第65話 成長領域
「彼女に触れちゃ駄目だ! 感覚系の意思能力者で情報を読まれる!」
ジェノとジーナは繰り返す。『波』に揺られ、確定しない事象の狭間で際限なく続く熱戦を演じ切る。二人は未知の現象を前にして、ある予想を立てていた。
『俺の心の歪みを正すこと。それが『波』から出る条件』
勝ちから負けへ。安全領域から成長領域へ。ジーナの勝ち癖と安定思考を修正することを目標に掲げ、そこから初めてのループが訪れていた。手を抜くだけで済むように思えるが、彼女の心の問題は根が深い。
「…………っっ」
意に反し、ジーナの身体は合理的に動き出す。空中に展開される槍に手を触れ、襲い来る四名に痛覚共有し、幾度目か分からない勝利を導き出していた。同じループを共有するジェノが倒れる姿を横目で見ながら、ジーナは罪悪感を募らせる。
「なんでだ。なんで……」
弱く見せかけることは慣れていた。コサック部隊では最下級の兵士として認知され、表立った活躍をしないように振る舞っていた。周りから無能扱いされようが歯牙にもかけず、人知れず積み上げた勝利を上官の手柄にしていた。
弱く見せるのと、実際に負けるのは同じようで違う。
ジーナはナロト体内で活動して以降、勝利条件が複雑な対人間は抜きにして、勝ち負けがシンプルな対魔獣戦に関して言えば、一度も負けていない。『白龍』のモチーフとなった魔獣もアレクセイと共に討伐しており、『七聖獣』に引けを取らない戦果を残している。
彼女は、ここぞという場面で必ず勝っていた。
勝つ必要がない場面なら周りに任せ、無能を装うことができたが、この戦いは白軍の誰にも見られていない。弱く見せかける必要がなく、仮説を検証する以外に負ける理由がなかった。自分を納得させられなければ行動に移せず、敗北がループの脱出条件だったとしても、確証がない限りは実行できなかった。
「彼女に触れちゃ駄目だ! 感覚系の意思能力者で情報を読まれる!」
ジーナは自身の深層心理に気付けないまま、ループに囚われる。感覚系意思能力で他人の心が見えすぎるがゆえに、自己分析に意識を割く必然性がなかった。そのツケが今となって牙を剥く。『波』となって襲い掛かる。
「……誰か、俺を止めてくれ」
ジーナが口にしたのは切なる一言。手を抜くことができないなら、誰かに倒してもらうしかない。不甲斐ない自分を受け入れた上で自ずと至った結論だった。その言葉を聞き届けることができる『誰か』は、この場に一人しかいない。願望を述べただけで助けを求めたわけではなかったが、図らずもそうなった。
「止めてやるぞ。ジーナ・ロマノヴァ!!!」
◇◇◇
ジーナは男性であることを装うため、男性系のロマノフを使用していた。女性系であるロマノヴァを使わず、自分も他人も偽り続けた。その真意は分からない。心を読み取れないから、答え合わせをすることはできない。
ただ彼女は、ラウラと同じ魂を持つ人物だと自分の口から言った。その前提が正しいとするなら、ある程度の予想を立てることができる。実際に合っているかはともかくとして、『感覚系』の能力を磨くには打ってつけのイベントだと判断した。
(俺が得意なのは五感のどれかじゃない……。相手の求めに応じる力だ)
自分の中で一本の筋が通った気がした。欠けていた歯車の一部が噛み合った心地がした。根拠のない納得感があり、背骨に新たな神経が通った感覚があった。これを事細かに言語化できるほどの経験も知識もない。ただ、この体験は自分にとって良い変化をもたらすと信じていた。
「…………」
ジーナの体表面から薄っすら漏れ出るセンスの残滓が見える。場にいる四名の痛覚を共有し得る極細の糸が伸びている。やはりと言うべきか、『芸術系』を強化しようとするのが間違いだったんだ。結界で攻略しようとしたのが敗北を繰り返した原因だったんだ。負けのループにハマったのは彼女の問題だと思っていたけど、条件が全て出揃った上で考えると、こちらにも非はある。改善の余地があったのにかかわらず、同じやり方に固執し、安全領域から成長領域に踏み出せなかったのはジーナだけじゃない。
「触れないように工夫せえ……ちゅうことじゃな」
「俺様の得意分野だ。息つく暇なく終わらせてやるよ!」
何度耳にしたか分からない台詞を聞き、広島とスサノオは後退。距離を取って、
各々の結界を用いて、感覚系の彼女に触れないよう創意工夫しようとしている。間違ってはいない。初見で対応するならそれ以外に考えられない。ただ、何度もループを繰り返したことで、よりよい選択があるとジェノは知っていた。
「出だし無用だ! 彼女は俺が倒す!!」
結界から始まる負の連鎖を断ち切るため、行動に移す。不得意だった『感覚系』への挑戦。成長領域へと自ら足を踏み入れる。彼女の得意分野で勝てるとは思ってない。ただ、試してみる前から諦めるのは間違いだ。
「そう……こなくっちゃな!!」
何を思ったのかを読み取れるほど優れた感覚系意思能力は持ち合わせていないけど、ジーナは笑っていた。喜んで右拳を振るい、打ち付けようとしていた。もう彼女は怖くない。触れ合うことになんの抵抗もない。
「「―――!!!!」」
ジェノとジーナは思う存分に互いのセンスをぶつけ合う。感情が入り混じり、いちいち言葉にしなくとも、互いに思っていることが伝わる。ロマノヴァではなく、ロマノフを名乗っていた答え合わせが完了する。口に出すのは無粋だろう。周りに聞かれる心配もあるし、知られたくないのかもしれない。とはいえ、二人の中だけで完結するのは違う気がする。自分だけ成長領域に踏み込んで、相手は安定領域に留まらせることになる。それだと『波』を破ったことにならない。仮に破れたとしても心のどこかで引っかかりを覚えたままになる。だから……。
「俺は王家を特別視しない。女性だからといって手は抜かない。女系の王族を侮ったりしない。もう取り繕うな!! 王女として勝ちをもぎ取れ!!!」
以前、ラウラにコスプレが好きな理由を聞いたことがある。なんでもない雑談だったけど、今になってみれば必要な会話だったと分かる。男と勘違いされやすい彼女が変身願望を持っていた気持ちが手に取るように分かる。
『あ? そんなもん、女として見られたいからに決まってんだろ』
答えは過去にあった。すでに知っていた。思い至らなかっただけだった。これが複雑に絡まったループを紐解く鍵になるかは分からないけど、正しいことだと心の底から信じていた。
「勝って……いいんだな。だったら、本気を出してやらぁ!!!」
彼女は呼びかけに応じ、頑なに拒んでいた魔獣化を試みる。全身に黒い体毛を生やし、手心を加えない決戦形態に移行する。一目見て分かった。人型を維持しながらもモチーフが読み取れた。背に両翼を生やし、長いくちばしを有した動物。
「…………黒い白鳥」




