第55話 冷めやらぬ熱気
幽霊区に道半ばで対敵したのは、ウールコートを着た見知らぬ銀髪の女性。他の幽霊と比べても意識はハッキリしており、言葉を認識して、会話に応じられるほどの知性を有している。幽霊の大半が意思疎通を取れなくなるのは、時間を追うにつれて正気を失うからと耳にしたことがあるが、事実はどうか分からない。
「…………」
ロザリアは体表面に纏う白いセンスを1μm以下に留め、脱力した状態で両腕を前に突き出した。相手が誰にせよ、戦う運命に変わりはなく、力が大幅に制限される厳しい環境下だとしても最善を尽くすしかなかった。
「センスを限りなく薄くし、体術ではなく柔術に重きを置くことで、ガス爆発を未然に防ぐ。どうやら賢しい知恵はある様子。並みの使い手ではないようね」
「お褒め頂かなくて結構。行動の意図を理解しようがしまいが、わたくしの強さは1ミクロンたりとも揺るがない」
「あら。そのツンケンとした物言い、不思議と親近感が湧くわ。時代が噛み合えば無二の親友になれたかもしれない」
「世迷い言を。人間と幽霊は相容れない。決して――」
会話はどこまで言っても平行線。両者を隔てる決定的な違いを突きつけ、ロザリアは地面を蹴りつけ、急速に迫った。倒せるかどうかは重要ではなく、目的は銀髪幽霊のそばで倒れる攻略者を持ち帰ること。真面目に戦うと見せかけて、さっさと離脱すれば事足りる。
「……」
案の定、銀髪幽霊は馬鹿みたいに膨大な銀光を纏い、センスによる起爆など恐るるに足らずと言わんばかりに右拳を正面に突き出し、迎撃を試みている。細かい塩梅を見極めたわけではないが、恐らく拳が空を切る程度なら起爆しない。ある一定以上のセンス同士が衝突する、あるいは、尋常ならざるセンスをもってして地面や物体に接触することで起爆すると読んでいる。
そもそもここは、度重なる爆発によってガスの濃度は薄まっているように感じ、生半可なことでは起爆しないはず。本来であれば最小効率によって最大の効果を求めることを重きに置いた戦闘スタイルを好むものの、それは時と場合による。柔術で戦場を切り抜けたと読まれているなら、逆手に取られる可能性も高い。
だからこそ。
「「――――!!!」」
ロザリアが放つのは馬鹿みたいに莫大なセンスを乗せた右拳。相手と全く同じスタイルで応じ、体表面にセンスを覆って、起爆をケアすることなく、攻撃力に特化させた。死なば諸共の覚悟で、万が一の確率で攻略者ごと吹き飛んでしまうこともあり得たが、中途半端に生存を意識すればどちらも助からない。
だから、山を張った。
戦闘において安定行動は絶対的なものではなく、時にしてリスクを負うことも重要。特に相手が自分と同等か、もしくは格上の場合は、どこかで無理をして実力差を埋める必要が出てくる。自殺紛いの非効率な行動に思えるかもしれないが、ある意味で効率がいい。攻略者を助けられなければどの道死ぬのだから、起爆を恐れる必要はどこにもなかった。
「「…………」」
ロザリアの命を張った予想は的中する。同程度の威力を誇った拳同士は空中で拮抗し、火花のような閃光を散らしている。起爆する気配はなく、その代わりに湿度の高いムワッとした空気が肺に入り込むのを感じた。
化学をベースに考えれば、なんら不思議ではない。メタンガスなどが爆発した場合、化学反応によって大量の二酸化炭素と大量の水が生成される。それによって湿度が急激に上昇し、蒸し風呂のような環境が出来上がる。起爆によって空気中の大量の酸素が燃焼することから酸素濃度も低下し、長居すればするほど人体に悪影響を及ぼしやすい。頭痛→眩暈→嘔吐→昏睡といったような段階を経て、再起不能になる可能性が極めて高く、初撃を凌げたのはいいが、油断は禁物だった。
「あら? あらあらあら? 顔色が優れないようだけれど、食あたりでもされた? それとも――」
「…………!!!」
これ以上、無駄話に付き合って、貴重な酸素を消費するわけにはいかない。拮抗する右拳を弾くように払いのけ、ロザリアは体術戦を試みる。左足による横蹴り、曲げた右腕を突き出した肘鉄、振りかぶっていた左拳を打ちつけるフックを繰り出し、銀髪幽霊は両腕を巧みに操り受け切っている。
通常の攻防では埒が明かない。そこまで実力差に開きはない。やはりというべきか、彼女は『七聖獣』と同等か、それ以上の実力を秘めており、手の内を隠して通せるほどの甘い相手ではない。
だったら――。
「グラーグの鉄鎖」
ロザリアは体術の狭間に短い文言を口にし、右手を掲げる。何もなかった空間にセンスの創造可変を行い、鞭を生成する。汎用性の高い得物ではあるものの、使用は限定的。自らを縛りつけることを主眼とし、自らに課した枷が重ければ重いほど力を増す使い勝手の悪い意思能力に設定した。本来であれば両腕か、両脚を縛る。それによって、結界術のパフォーマンスを極限まで高めるが、両手両足を封じた状態で勝てる相手ではない。
だとしたら何を縛るか。酸素濃度が薄い厳しい環境下に適応するには何を縛るのが効率的か。答えは自ずと浮かんでいる。ロザリアは生成した鞭を自身の首元に巻きつけ、生と死の狭間に身を委ねた。
「絞首金剛」
命が尽きるタイムリミットは――五分。




