第26話 ルール
「『波』が、見えるじゃと……?」
広島の困惑した声音が耳に入る。たぶんこの感じだと、全く理解が及んでないって印象だな。いきなり結論を切り出したこっちにも非があるけど、出発点としては間違ってない。ここを丁寧に掘り下げていけば、自ずと理解してもらえるはずだ。
「えっと、シュレーディンガー方程式ってのがあって、それで……」
「待て。もうちょい簡潔にできんのか? 説明のための説明みたいになっとるぞ」
出鼻をくじくように飛んできたのは、広島の鋭いツッコミ。耳が痛いけど、ご指摘の通りだった。聞きかじった知識だから噛み砕いて説明できない上に、ややこしい。頭の中ではこれだ! って感覚があるんだけど、前提知識のない広島に一から十まで伝えるのは難しそうではあった。
「その話、詳しくお聞かせ願ってもよろしいですか?」
そこに割って入ってきたのは、ロザリアだった。斜め後方に立っており、確認が取れるまで腰を落ち着けないようにしている。こちらとしては渡りに船というか、量子力学に造詣の深い彼女がいれば心強い。
「ぜひ……というか、学がないので専門的な部分は解説を挟んでもらったりできますか?」
「わたくしでよろしければ」
短いやり取りを交わし、ロザリアは椅子代わりに使っていた瓦礫の上に腰かけ、ジェノと広島の間に入り込むような形で横並びになっていた。
「どこから言えばいいんだろう。『波』が見えるというのは恐らく――」
「分岐した並行世界が見える。と言い換えるのが最も丸いかと」
「そうです、それが言いたかったんです。大半の人間には見えないものが見えてしまった」
ロザリアのおかげもあって、説明はスムーズに進み、遠回りを出来るだけ排除して本質部分に踏み込めたのを感じる。
「まぁ、なんとなしに理解できたが、一体何が見えたんじゃ?」
広島の当然の疑問に対し、ジェノは即答することができなかった。今でも鮮明に思い出せるけど、内容があまりにもショッキングというか、ありのままを伝えてしまってもいいんだろうか。
これも聞きかじった知識だけど、未来に関わる出来事を改変しようとした場合、よくないことが起こると耳にしたことがある。専門用語でいうと『タイムパラドックス』とか『バタフライエフェクト』とかだ。ただ、あまりにニワカすぎて、この場において適切なワードかどうかの判別がつかない。ただ、質問の答えは単純で、広島が殺されることを話すか話さないかの二択だった。
「それは、広島さんが……」
思い切ってジェノは、身に起きたことを包み隠さず話そうとする。黙っておくのは心苦しいし、本人に前もって伝えておくのが筋だろう。もし万が一、同じ未来が訪れたら絶対後悔するだろうし、一人で抱え切れるものでもなかった。
「――――っっ」
でも、続く言葉は出てこない。喉をグッと締め付けられたような感覚があり、呼吸すらできない状態になっている。トラウマによる精神疾患が発症したのかと思ったけど、たぶん違う。心の方は何ともない。ハグのおかげか、精神状態は極めて良好だし、改変可能な未来だと分かったから気持ちは前向きだ。そう考えると、差し迫る問題の原因は――。
「……」
ジェノは不意に視線を落とし、センスを灯した目で首元を見つめる。視界に入ってきたのは、身も凍り付くような心霊現象の類だった。
(なんだ、これ……。黒い、手……?)
虚空から生じた禍々しい手が喉元を掴んでいる。二人には見えていないようで、ポカンとした表情で続く言葉を待ちわびていた。
ただ恐らく、素直に答えてはいけない。未来の出来事に干渉するキーワードを口にすれば、首の骨をポキリと折られて人生終了だ。金縛りにあったように身動きも取れないし、黙らざるを得ない状況なのは間違いない。
口を閉ざせば黒い手は解除されるだろうし、命までは取られないだろう。それが今のところ一番安全な選択肢だ。『波』が見える件はどうにか誤魔化して、一人で抱え込むと決断すれば二度と苦しい思いをせずに済むだろう。
「……ははっ」
そこまで考えた上でジェノは笑っていた。黒い手の握力が弱まっていくのを感じ、得体の知れない能力の底が見えた気がした。
一方で常軌を逸した反応を前に、二人は顔を見合わせて、動揺している。今の奇行を取っ掛かりにすれば、適当に誤魔化すことができるだろう。
ただ、笑った理由は諦めからくるものじゃなかった。
「広島さんじゃなく、俺が白獅子さんに殺された世界を見ました。彼がならず者を嫌っていたのはご存じだと思いますが、俺がバグジーさんの素材を無断で使うようお願いしたことで地雷を踏み、噛み殺されました」
ジェノは殺されるのを覚悟した上で攻めた。未来の出来事を口にすれば駄目なのは分かる。ただ、過去の出来事を口にしたところでお咎めはない。そう考えた。最初から伝えるのを諦めるんじゃなく、伝えられるギリギリを確かめるためにリスクを取った。その答えはすぐに分かる。
『――――』
黒い手は握力を失う。空間に溶け入るように消えていく。
「それなら、ハグした理由も納得じゃ」
「ようするに、バッドエンドが見えると」
ルールの隙間を縫い、危ない橋を渡り、情報伝達に成功した。これなら怖いものはない。広島の死に関することだけ伏せて、対策を立てるだけだ。
◇◇◇
深刻な表情を作り、ジェノ、ロザリア、広島が話し合っている姿が見える。それを遠目から観察していたのは、カグラだった。途中で割って入ろうかとも思ったが、足が止まった。見覚えのある異常な光景を目の当たりにしたからだ。
「……こりゃあ、一雨くるな」
直接的な言葉を口にはできず、かといって触れないのは違和感が残る。消化不良気味だった言葉を曖昧なワードで口にし、カグラは来たるべき時に備える。黒い手の元凶……『死の騎士』の情報を一人で抱え込んだまま。
◇◇◇
眼下に広がるのは、無数の時間軸。選択肢の数だけ枝分かれするタイムライン。それを管理する源は『虚大樹』と呼ばれ、天空から地面に向けて幹が伸びている。樹の根本は天空の果てに存在し、それを覗き込んでいるのは灰色のローブを着た金髪碧眼の少女。
「さすがはお兄だ。奇抜な発想で、インコースギリギリを突くのが得意」
誰もいない天空の果てで、エリーゼは独りごちる。ほんのりと笑みを浮かべて、ジェノの行く末を遠く離れた地で見守る。ただ、すぐに笑顔は消える。表情は引き締まり、冷血非道な『死の騎士』としての立ち居振る舞いが求められる。
「……でも、ルールを破ったら即殺すから。例え、家族であっても」




