第49話 満ち引き
何が起こったの……。
目の前には見覚えのある逆さ樹が生え、胃の底で根を張っている。水たまり状に発生していた胃酸を凄まじい勢いで吸収していき、巨大生物の体液という体液を全て吸い尽くすんじゃないかと思えるぐらいの生命の躍動を感じる。
正直、胃液がなくなってくれる分には有難い。一瞬にして肌や服をベロンベロンに溶かすものではないとはいえ、さっきみたいに戦闘で活用されたらやりづらい。ついでに面倒臭いギミック満載の体内環境が軒並みイージーモードになるだろうし、先に進むにせよ、戻るにせよ、一挙両得のように思えた。
とはいえ、赤牛との戦闘は終わってない。お互い空中に放り出された状態で、逆さ樹を見上げているけど、いつまでもそうしていられない。向こうがどんな動機を秘めているにせよ、あの当たりの強さから考えて、手を引くとは思えなかった。
「いやはや……こいつは予定外ですな」
ただ、赤牛は魔獣化を解き、白い軍服の上半身が弾け飛んだ半裸の状態で言った。名前は知らないから、黒髪天パとでも仮称しようかな。敵意は見るからになく、牙も角も文字通り抜け落ちてしまっている。
「一時停戦ってわけ?」
重力に引かれながら、セレーナは問いかける。油断を誘う罠かもしれないし、警戒を解くことなく、慎重に様子を伺う。
「これでも白軍に従事する身。超常現象級の不測の事態が発生したら撤退しろとの命令を受けてある。命拾いしたな、鬼娘。次はその角、へし折ってくれるわ」
深いやり取りを重ねることなく、表面的な理由を告げ、黒髪天パは着地と同時に撤退を開始。負傷した銀豹を回収すると、さっさと去っていった。
思い切りのよさと、逃げ足の速さの両方を兼ね備えている。白軍の命令に忠実だから、ってのも分かるけど、頭に血が上りそうな戦闘の後で冷静に撤退の判断を下せるのは並みの人間じゃできないことだった。
「あの狡賢い牛とは……二度と手合わせしたくないなぁ」
セレーナは最大限の賞賛の言葉を口に出し、負傷したバグジーを回収。逆さに生えた樹をぼんやり見上げながら、見通しのない未来に思いを馳せた。
◇◇◇
ジーナと接触し、うかつにも情報を奪われた後。ジェノはカグラに経緯を説明し、再び幽門区を目指そうとしていた。仲間の情報や目的を包み隠さず漏洩してしまったことに少なからず罪悪感を覚えていたけど、『過ぎたことはとやかく言っても仕方がねぇ』という言葉に背中を押され、前に進もうと決めた。
道中は不気味なくらい静まり返っていて、魔獣とも遭遇しなかった。それどころか、胃酸が減っているような感じがして、今までの胃体区に比べればビックリするほど平坦な道のりが続いていた。
「おかしいな。魔獣の群れが落ち着いたにせよ、静かすぎる」
「嵐の前の静けさってぇやつか。あの群れは、山火事から逃げてきた動物って考えると合点がいく」
「より一層、気を引き締めないとな……。ジーナさんが敵なら、いつ白軍に襲われてもおかしくないだろうし」
「いいや、おらの認識だと逆だな。警戒心を無理に高めて、自分を擦り減らすより、目の前のことに集中した方がいい」
「ん? 目の前のことって?」
「おめぇの当面の目的は、リーチェって師匠と互角に闘えるレベルまで『成長すること』だろ? 他のイベントは些細なもんで、それ自体が主目的を上回ることはねぇはずだ」
「まぁ……そうかもしれないけど、それで?」
「肩肘張らずに今を楽しめってことよ。『成長』にフォーカスすりゃあ、考えられることは山ほどあるだろ」
何気ない雑談の、何気ない一言。ただそれが妙に心に残り、見通しの悪かった道のりに一筋の光が差したような気がした。
「一理あるな……。強さは全ての基盤だし、どんな未来が訪れようとも、成長しといて損はない」
「で、共闘の次のステップはなんだ?」
「苦手分野にも積極的に手を出す。得意の『肉体系』は据え置きに、『芸術系』と『感覚系』のスキルを磨き、応用力を底上げだ!」
ジェノは次の方針を定め、歩みを深める。不安定だった足取りは以前よりも力強く、それでいて軽やかだった。
◇◇◇
幽門区を目前にした胃体区で話し合うのは三名。ロザリアとソーニャは、突如現れた若葉色のスーツを着た攻略者の話を聞き、状況を整理しようとしていた。
「100万人の亡霊ですか……。にわかには信じられませんが、魔獣の異様な行動を見るに、あり得るのでしょうね」
「感心している場合か。こっちとしては今すぐにでも――」
ロザリアが話を整理し、攻略者が焦りを募らせる。
「気持ちは分かるよ、お兄さん。でも、こっちにも事情がある。無策で100万人の軍勢に飛び込むわけにはいかないし、仮に私たちに仲間がいたとしても、見ず知らずの攻略者の意見をそっくりそのまま伝える思う?」
そんな中、ソーニャは堂々とした物腰で対応にあたる。発言には芯が通っており、格下だと判断した相手には上から目線の物言いで、弱みをつけ込まさないように振る舞っているように見えた。
その時点で気付いたことがある。彼女の問題点は発言に芯がないことではなく、相手を選んで発言していることだ。強気に出れると思った相手には敬意を払わず、自分の意見を素直に伝え、一方で強気に出られないと思った相手には過剰なまでに敬意を払い、自分の意見は押し殺す。
それも立派な生存戦略で、世の中の渡るためには必須なスキルと言える。ないよりはあった方がマシなのは確かであり、彼女と接する上で見たことがない一面を見れて嬉しい気持ちがないと言えば嘘になる。
ただこれは……行き過ぎれば毒になる。独裁者的思想に近く、彼女が誰よりも権力を持ってしまった場合、暴走を止める術がなくなる。今でこそ『七聖獣』の権威と、『白金の道』の先生というポジションは健在だが、それがいつまでも続くと思わない方がいい。彼女は発展途上の使い手であり、ナロト攻略で目覚ましい活躍をすれば、『七聖獣』以上の権威を与えられる可能性が高かった。
ただでさえ、ソーニャは独創世界『永遠王国』の存続を握り、王国の権力者の中でも高いポジションにいる。もし仮に暴走すれば、ロシア内戦におけるロマノフ家のような末路を辿るかもしれなかった。
「言ってることはもっともだが、こうしてる間にも仲間が……」
「いや、だから――」
「ソーニャ、それ以上言ってはいけません。頭の中で思っていることをそのまま口にして良い場合と、悪い場合があります。今のは完全に後者。相手の背景を想像し、それに対する敬意と思い遣りを持ちなさい」
声を張って伝えた言葉に対し、ソーニャは『はい、先生……』と露骨にげんなりした様子で反応を示している。強く言いすぎたかもしれないが、何もかも彼女のやりたいようにやらせるのもまた教育とは呼ばない。暴走したら叱る、勇猛なら褒めるというバランスが不可欠であり、どちらも切り離せない存在だった。
「礼は言わないぞ。まだ助けられてないからな。なんにしても、俺の主張は何一つ変わらん。手を貸すか、見捨てるかだ。無理なら無理と言ってくれたら諦めがつくし、手を貸してくれるなら俺が差し出せるもんを全部くれてやる。だから、どうか……どうか……っっ」
攻略者は淡々とした物言いから、徐々に感情が入っていくのが分かる。背景を想像するのは容易く、仲間が足止めをしている姿が脳裏に浮かぶ。今すぐ助けにいけば命を救えるかもしれないが、未熟なソーニャを連れ込むには危険すぎる。
だとすれば……。
「わたくしが手を貸しましょう。『七聖獣』の誇りにかけて」




