第48話 顛牛
ボリスが有する意思能力は『顛変地異』。彼の手で触れた人や物の位置エネルギーを変化させる。技の精度や可動域は本人のフィジカルに依存し、押し倒せるかどうかが発動の鍵を握る。現状、ナロトをひっくり返すことはできないが、小振りなビル程度なら発動可能だった。
「「…………」」
背後で行われるバグジー対ダニールの激闘をよそに、セレーナとボリスは二人の世界に没入する。歩きで間合いを計り、大太刀の切っ先が届くか届かないかの距離を互いに維持している。すぐにでも体術戦や能力戦に移行させることも可能だったが、あえて地味な戦法を選んだ。歩きと走りには、割けるリソースとパフォーマンスに雲泥の差が生じる。走りを繰り返す戦闘は実力差があれば一方的な展開に持っていきやすいが、歩きの繊細さと対応力には劣る。相手の能力が未知数な以上、迂闊に飛び込むのは悪手だと二人は理解していた。
ポイントとなるのは、大太刀を振るうタイミング。相対的に最もリーチがある得物を持つセレーナが、攻防の主導権を握っているといっても過言ではなかった。
二人は腹の探り合いをすることなく、時間だけが過ぎていく。バグジー対ダニールの戦いに進展があった頃、彼らはようやく動き出した。
「――――」
セレーナは間合いから一歩引き、大太刀を突き出した。後退した分だけ間合いを詰めてくるボリスの癖を読み、その意表を突く形で先手を仕掛けた。維持されていた間合いは斬撃が届くかどうかであり、刺突は想定されていない。仮に相手が間合いを詰めてこない場合でも、攻撃として成立するとセレーナは予想していた。
「……」
そこでボリスが行ったのは、一歩後退。刺突の間合いの外を維持しており、セレーナの攻撃は空振りに終わっている。踏み込んで躱すよりも動作は単純で、余った分のリソースとパフォーマンスは次の攻防に直結した。
ボリスはここぞとばかりに一歩踏み込み、セレーナの懐に迫る。突き出したのは魔獣化状態3により維持される人型赤牛の両角。センスが纏われることはなかったものの、質量×速度=運動量という物理の基本概念は適用される。
「――ッ」
回避しようとするも、大太刀を突いた分だけ反応が遅れる。迫り来る両角に突き刺されることはなかったものの、角先がセレーナの右脇腹を軽く裂いた。突進する闘牛の如く、ボリスは直進していき、二人の距離は遠のく。大太刀の間合い外であり、セレーナは今の攻防で後れを取ったことを素直に認めつつ、このフィードバックを次に活かそうと前向きに受け止めていた時。
「――え」
目の前に飛び込んできたのは、赤牛の角。時間が一つ前の攻防に巻き戻ったのかと予想を立てるも、すぐにそれは否定される。角先についた青い血液が自身のものだと気付き、セレーナは地続きの時間軸であることを確信した。
「ちぃ!!!」
否応なく対処を余儀なくされたセレーナは大太刀を縦に振るう。迫り来る角と衝突し、甲高い音を奏で、拮抗する。虚を突かれ、後手に回ったにしては上々の反応であり、致命傷を避けることにセレーナは成功していた。
しかしそれは、『顛変地異』の発動を意味する。
「…………っっっ!!?」
再びセレーナの位置エネルギーは変化し、顔から地面に叩きつけられていた。そこは、胃酸に満ちる水たまりのような場所。熱い鉄板の上で肉が焼けるような音を奏で、セレーナの左顔面と左半身を徐々に溶かしていく。
ただ、臓器の構造上、胃よりも強い酸を発すれば生命機能を維持できないため、超高濃度の酸と比べれば腐食は緩やか。浸かった瞬間に骨も残らないほどの悲惨な状態に陥ることはまずない。とはいえ、セレーナの健全な精神状態を揺るがすには十分な出来事だった。
「身体が、溶けて……っっ」
どれほどの優れた使い手であろうと、現実を受け止め、立て直すまでに数秒のタイムラグが生じる。発狂するほどの不安定な精神状態に陥ることはなかったものの、セレーナは致命的な隙を晒していた。そこに襲い来るは――。
「ふん!!!」
『顛牛』。両角を突き上げ、セレーナを空中に放り投げる。数度の攻防を経て、さすがの彼女もボリスの意思能力の性質に薄々気付いており、位置エネルギーの変化に身構えるも、その時はやってこなかった。
『顛変地異』の発動は任意。
位置を変化させるもさせないも彼の自由であり、大太刀によるリーチ差は無意味化し、主導権はボリスに奪われつつあった。
「…………」
空中にいるセレーナは不利な状況を受け止め、追撃が来ることを想定しながらも、大太刀を左腰にある鞘に納めた。ジリジリとした攻防なら有利に働くが、リーチが長いせいで取り回しが悪く、ボリスの突進と意思能力には相性が悪いと判断したのだ。使える手はいくつかあるが、時間を巻き戻すことは候補になかった。まだまだ能力の詳細が分かっておらず、どれだけセンスが目減りするかも不明で、発動できなければ死に直結する。そのリスクを許容することはできず、今の場面に即した別の手を模索し、深く考えるまでもなく思い至った。
「挽回開花」
何もない空間から生じたのは一本の箒。毛先はヤシ葉が採用され、ピンと張った穂が五つの束になったような形状となっている。持ち手は黒竹が採用され、天然の凹凸が握り込みやすさを向上させる。
彼女が発動した能力は魔術に該当し、長年、メイド服を愛用することによって自然発生したもの。掃除に関連した能力を伸ばすのが自然だったが、彼女の発想によって箒のポテンシャルは独自の方向に導かれた。
「「――――」」
セレーナの箒とボリスの両角が空中で衝突する。互いにセンスを纏うことはなく、単純な力比べが成立する。本来、セレーナは胃の性質を知らず、全身にセンスを纏ってもおかしくなかったが、バグジーの死の光景で、ガスが充満していることに気付いていた。原因は【火】ではなく、センスであることも察しており、周りがセンスの攻防を極力避けている事実から答え合わせは済んでいる。
重要なのは、どの程度なら起爆しないのか。
目にセンスを灯すのを起爆しない最小単位とし、起爆しない最大単位はどこかを探る。箒を発した時点で起爆を覚悟していたが、そうはならなかった。つまり、起爆する要因は動的なセンスの衝突に限り、静的なセンスには作用しない。
「…………」
挽回開花はカウンター型の能力。受けた威力を生命エネルギーに変える性質がある。奇しくも『顛牛』とは真逆。与えたエネルギーを変換する出力に対し、受けたエネルギーを入力する能力。条件達成型の能力であることと、作動時に起爆しないことは共通しているが、それ以外の方向性は異なっていた。
同時に発動すればどうなるか。
答えは分からない。少なくとも、両者には知る術がない。生命エネルギーと位置エネルギーが組み合わさった場合、物理学では推し量ることのできない超常現象が発生する。それは……。
「「――!!!?」」
簡易的な虚大樹の出現。ナロト体内には胃液を養分にする逆さに生えた樹が生じていた。




