第64話 終着
残り二分。それはロザリアに残された命の時間だった。正確に言えば、生存が見込めるタイムリミットであり、仮に助かった場合の後遺症は考慮されていない。ここからは時間が経過するごとにその度合いが増していき、すでに影響が出始めていた。
「…………っっ」
眩暈、立ち眩み、意識混濁。白い体毛の犬型獣人の姿でロザリアはたたらを踏んでいた。体内に残る酸素は12%を下回り、真っ先に影響を受けるのは酸素消費量の多い大脳皮質だった。判断能力の低下から始まり、脈拍の増加、筋力の低下を招き、やがて心臓の鼓動が止まる。
ロザリアは先ほどの攻防で絞首金剛のピークを過ぎていた。意思能力の性質では右肩上がりにパフォーマンスが増すように思えるが、人体の構造を加味すると限界がある。いくら魔獣化を伴っていようと、酸素供給に依存した生命体であることに変わらず、依然として首に巻き付いた鞭は解除されていない。それは、残酷な一つの答えを示唆していた。
「この犬畜生風情が。よくもやってくれたわね」
渾身の飛び蹴りを浴びたはずのリーザは起き上がる。ダメージによってウールコートがミニスカートのような形状になっているものの、戦闘は継続可能の状態だった。身には銀光を纏っており、怒りを表現するように光の末端は揺らめている。
「…………っっ」
気配を察知したロザリアは、先んじて行動を起こそうとするも、転ぶ。今までの怒涛の勢いは見る影もなく、無様に隙を晒していた。
「いい気味。その様子だとさっきのアレもまぐれと思ってよさそうね。ここまできたら私が手を下すまでもないだろうけれど、それじゃあ腹の虫がおさまらない!」
リーザは地面に倒れ込むロザリアの背に踵を落とし、センスによる起爆を伴った。両者は生じた爆熱と爆風の煽りを受けるも、対応は全く違っていた。
「―――」
「………」
一方は風に乗り、一方は風に揉まれる。幽霊状態のリーザは物理的衝撃をほぼ無効にできるため、爆発の影響をもろに受けるロザリアに比べて、圧倒的に優位な状態を維持していた。
「もう一丁!!」
そんな中、再び放たれるのはリーザの踵落とし。仰向け状態で浮き上がるロザリアの鳩尾辺りを蹴りつけ、センスによる起爆を引き起こす。付随して生じた爆風が猛威を振るい、犬型獣人は直下し、地面へと叩きつけられていた。
残り一分。
もはやカウントが意味をなさないと思えるほど、ロザリアは苦境に立たされており、生存は絶望的な状況。ダメージの度合いは煙によって確認できないが、両者の勝負は決したように見えた。
「――――」
そこに吹きすさぶのは、凍てつく風。過熱した周囲の気温を著しく下げ、冷え込んだ戦場に颯爽と現れる一人の女性がいた。前髪は長く、襟足が短い白髪が特徴的で、白と黒の袴に身を包み、赤黒い刀身を露わにした太刀を右手に握っている。
「誰かと思えば、あなたは……」
リーザは何かを口走ろうとした瞬間、袈裟懸けの斬撃が生じる。霧が払われるように消えていき、続きが語られることはなかった。倒したのか、姿を消したのかは判別が難しい中、現れた女性は前進を続ける。
「…………」
彼女は倒れ込むロザリアに無言で太刀を振るう。首に巻き付いた鞭を斬り裂き、酸素の供給を可能な状態にしていた。魔獣が闊歩するナロト体内の実情を踏まえると助かる見込みは薄いが、復帰可能な最低限のラインを保っていた。
「も、もし、次にわたしと出会ったら、殺してください。頼み、ましたよ……」
白髪の女性アザミは短く言い残し、苦々しい表情を作り、その場を去っていった。




