第17話 トレードオフ
暗黒闘技場の武舞台中央で倒れ込んだのは一匹のキツネ型の魔獣。『モミジ』と呼ばれた広島のパートナーは地に伏していた。ジェノが従える『セルギウス』は未だに立ち続けており、魔獣としての格の違いを見せつけていた。
「ここまで……のようじゃね」
武舞台に足を踏み入れた広島は素直に敗北を認め、気絶していると思われる『モミジ』の赤褐色の毛並みを手で優しく撫でている。負けられない闘いだったから勝てて良かったけど、スカッと晴れやかな気分にはならない。
なんというか、自分の飼っているペットが他人のペットに怪我を負わせたような感覚に近い。互いに同意した闘いであったとしても、戦闘で勝ち負けがつく性質上、どうしても遺恨が残るというか、心が痛まない方がどうかしてる。
じゃあ、人間対魔獣ならいいのか? とか、殺されて当然の魔獣なら心が痛まないのか? という道義的な問題が発生するけど、これから先、どうすればいいんだろうな。まず間違いなく魔獣とは敵対することになるだろうし、元人間の可能性だったり、従順になる展開も考えれば、今までと同じように扱うには無理がある。
もちろん、魔獣に対してどういう印象を抱くかは人それぞれだし、自分の価値観を押し付けるようなことはしない。魔獣を殺さないことを強要して、味方が殺されたら元も子もないし、ナロト攻略を進めるには不要な感情だということは分かる。
……だからか。
「少し確認したいことがあるんですけど、いいですか?」
ジェノは広島のすぐ近くまで歩いて近付き、短く問いかける。「なんね」と彼女は視線を落としまま、意気消沈した様子で返答していた。もう答えが出ているようなものだけど、空白の期間を穴埋めしたい衝動は抑えられなかった。
「広島さんはナロト攻略に十分通用する実力を備えながら、あえてここに留まった。理由は恐らく魔獣を殺したくなかったから。その欲望の行き着く先が闘技場というコンテンツだ。どういう仕組みで運営されているのか詳しく知らないけど、魔獣が競馬における競走馬と同じ扱いなら、現役で闘えているうちは魔獣を殺処分せずに済み、保護することができる。たとえそれが延命処置なのだとしても、攻略する際に襲い掛かってきた魔獣を殺すよりはマシだ。ここで生き残るためには魔獣を食べ続けなければならないという矛盾も抱えているけど、闘えなくなった魔獣を食べるなら比較的心を痛めずに済む。……と勝手に広島さんが辿ったエピソードを想像で穴埋めしているんですけど、どれぐらい合ってますか?」
ジェノは頭の中にあった言葉を一つ一つ丁寧に並べ立て、確認を取る。これは勝利の報酬に含まれておらず、答える答えないは自由だけど、 彼女の性格を踏まえれば多かれ少なかれ当てられている自信があった。
「詳しくは言いとうないが、概ね正解……じゃな」
具体的に何が起こったか分からなかったけど、彼女の険しい表情にこれまでの全てが詰まっていた。恐らく、可愛がっていた魔獣が殺された……みたいなエピソードが表情の裏に隠されているんだろう。それを一から十まで話させるのは酷ってもんだし、そこまで鬼でもない。問題はこれからだ。
「いつまでここに残るつもりなんです? こんな過疎地で闘技場を運営し続けても、未来がないのは分かっていますよね?」
「頭では分かっとる。……でもな、理屈だけで人は動けんのよ」
気持ちは分かる。言っていることは理解できる。攻略を強制するのは彼女を傷つけることになるのは容易に想像がつく。……でも、こんなところで彼女のキャリアを終わらせるのは惜しい。万が一、『堕天』による暴走状態に陥った場合、止めてくれと頼めるだけの関係値がある実力者は広島しかいない。
自分勝手な理由ばっかりだけど、見過ごすことはできない。『はいそうですか、頑張ってね』と、冷たい言葉を投げかけて攻略を進めるのはあまりにも薄情だ。だからといって、魔獣や闘技場を見捨てろとも言い出しづらく、双方が合意できるだけの条件を整えないと、彼女をスカウトすることはできない。
「…………」
こんな複雑な問題を前に、即断即決できる人がいたなら是非変わって欲しい。どちらも得するような案はすぐに浮かんでこなかった。攻略を優先させようとすれば闘技場の魔獣が犠牲になり、闘技場を優先させようとすれば広島が犠牲となる。
あちらを立てればこちらが立たず。トレードオフというやつだ。天秤をどちらか一方に傾けなければ成立しない。王国までのルートが開拓できれば可能かもしれないけど、それに労力を割けば、ナロト攻略から大きく遠ざかることになる。
遠回りに対しては好意的な印象を持っていたけど、そこまで脇道に逸れるのはいかがなものか。ここまで一緒についてきた人にも申し訳がないし、強行するにしても事情を説明して、同意を得る必要がある。そこで意見が食い違えば、パーティ解散の恐れもあり、自分一人で決められる問題じゃない気がしてきた。
「ここはおらに任せてもらえねぇか?」
話し合いは膠着状態の中、声をかけてきたのはカグラだった。いつにも増して表情は引き締まっており、並々ならない覚悟が伝わってくる。勘違いじゃなければ、この時のためにこの場に立っている、と言わんばかりの態度に見えた。
『こいつは未来人だ。時空連続体を歪ませた罪がある。世界の修正力が働き、ここで死ぬ運命だった……と言えば諦めもつくか?』
そこで思い返されるのは、蜥蜴型の魔獣の言葉。真偽のほどは定かじゃないけど、今の状況を照らし合わせれば、真実味を帯びてくる。毛利広島という才ある意思能力者を得るか得られないかは大きなターニングポイントであり、未来人であるなら上手くいかなかった結果ありきで回答を用意している可能性が高い。詳しい事情は分からないけど、彼に任せればどうにかなるのかもしれない。
でも……本当にそれでいいのか。
これまで広島とは幾度もぶつかり合ってきたし、師弟のような絆でも結ばれている奇妙で強固な関係と言える。それを出会って一日も経ってない人に丸投げし、自分で解決することを諦めて、上手くいくように祈る。
できるか、そんなの。
仮にカグラに任せた方が成功する確率が高いとしても、心はスッキリしない。上手くいく前提で彼は考えているけど、上手くいかなかった場合が考慮に入っていない。失敗したら誰が責任を取る。誰が苦しい思いをする。その結末が分かっていて、主導権を渡すほど愚かじゃない。でも、かといって、ノープランで広島を説き伏せるほど厚顔無恥でもない。
望む未来を掴み取りたいなら、頭を回せ。
選びたい結論は決まってる。どんな手札を切れば彼女が首を縦に振るかだけを考えろ。それが例え達成困難な問題であったとしても、決して他人に明け渡すな。自分の人生は自分で切り拓かなければ意味がない。そうでなければこれまでの道のりを全て否定することになる。
だから――。
「ここは俺に任せてほしい。良くも悪くも責任は全部、俺が取る」
◇◇◇
おらの未来では、ジェノと広島は闘技場に留まる結末を迎える。やがて二人は恋仲になり、おらが生まれる。たったそれだけことが言えねぇ。おらはジェノと広島の息子なんだ……だからここは任せてくれ! って明確な動機が口に出せねぇ。
明かせば、世界に殺される。
当人が真実に近付くほど死が迫る。
未来では常識に近い概念であり、生きたいなら口を閉ざすべきだ。黙っていれば、若い両親の行く末を見守ることができるし、仮に上手くいかなかったとしても、どっちかの人生に寄り添い、その傍らで支え続けることができる。
ただ果たして、それでいいんだろうか。今ならまだ間に合う。事実を明かして、両者が納得する理由は用意してある。例えこの身が犠牲になるんだとしても、より良い未来が手に入るなら安いもんだ。二人が結ばれる未来が訪れないのだとしても、これから訪れる絶望を考えれば、時空連続体を歪ませる結果を招くのだとしても、手を打つ価値はある。
「待ってくれ、おらは……!!」
腹をくくって口走ろうとした瞬間、背後から黒い手が突如現れ、おらの右肩をガシリと掴む。一度目は警告であり、これより先に進めば死が訪れるのは容易に想像がつく。この手が見えていれば、言わずとも察しがつくんだろうが、奴らには見えてねぇはずだ。禁忌を犯した者のみが見える類の現象であり、元凶は『死の騎士』だ。死という概念そのものが具現化した存在であり、何人たりとも逆らうことはできねぇ。それはたとえ神であっても同じであり、どんな高位存在だろうと平等に死は訪れる。
おらからすれば、神の上の神だ。あらゆる生命体の祖先ともいえ、天地創造の神よりも古参であり、能力面においても優れているという説もある。それにたかが一人の人間が逆らえばどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだ。禁忌を犯してお咎めなしなんて奇跡が起こるわけがなく、真実を口にすれば死は抗えねぇ。
「おらは、あんたらの……」
全てを承知の上で禁忌に足を踏み入れる。肩を掴む黒い手の握力が上がる。ちょうどここが生と死の境界線だ。なんとなくではあるが、肌感覚で分かる。真実を口にした瞬間グシャリ。魂を抉り取られて、ジ・エンドだ。外傷はつかねぇだろうから犯人を特定することは不可能だし、迷宮入りの事件リストに加えられる。いいや、それ以前の問題か。心不全という便利な言葉で片付けられ、終わり。誰も事件性を疑うことはなく、時間と共に忘れられるはずだ。
それでいい。この身一つで世界が救われるなら喜んで――。
「無理しないでいいよ。俺が全部なんとかするから」
おらは弱い人間だ。腹をくくった漢の決断は、ほんの二言で揺るがされてしまうんだからな。




