第66話 あるべき姿
『ロマノフ』じゃなく、『ロマノヴァ』か。そう呼ばれたのは、いつ振りだろうな。遥か昔のこと過ぎて覚えてないが、心理的な隙間を突かれたかもしれん。どう思ったかは置いといて、この二つの表現の違いに触れておく必要があるだろうな。男性系と女性系によって呼び名が変わるのは、元を辿ればロシア語の祖先にあたる印欧祖語に行き着く。
まず文法のルールとして、『動くもの』と『動かないもの』で表現を変えようってのが始まりのはずだ。帝国語とロシア語のすり合わせが複雑だが、『動くもの』は目的語(~を)で語尾が変化。『動かないもの』は目的語かどうかにかかわらず語尾を変化しないという決まりを設けた。その延長線上にあるのが男性系と女性系の違い。『ロマノフ』か『ロマノヴァ』問題に発展する。
語尾を変化する女性系が『ロマノヴァ』なのだから『動くもの』。語尾が変化しない男性系が『ロマノフ』なんだから『動かないもの』のように思えるんだが、これがまたややこしい。『動くもの』と『動かないもの』の次に、『男性名詞』と『女性名詞』というグループ群ができ、『男性名詞』は昔のルールを据え置き、『女性名詞』は今までのルールを無視して語尾を変化するという新しいルールを設けやがった。
グループ分けの基準は言葉の響きにある。『動かないもの』は『~a』の発音で終わるものが多く、名詞の語尾に『~a』を付け加えて『女性名詞』ってことにすれば男と女の区別が楽じゃね? ってクソみたいな発想が全ての始まりだ。それ以降、『動くもの』と『動かないもの』だけで区別する時代は終わり、今のルールと昔のルールがごちゃ混ぜになった。女性系の名前である『ロマノヴァ』が『~a』で終わるのも『女性名詞』からの影響を大いに受けている。
『動くもの』と『動かないもの』、『聖遺物』と『邪遺物』、『文法ルールの改変』と『帝国語が世界共通言語に改変』は何らかの因果関係がありそうだが、これは本題から逸れるから割愛だな。真相を知るには、世界をめちゃくちゃにしたベアト・リーチェに直接触れて、判断するしかない。
さて……前置きが長くなったが、こっからが本題だ。
ジーナ・ロマノフは王であることを望んだ。ジーナ・ロマノヴァは王であることを望んだ。一見、同じように聞こえるが、この二つの文章は男性系と女性系の違いによって意味が全く異なる。これを解説するには、今までの情報を踏まえた上で、歴史を振り返る必要があるだろうな。
ロマノフ家は帝政ロシア時代を支えた王家の血筋にあたるが、19世紀以降の女系王子の立場は弱かった。19世紀以前は女系の王が実権を握っていたこともあったんだが、男系王子の反発を呼び、王位継承法なる新ルールを制定。男系王子のみが王位を継げ、女系王子の即位を制限する決まりが適用される。
自ずと訪れるのは男尊女卑の時代。
ロマノフ家にしか通用しないルールなんだから、世間は関係なくないか? という疑問もあるかもしれんが、大いに関係する。川の上流が濁れば、下流も濁ると言えば理解が早いか。王位継承法を引き合いに出し、男性が女性の上に立とうとする風潮が世間に浸透していった。それから一世紀以上が経過し、舞台を覚醒都市に変えたとしても、根っこの部分は変わってない。依然として女性の立場は弱いし、女系王子が即位できる可能性は薄い。
だから、ジーナ・ロマノフは王であることを望んだ。
独自の法体制を整備した今なら王位継承法も無効だし、世間と評議会を納得させることさえできれば、現国王のジークから王位を継ぐことだって可能のはずだ。男として通すなら王位を継ぐのに有利だし、弱点になり得る性別が女だったってことは信頼できる一部の人間しか知らないはずだから漏洩されるリスクは0に近い。
とはいえ、仮にジーナ・ロマノフが王位を継げたとしても、そこには不純物が混じっている。一生涯、男として生きていく必要があり、国民に嘘をつき続ける必要が出てくるわけだ。そこで矢面に上がるのは、もう一つの結論。
ジーナ・ロマノヴァは王であることを望んだ。
これはつまり、女性であることを公表した上で王位を継ぐルートだ。世間や評議会の風当たりの悪さを真っ向から受け止める必要があるが、そこさえクリアすれば、ありのままの自分でいいというか、国民に嘘をつく必要がなく、胸を張って堂々と王を名乗ることができる。
そこにメスを入れたのがジェノ・アンダーソンだ。
こちらの情報は大して明かしてないし、ロマノフ家の系譜を詳しく知っているようにも思えない。ただの偶然であり、それっぽいことを言われて当たったと錯覚するような、いわゆるバーナム効果に近いんだろうが、胸の内に抱えていた男系か女系かの葛藤……その本質に迫ったのは紛れもない事実だった。
『俺の心の歪みを正すこと。それが『波』から出る条件』
頭の中で反芻されるのは、自分自身の言葉。合っている保証はないし、心の歪みってのは具体的に何を指しているのか分からない。ただ恐らく、男系か女系かの狭間で揺れる今の中途半端な状態のことを指しているんだと思う。不確定な事象の中をループする『波』の性質とも似通う部分があるし、相手の心の課題を直面させるって能力だと仮定するとジェノの気質にも合ってる。
そう考えれば、勝敗は関係ないのかもな。男か女、ジーナ・ロマノフかジーナ・ロマノヴァか、どちらで生きるかを決めた時点で『波』は終わる気がする。ただ、今までに背負った罪の数を考えると、そこまで単純な話でもないんだよな。
「…………黒い白鳥」
ジェノの言うように、白いはずの手と翼は黒く染まっている。攻略者を虐殺するように指示したし、覚醒都市を滅ぼそうともした。ターニャによる『善悪反転』の影響があったにしろ、なかったにしろ、救いようのない邪悪な存在だ。ロマノフかロマノヴァかを決める前に、人としてどうなんだって話だ。
少なくとも、王になるって決めるんなら、国民に事情を説明する必要がある。あの日の出来事は全て生中継されていたわけだし、都市を滅ぼそうとした理由も世間に知れ渡っているはずだ。『犯罪者や犯罪者予備軍のいないクリーンな世界を目指す』ってのは聞こえはいいが、魔獣を内に秘めた都市民も対象というのはバレている。
『永遠王国』の性質があれば魔獣化による暴走リスクが激減し、自分の中では犯罪者予備軍の対象から外れたんだが、それじゃあ世論を味方につけることはできないだろうな。誠心誠意、自分自身と向き合って出した答えじゃないと下がった好感度は元に戻らないと思ってる。
ただ仮に、『波』の問題、ロマノフかロマノヴァ、都市民と評議会、王位継承、それら全ての問題を解決できたとしても終わりじゃない。
どの面下げて、七つ頭の魔獣に会うんだって話なんだよな。
ナロト体内にいる攻略者の抹殺を条件に、都市の侵攻を止めてもらってる。破談=侵攻開始ってなわけで、ジェノ派閥につくなら全面戦争も止む無しになる。善悪のジレンマが心の歪みか? とも思ったが、これ以上考えても埒が明かないだろうな。今はただ、頭空っぽにして目の前の戦闘を楽しむとするか。
「お前と黒い白鳥とは何かと縁があるな。いちいち言われずとも語源は知ってるだろうが、リスペクトを込めて先に宣言しといてやる。能力のテーマは『不確実性』だ。その身をもって味わいやがれ!!」
宙に舞うのは無数の黒羽根。一つ一つが超常現象級の破壊力を秘めており、余すことなくジェノに襲い掛かる。対人に使うにしては過ぎた火力だが、この程度で倒れてもらっちゃあ困る。土壇場に追い込まれた数だけ強くなってきたのを間接的に知っている。その期待に応えてくれる野郎だと信じている。どう対処すんのかって? 見てりゃあ分かる。肉体系以外を強化すると決めたんなら、答えは決まってる。
「だったら、俺の能力のテーマは『確実性』だ。目に見えたものを無に帰す、悪魔の力を思い知れ!!!」
ジェノの右手から迸るのは赤い閃光。点と点を線で結ぶような稲光が走り、宙に舞っていた黒羽根をことごとく焼き尽くす。伊達に何度もループしてないか。繰り返される結界術の攻防の果てに、とうとうコツを掴みやがった。
『芸術系』のスキルツリーの強化。センスの創造可変。
選んだ得物は――。
「〝悪魔の右手〟……っ!!!」




