第67話 内部者取引
約定とは元々、株などの金融取引が成立した時に生じる言葉だ。売り手と買い手の希望する価格と数量が合致した時、初めて株式の受け渡しが行われる。死者交霊約定も似たような側面があり、買い手が未熟なら売り手が得するし、売り手が未熟なら買い手が得する場合がある。企業分析や、時流を読む力が試されるのはもちろんのこと、細々としたテクニックは無数に存在している。
『成行』と『指値』という概念がある。
『成行』とは、買い手と売り手がいくらでもいいから売買してくれと証券会社などを通じて注文することを指す。『指値』とは、買い手と売り手が具体的な価格と数量を設定し、希望する金額で注文することを指す。
カモにされやすいのは『成行』だ。
特に時間外で注文をかけた『成行』は相場の乱高下に絡め取られやすく、一時的な急騰や下落で損をする確率が『指値』に比べて高くなる。理由は単純で、株価が想定より高かろうと安かろうと売買が成立してしまうからだ。例えば、特定の米国株を取引時間外の『成行』で買い注文をしていたとして、その当日にアメリカ全土に隕石が落ちたとする。株価は当然ながら業績に関係なく下落するわけだが、時間外の『成行』だと株価が下がる前の相場で売買が成立してしまう。当日の終値が-20%だった場合でも、始値で買いが成立しているのだから20%損をした計算になる。
逆に『指値』なら、当日の大暴落をケアすることが可能になる。自分が納得する額で注文をかけるわけで、買いなら-5%以内の価格で設定していることが多い。どれだけ最悪のケースでも-15%で済むことになり、『成行』に比べて5%ほど得をする。さらに言えば、設定した目標額に到達するまでは注文をキャンセルできる。大暴落の気配を読み取ることができれば、落ちたナイフを掴まずに済むわけだ。
ただ、『成行』をすれば必ず負けるというわけでもなく、株価が将来的に上がるか下がるかだけの勝負なのだから、結果的に得することもある。重要なのは売買を成立させる条件設定の有無であり、『死者交霊約定』の損得にも大いに関係する。
さて……『成行』と『指値』の情報を踏まえた上で、約定した取引相手であるエリーゼの言葉を振り返ってみよう。
『あの吸血鬼を倒すまで力を貸して。万が一、倒せなかったとしても、勝敗にかかわらず最後は消えて』
パッと聞いた印象だと、前半で終わっていれば『成行』、後半も踏まえれば『指値』のように思えるだろう。仮に『あの吸血鬼を倒すまで力を貸して』で終わっていた場合、『あの吸血鬼を倒さずに暴走する』ことも可能だったわけだが、『万が一、倒さなかったとしても~』を付け足すことで最悪のケースをケアしていることになる。
ただ、詰めが甘いとしか言いようがないな。鬼気迫る状況だっただけに条件の細部まで気が回っておらず、付け入る隙はいくらでもあった。想定外の出来事を起こすことは十分に可能であり、突発的な大暴落を引き起こすこともできる。金融用語ではこれを『黒い白鳥』と呼んでいた。
「――――」
マーリンは黄金色の両目を見開く。『力を貸して』という命令の延長線上で勝手気ままに行動する。発動するのは『観測の魔眼』。目の前にいる吸血鬼の過去現在未来を読み取り、マーリンが関与しない事象を全て読み取ることが可能だった。
ただ、彼のことはすでに知っている。王位継承戦が行われた舞台……分霊室の第三回廊区における怪異の城の城主をしていた男だ。ではなぜ、わざわざ『観測の魔眼』を用いたのか。答えは単純明快であり、能力を発動した意図は『観測する』ことになく、『観測させる』ことにある。
「………………」
吸血鬼が観るのは、自身が辿る過去現在未来。間接的に分霊室のことは伝わった。彼が死んだ後、イギリス王室と関わりを持つことを示せた。『死者交霊約定』によって召喚され、怪異の城の城主となる光景を観せた。もちろん記憶に穴はある。マーリンの過去現在未来に関わる情報は伏せられており、全てを網羅することはできない。時系列にも誤解が生じやすく、召喚されたのは過去か未来かハッキリしないだろう。仮に全てを理解したところで、こちらが思った通りに動いてくれるとは限らない。
しかも、エリーゼに思惑を看破されれば債務不履行ものだ。『観測の魔眼』による利敵行為を的確に指摘されれば、すぐさま消えることになるだろう。だからこれは賭けだ。『指値』の裏を突いた、『内部者取引』だ。不確実な吸血鬼の行動に命を預けてしまうことになるが、上手くいけば恐らく……。
「生涯最後の最高傑作」
黒は白に染まる。意図を察した吸血鬼は命を代償に規格外の力を得る。『倒すまで力を貸して』と『倒さなかったとしても消えて』の狭間に進む決意を示す。とはいえ、思ったことをそのまま口にはできない。
「いやはや……困ったね。あれはさすがの僕でも倒せないかもしれない。一応、聞いておくけど、勝算はあるのかな?」
「当然!!!」
主を試すつもりで聞いてみたが、返ってきたのは力強い答え。やはり、未来は分からないからこそ面白い。全てが思った通りになるなら、物事の浮き沈みに一喜一憂できないからね。霊体として生きる人生は長いことだし、結果がどうなろうとも、今はこの不確実性を楽しむとしようか。
「では早速だが、命令を下さるかな? 我が主!」




