尊重するけど、アタシの意見は今までもこれからも変わらない」
パパは視線を落とし、暗い表情のまま質問の答えを口にする。ニュアンス的に実力行使で止めるつもりはないみたい。予期せぬ出会いを許容してくれている時点で丸くなったというか、娘の成長に合わせて目線を上げてくれたのかな? 昔と違って今は対等のように感じ、厳しい父親以外の一面を初めて見た気がした。ともあれ、気になるところがないわけでもなく、セレーナは会話の流れに沿って核心に触れる。
「差し支えなければ、理由を訊いてもいい?」
その問いに対し、パパの足は止まる。反応の重さが嫌でも伝わり、かつての厳しい父親の一面が頭によぎり、前言を撤回したい思いに駆られる。それでもセレーナは足を止め、振り返り、目を背けずに向き合った。
昔と今は違う。
『ドイツでパパと出くわした頃』と『ナロトでパパを助けた頃』とでは状況も価値観も180度違っている。まぁ、人間から鬼になったっていう悪材料も含まれているわけだけど、そうしなかったら死んでたわけだから言いっこなし。パパがどういう反応をするにしても、すでに覚悟は決まっている。最悪、縁を切ることになったとしても、受け入れられるだけの心構えはできていた。
「あの子は……人間じゃない」
深い沈黙を破り、パパの口から発せられたのは重みのある一言。
「それって、白き神が内に宿ってる件だよね。確かに、底知れないし、暴走する危険も秘めてるけど、力の出所が分かっているならそこまで警戒することでもなくない?」
「そうだけど、そうじゃない。アナタは何も分かってない」
パパの声音は震え、表情はひどく怯えているように感じる。今までの厳格なイメージからかけ離れ、人としての弱みが見えた気がした。親近感を覚えなくもないけど、発言の内容から考えて楽観視できない状況だった。
「つまり、どういうこと?」
ここまで質問を重ねておいて止まることはできない。怖いものみたさというか、知的好奇心が勝り、まだ見ぬ真実を追い求めた。
「それは……」
答えを口にしようと視線を上げたパパの表情が凍りつく。見てはいけないものを見てしまったような反応をみせている。あり得ないけど、状況から逆算して一つのケースしか思い浮かばない。
「――――」
思わず息を呑んだ。声を発することができなかった。背後に何かいる気配があったからだ。今まで出会った誰ともセンスが一致せず、呼吸をするのも困難なほどの圧迫感だけが残る。
確認するのが怖い。できることなら見たくない。存在を認知したくない。この場から逃げ出したい。気付けば胸中は後ろ向きな感情に支配され、肉体的にも精神的にも身動きが取れなくなっていた。
「パパ……あたしの見立てが正しいなら、首を縦に振って。間違っているなら首を横に振って」
セレーナはわざわざ言うまでもない結論を隠し、小声で語りかける。振り向く勇気がない代わりに、パパの視点を頼りにする。親離れできていないのは百も承知だ。自分の目で確認すれば済むことなんて頭では分かってる。それでも、無理なものは無理。ジェノとの接触禁止命令が出されていることも相まって、お触れを出した張本人の許可を得たい願望を抑えることができなかった。
「違う。アレは……」
首を横に振り、パパは想定とは違った反応を示した。最悪の展開から外れたことでホッと一息つきたい気持ちではある。ただの強敵ならそれなりに戦える自信はあるし、ジェノじゃないなら情け容赦なく本気を出すことができる。
気掛かりなのは、パパが極端に恐れている理由。ジェノ以外の既知の人物とするなら数える程度しかおらず、それもナロト体内なら余計に選択肢は絞られる。最低でも人類最強級じゃないと計算が合わず、そうじゃないとあそこまで驚かない。問題は具体的に誰なのかであり、内容次第では楽観視できない。
「虐殺者……」
そこでパパが口にしたのは、聞き覚えのない単語。もはや、恐怖心よりも好奇心の方が上回り、振り返って確認したい欲望に駆られる。ただ、答えは先にやってきた。パパが殺されるなんて分かりやすい展開じゃなく、火の粉は誰でもない自分自身に降りかかった。
「かはっ……」
背中から腹部にかけて、拳が肌と骨と肉を突き破る。尋常ならざる衝撃に息が漏れたけど、痛みもなければ出血も生じない。不可思議な現象を前に頭と身体は混乱していたけど、不思議と嫌な気分はしなかった。不安や恐怖で支配されていた胸中は一掃。負の感情が全て取り除かれた晴れやかな気持ちで満たされる。
「なんてこと……。これじゃあアタシの手に余る……。それどころか、局長ですら危うい案件」
勝手知ったる様子でパパは反応している。愛娘が攻撃を受けているにかかわらず、反撃する気概すら見せていない。予想はできるけど、全く思考は追いつかない。候補が多すぎて一つに絞り切れない。ただ、この後に待ち受けている展開はなんとなく察している。主役不在の物語が始まる。終わりの見えない行進が開始される。
「誰か……あたしたちを止めて……」
正気を保てる最後の時間を使い、セレーナはSOSを送る。収拾がつかなくなった以上、自分以外の誰かにバトンを繋がないといけなかった。




