第70話 考察
「………」
結界内に閉じ込められ、水責めに遭っているターニャは妙に落ち着いていた。軍隊に所属する以上、一通りの拷問に対する訓練は受けているからだ。やるにせよ、やられるにせよ、知識も経験も人並み以上に積んである。暴れたところで酸素の無駄で、一般人と比べれば覚悟も心構えも違う。独創世界の性質で死なないとも聞いているし、嘘をついている可能性もあったけど、パニックになる段階じゃなかった。
それより気になるのは、水責めを仕掛けた張本人。
「……」
飄々とした態度を貫くマーリンは、恐らく嘘をついている。感覚系能力者から心を読み取られることを危惧して、発言のみならず自分自身の心を偽っている可能性が高い。あれだけの使い手なら心理掌握対策に偽装工作をかますのも可能。普段の言動と心理描写が100%真実であるとは限らない。
正気か狂気か。
ターニャが知る『ハムレット』では、最後まで主人公の心情が明らかにされなかった。殺された父親の亡霊と出会い、犯人に復讐を果たす話……というのは、オタクシアが語った『ハムレット』とも合致しているはず。シリアス一辺倒か、コメディも挟まれるかの違いであり、きっと物語の本質は変わらない。
狂ったように演じたのか、本当に狂ってしまったのかが最大の焦点であり、マーリンの現状と当てはめていいと思ってる。直接面識のない人物ではあるんだけど、エリーゼの自己紹介の一環で初代王マーリンの所業と人物像は概ね把握していた。今のイギリス王室が根付いたきっかけを作った人であり、王位継承戦というギミックを利用して、10世紀以上も霊体として生き長らえた人。用意周到に計画を練り、実行に移すタイプなのは経緯から伺うことができ、これには何か裏があると思うべきだ。
たぶん、霊体として生き延びたいのは表面的な目的。本質的な目的は別にあると考えるべきで、吸血鬼を『倒す』『倒さない』に関してもルールの隙間を突いただけに過ぎず、マーリン視点からすると行動の自由を確保するための足掛かりに過ぎない。
ただ、彼が狂気に染まっていたとしたら、前提が崩壊する。反社会性パーソナリティ障害……サイコパスやソシオパスなどに該当する狂人は行動に一貫性がないことが多く、その日の気分によって言っていることとやっていることがコロコロ変わる。正直、『善悪反転』以降、片足を突っ込んでいるから人のことは言えないけど、可能性の一つとして頭の片隅に入れておきたい。
一方で本命は狂気を装った正気。人に拷問をかけてもなんとも思わない悪人にみせかけて、最終的には善人だったというケースも物語だったら往々にして起こり得る。ここで重要となるのは動機なんだけど、自分のためだと思っていたら、誰かのためだったというパターンが王道中の王道だ。物語の鉄則として、悪役は基本的に独り善がりな目的を持っていることが多い。『世界征服をしたい』なんてのはその典型で、自分勝手な目的のために周囲や世界に害を成すのが悪役。一方で、物語の主人公などが該当しやすいのが間違ったものを正す側。最終的には悪役の計画が失敗に終わり、真っ当な価値観を持った主人公側が勝つことで一定の共感を得やすく、後腐れなく、気分爽快な気持ちとなり、終盤のカタルシスも生じやすい。後世に伝わるものはこういった善悪の配分が絶妙というか、道徳的にも倫理的にも優れたバランス感覚を持ち合わせていないと大火傷をしやすい。とはいえそれは、絶対的なものではなく、優れたストーリーを提供する作品は必ず両面を描く。人間は善と悪だけで推し量れる単細胞生物じゃないから、真に迫るには自ずと両方に触れることになる。
個人的にマーリンは悪→善のパターンだと読んでいる。
『世界征服をしたい』なんて目的はブラフで、本当の目的を隠すためのカモフラージュに過ぎないと思ってる。そこで気にすべきは、誰のためにやるか。ここまでの仮説が全て正しいとするなら、マーリンが自分自身のために起こした思われる言動は全て噓だったということになる。まぁ、巡り巡って自分のためになるんだろうけど、重きを置いているのは自分以外の誰かだと思っていい。問題はマーリンが愛情を注ごうとしている対象であり、それを特定できれば本当の目的も逆算できる。
「…………」
ボコボコと視界が泡立つ中、ターニャは視線を送る。その先にいたのはエリーゼであり、イギリス王室の王位継承権を持った王子の一人。マーリンとの因果関係は明白であり、エリーゼのために悪役ムーブをかましていたなら全てに辻褄が合う。子孫に艱難辛苦を強いることで成長させ、後に得る果実の量を増やす。というのがパッと思いついた本当の目的。外界でいう株式投資のようなもので、将来の成長性を見込んで、果実が熟した後の大きな見返りを得るために値段が安いうちに前もって仕込んでおく感覚に近い。そうなると、エリーゼが大きくなった後に何を見込んでいるかが肝心であり、それを特定できればマーリンの本質に行き着くはず。
「………………」
ボコボコボコと視界がさらに泡立っているのが分かる。どうやら思考には大量の酸素を消費するようで、体内の酸素濃度が低下し、危険な状態に陥っているのが見て取れる。どうせ死なないと割り切ることもできるけど、意思を持たない人体の臓器に言い聞かせることはできない。身体は死を間近に感じ取っており、それが判断能力を着実に奪っているのが肌感覚で分かった。
それでもターニャは頭を回す。この茶番劇を終わらせるために、思考に没頭する。万が一の死を念頭に置きながらも、知的好奇心は止まらなかった。行き着く先はエリーゼが将来的に至る可能性がある未だ存在しない肩書き。ただの思い付きかもしれない。根拠のない妄想かもしれない。それでも――。
「世界、大統領……?」
ターニャが結論を口にしたと同時に周囲を覆う結界は崩壊する。海水が溢れ出し、水責めから解放される。
「計画変更。あいつ倒そうか。二人で」
エリーゼは毅然とした様子で言い放ち、悪役に立ち向かう覚悟を示していた。




