第34話 心理の扉
ジーナは感覚系の意思能力者。それは紛れもない事実。相手に触れる、もしくは痕跡に触れることで目に見えない情報を読み取るのが得意だった。
大図書館に保存される『神の両手』を使えば、全世界にいる誰とでも繋がれる。もちろん、使い手が熟達していたり、厳重に閉鎖されている場所であれば、読み取れないこともあるが、99%の人間にはアクセス可能だと言ってもいいだろう。軍事機密だったり、未発表論文だったり、犯罪者予備軍の動向だったり、覗き見し放題だ。諜報という面においては右に出る者はいないと自負している。
……とはいえだ。あまりにも見えすぎる。
これは、悩みでも愚痴でもなく、純粋な疑問だ。相手の心が見えすぎるせいで心が病むぐらいなら軽いもんで、根っこはもっと深い気がしてならない。この能力は人の身に余る。神や高次元存在の力を一時的に借りているようにすら思えた。
ただ、皮肉なことに自分自身の心を読み取ることができない。言ってしまえば客観視が不可能。相手と繋がることで間接的に自分を知る以外に能力を解明する術は今のところなかった。
そういう意味でも、七つ頭の魔獣との繋がりは、いい刺激になるだろう。
「…………」
ジーナは無数の扉が配置される無機質な世界にいた。造形や時代感はバラバラで、統一性はなく、パッと見だと魔獣の正体に紐づくものは見当たらない。ただこれだけでも考察の余地はあり、相手は心を読み取られるのを恐れている。扉を無数に配置することで物理的にも心理的にも深層に至るのが難しい状況になっていた。
片っ端から扉を開けて調べるってのも手だが、それじゃあ埒が明かない。四桁の暗号を手動で入力して、当たるまで試すぐらい手間がかかる。扉の大半が罠の可能性もあるし、適当に開いて回るのだけはやめといた方が良さそうだな。
「――」
そう考えたジーナは、扉が配置される空間を歩き始める。注目すべきは、扉の配置と構造だ。法則性を見抜き、矛盾を見つけることができれば、当たりを引ける可能性が極めて高い。
まず凝視したのは、扉の建付けだった。想像上の世界ではよく目にする構造で、壁に扉が設置されるスタンダードなタイプじゃなく、奥行きのない場所に扉が設置されている。言ってしまえば、地面から扉が無数に生えている状況だ。現実世界なら機能性のない先鋭的なアートと化すが、心の中だと話は別。想像力が及ぶ範囲ならどこにでも接続可能で、行き着く先は地獄だろうが煉獄だろうが天国だろうが何でもありだ。もちろん中身は当人の解釈次第で、現実世界に繋がっていようと歪な構造になっていることもざらにある。
怖いもの見たさで目の前の洋風な扉を開いてみたい衝動に駆られるが、やめておいた。情報不足のまま飛び込むのは命知らずの馬鹿がやることだ。時にしてそれが解決の糸口になることもあるんだろうが、そこまで頭のネジはぶっ飛んでない。
「……」
伸ばした手を引っ込め、ジーナは散策を再開する。見たところ扉の配置に決まりはなく、地面に備えつくものもあれば、空中に固定されているようなものもあり、法則性がないのが法則といった感じだ。
空間は50メートルプールがまるっと入るぐらいの広さで、四方は壁に囲まれ、高めの天井も存在する。色は白を基調としており、嫌でも扉に視線が集まるようになっていた。
意味があるのか分からんが、扉の数を数えてみたところ100ピッタリだった。だからなんだという話ではあるが、特定の数字は本人の執着や強いこだわり、心理状況やトラウマに結びついている可能性が高い。頭の片隅ぐらいには留めておいてもいいだろう。
あれこれと考えている間に、ジーナはガラス張りになっている壁際にたどり着く。これで空間の端から端まで歩いたことになる。これといった収穫はなかったが、視覚的な情報は頭の中に叩き込んだ。心理世界は現実世界と時間の流れが異なるし、じっくり検討を重ねて、100枚ある扉のうちの1枚を吟味するのが鉄板だな。
「……?」
そう思いきや、ジョロジョロという空間とは不釣り合いな音が耳に入った。おもむろに周囲を見遣ってみると、ガラス張りの壁に亀裂が走り、そこから大量の水が入り込んでいるのが見えた。複雑な心理状態の表れとも取れるが、安全圏から高みの見物ってわけにはいかず、おもくそ当事者だ。何らかの行動を起こさなければ溺れ死ぬのは目に見えている。
「慌てんな。空間いっぱいに水が溜まるまで時間は――」
ジーナは自分に言い聞かせるように口走るも、言葉が最後まで続かない。次の瞬間には胸元まで水が溜まっており、身体はプカプカと浮き始めていた。天井まで距離はあるが、今の一瞬でこれなら満杯になるまで大して時間はかからない。
否応なしに訪れた危機的状況を前に焦燥感が募り、判断と行動には制限時間が設けられたのが分かる。心の中だから溺れ死んでも問題ないってわけでもなく、ここで息絶えるようなことがあれば現実世界の精神は死ぬ。抜け殻のような廃人状態になり、生きているが死んでいるような状態に陥る。生と死が曖昧な世界だろうと関係がなく、外的要因でなく内的要因なのだから治すことは不可能だった。
「一か八か適当な扉に入り込むか? いや、それはあまりに安直過ぎる……。敵側が用意したトラップなら最も想定されやすい行動だ。溺死から逃れようとすればするほど、視野が狭まり、相手の術中にハマる。落ち着け、判断を急ぐな、相手の思考の裏の裏を読め。扉に逃げ込ませるのが敵の思惑だとすれば、その逆を選べ。本能に抗い、安直な選択肢から遠ざかることができれば恐らく――」
ドブンと音が鳴り、気付けば頭からつま先まで水に浸かっていた。呼吸できるスペースは当然なく、限られた酸素で行動を起こす必要があった。
平泳ぎの要領でジーナは水中を移動する。数々の扉を横目で通り過ぎ、一直線に目的地へと向かう。視界の先には、最も亀裂が広がっていたガラス張りの壁。その一部は鏡で出来ているようで、自分自身の姿が反射して映っていた。
正解の保証はない。入った先がどんな場所に繋がっているか分からない。それでもジーナは突き進んだ。扉の中から正解を見つけるのではなく、壁の外に出るのが深層に至るための鍵だと信じて。




