第40話 幽門区
「俺はいったん退場する。胃を攻略したら呼んでくれ」
象型の魔獣を両手で掲げ、ルスランは言い放つ。その行く手には黒い膜が覆われた場所があり、王国と胃体区を繋げるチェックポイントとして機能していた。元々そこに施設があったわけじゃなく、感覚的には無人駅に近い。本来の予定とは違ったけど、スーツが破れたルスランの同行は難しいと判断し、緊急避難用の出入り口を突貫工事で作った形だ。突発的に作ったものだから規制を設けることができず、人や魔獣が外と内から出入りし放題らしいけど、そこは目をつむるしかない。
万が一、何かあったとしても王国側が対処してくれるだろうし、ルスランは象型の魔獣を暗黒闘技場に運ぶ傍ら、白軍上層部にも報告するらしい。それなら情報の行き違いは発生しないし、彼の身元も確か。『七聖獣』の発言なら軍のお偉方も聞く耳を持ってくれるはずだ。
「…………」
黒い膜の中に消えていくルスランの背中を見送る。不測の事態はあったけど、怪我人が出ることはなく、攻略は比較的順調と言えるはず。
それでも不安が拭い去られることはなかった。頭の片隅には広島の死が焼き付いて離れない。『波』で見た光景に彼はいなかったし、確証のなかった未来の断片に現実が追いつこうとしているのが分かる。
「……なんね。顔になんかついとる?」
視線に気付いた広島は、首を傾げながら言った。伝えたいことは山ほどあるけど、未来に関わることは言えない。そのターニングポイントである幽門区も近くまで迫っているし、ここからはより一層気を引き締めないとな。
「ううん。なんだか嫌な予感がしただけ。ルスランさんと合流するためにも、今は先を急ごう」
今となっては遠回りしたいという個人的な願望はなく、何事も起きないように胃を通過できることを祈るばかりだった。
◇◇◇
幽門区に足を踏み入れる魔獣のスーツを着た三人組がいた。色とりどりなフードを深く被り、息を潜めて、闇に溶け込むような形で慎重に進んでいる。雑談が飛び交うような空気感ではなく、重苦しい沈黙に満ちている。各々の口からは白い息が漏れ出ており、今までとは違った雰囲気を否応なく感じ取っていた。
「…………」
先頭を歩く紅色のフードを被った者が、不意に右手を横に突き出す。止まれというハンドジェスチャーを背後に伝え、並々ならない殺気を察知する。背後に控える藍色と若葉色のスーツを着る者は、合図に従い、歩みを止めた。
彼らは胃の性質上、センスを纏うことを好まない。ガスが充満する空間でライターをつけるようなものであり、一度でも起爆すればスーツが破損する可能性がある。そのため、引火の危険性がない光量に留めることが本能レベルで刷り込まれており、危険を察知した場合は両目にセンスを灯すのが常習化していた。
「「「…………」」」
三名は互いに背中を預け合い、三方に視線を送る。互いの死角をカバーする形となり、ここまでの攻略はそれで上手くいっていた。不意に遭遇する魔獣には引けを取らないほどの戦闘力を有しており、水や食糧や寝床の確保に困らないほどの適応力も備えている。総合力で見れば攻略組全体を通しても、中の上程度の実力があり、第一の難関である胃を突破し得るポテンシャルはあった。
ただ、彼らなら幽門区を突破できるという確証はどこにもない。
「…………」
凍てつく風と共に降り立ったのは、白髪の女性。上半身は白、下半身は黒の袴に身を包み、右手には赤黒い刀身が特徴の太刀が握られている。
その光景を見た紅色スーツの攻略者は、ほっと一息をついた。人間相手には遅れを取ったことがなく、魔獣に比べればフィジカルも劣るため、正体が明らかになったことで気が緩んだのだ。
『七聖獣』が相手とならば心の持ちようが変わったかもしれないが、各々の顔ぶれは世間に知れ渡っている。遭遇した時点で判別がつき、異国の地から来た半端者だと早々に見切りをつけていた。
しかし――。
「…………っっ!!?」
吐いた息が凍りつく。侮りが、悔やみへと変わる。気付けば全身が凍りつき、紅色のモニュメントが完成していた。
「「…………っ!!」」
藍色と若葉色のスーツを着る攻略者は、息を合わせたように逃走を開始した。突如現れた女性から背を向けて、仲間だったものを置き去りにして、手足をがむしゃらに動かした。
だが、彼らの行く手を遮る者たちがいた。だだっ広いはずの空間は足の踏み場がないほど埋め尽くされており、逃げ道が存在しない。正体は単純明快だ。彼らにとって無関係なものではなく、幽門区という名称にも関係している。
それはつまり……。
「内戦時の逃亡で息絶えた100万人の亡命者」
「んな馬鹿な。何年前の出来事だと思って……」
藍色は現実を受け入れ、若葉色は妄想だと切り捨てる。どちらにせよ、訪れるべき結果は変わらない。彼らの正面に立つ白軍の恰好をした集団は、かつての正式装備である小銃を構え、こちらに狙いを定めている。
正体がなんにしても、二人の身体は硬直していた。これから起こる出来事を予見して、筋肉をこわばらせていた。どちらも答えを口にしない。言葉にした瞬間、現実になるような気がしたからだ。
「ここは私が引き受ける! アンタは行って!! 早く!!!」
藍色のスーツを着た攻略者はフードをめくり、素顔を露わにする。水色のショートヘアで、鋭い目つきが特徴の女性。全身には髪色と同じ水色のセンスを纏っており、起こり得る惨事をその身一つで受け止めようとしている。
「でもよぉ、それじゃあ、ミーラが……」
若葉色のスーツを着た攻略者はフードを脱ぐことはなく、彼女の身を案じて、その場から動けずにいた。
「誰かがアレを知らせなきゃなんないでしょうが! それとも、私の代わりにここに残る? 100万人の幽霊を足止めできる? 無理でしょ!? アンタの役目は状況を正確に報告して仲間を引き連れて戻ってくること!! いい!!?」
反論の隙を与えず、ミーラと呼ばれた攻略者は一方的に思いの丈をぶつける。建前にしろ、本音にせよ、言葉に並々ならない熱量を込めているのは確か。普段の冷ややかな性格からは考えつかないほどのパッションが言動に節々にあり、若葉色のスーツを着た冒険者は彼女の勢いに負けて背を向ける。
「戻るまで、死ぬなよ」
「報告するまでは、生きてよ」
二人は別ベクトルの言葉を交わし、道を違える。一方は前、一方は後ろを向き、各々は動き出す。白軍の幽霊が小銃の銃口をミーラに向け、引き金に手を当てている。ガス爆発で幽霊は死なない。ただ、生身の人間ならどうか。鬼や悪魔と違って、再生力に限界のある軟弱な肉体に耐えられるのか。
その答えをミーラは知っていた。だから生きろと言った。再会を約束しなかった。腹はくくっている。ナロトを攻略すると決めた時点で死は覚悟している。早いか遅いかの違いであり、人はいつか必ず死ぬ。定められた運命だと思えばいい。彼を生かすことができるなら、惨めだった自分の人生も少しだけ誇らしく感じる。
さぁ、ド派手に華々しく散ってやろう。
片思いの男のために一肌脱げたのなら、それもまた――。
「…………」
瞬間、ミーラの周囲は爆熱に包まれる。咲き乱れる水色の花弁を飛ばし、散っていく。送れて生じる爆風に背中を押されるのは、若葉色のスーツを着た攻略者。唇を噛みしめ、赤く滲ませながら、手足を目一杯を動かしている。
「ちくしょう……ちくしょぉぉぉぉおおおおおお!!!!」
その叫びは爆音にかき消され、誰にも届かない。ただ、彼の身体は灼熱の思いに駆られ、足を止めることは許されなかった。




