第16話 女鬼
赤い樹々の隙間から見えるのは、赤髪ツインテールのメイド服を着た女鬼。左腰には身の丈に余る大太刀が装備されており、並々ならない雰囲気を放っている。オレグ中尉の報告通りの見た目であり、功を急いで単独で接触しなかったのは英断と言えよう。上官に対応を任せ、戦闘が激化すると読んで他の隊員を移動させた手腕を考慮すれば、昇進させて正解だったと心の底から思える。
さて……問題はここからだ。気配を悟られず、鬼の弱点である角をへし折るのは容易いが、いかんせんこの森の情報が不足している。煉獄界はただでさえ不安定な環境下にあり、ここは未踏の領域。予測不能の超常現象が起きる可能性が極めて高く、人間界と同じようなパフォーマンスで行動できると思ったら大間違いだ。調査済みの領域である『幽遊原野』でも、重力が反転する現象が観測されている。
この血に染められたような色味の樹々にも、何らかのギミックが施されていると思っていいだろう。今は静かだが、条件を満たせば無用なトラブルを招く恐れもあり、意思能力による戦闘がトリガーになるやもしれん。敵の脅威度と我々が置かれた状況を総合的に判断すれば、手を出さずに様子を見るのが無難と言えた。少なくとも、環境を把握するまでは……。
奴は何処へ消えた。思考にほんの一瞬意識を取られた瞬間、見失った。高速移動したにしても土埃すら立っておらず、最初からそこにいなかったようにすら感じる。無作為なワープが樹々の性質か? それとも――。
「――っ」
セルゲイは思考を切り上げ、反射的に後方へ宙返りをしていた。回転する視界の中、見えてきたのは斬撃痕。元いた地面が鋭利に切り裂かれており、底が見えん。少しでも反応が遅れていれば、死んでいた。反射の性質を備えた意思能力『死の鎧』を纏う暇すら与えてもらえず、抱え落ちという情けない末路を辿っていただろう。
「――――」
女鬼は手を緩めることなく、左拳を地面に数度叩き込んでいた。その中手骨あたりには銀色のメリケンサックが装着されており、何らかの付与効果があると思われる。単に拳の威力を高めるだけのものなら至近距離戦まで隠しておくのが利口であり、わざわざ中遠距離で見せたということは射程圏内であることの証左。
つまるところ――。
「…………飛び、道具!」
おおよその見立てを口にしたセルゲイは、足元に視線を送る。予想は的中し、先の尖った鋭利な岩柱が次々と襲ってきた。そのおかげか身体は合理的に動き、迫り来る岩の先端を殴り蹴り、センスを抜きにした膂力のみで対応する。
恐らく、アレがメインウェポンではあるまい。距離を詰めるための牽制技であり、対処を強いることで選択肢を狭め、後手に回らざるを得ない状況を作り出すのが敵の狙い。しかも、樹々を使って上手く姿を隠し、どの角度から攻めてくるのか予想を立てるのが困難な状態。
大した使い手だ。二手三手先を読み、先手は絶対に譲らない戦闘スタイル。こちらが策を考えつく前に一方的に叩き潰すつもりなのだろう。オレグ中尉の将来性を信じ、単独での討伐を任せていれば間違いなくやられていた。ただ、自らの手で対処できる場合は話が別だ。相手の切り札がいかようなものでも、後手に回ることが確定しているのなら、いくらでもやりようはあった。
「死の鎧」
折り砕かれた岩柱の残骸を横目に、身に纏ったのは黒のセンス。実際に鎧を創造可変したわけではないが、センスが纏われる表面は非常に滑らかで、光の入射角と同じ角度で反射する『鏡面反射』と似たような性質を持っている。一方で通常のセンスの場合は表面が粗く、光が分散する『拡散反射』を伴うため、光の基礎を知る者なら見分けることは可能。ただ、初見で見抜くことは知識があっても困難であり、敵はまず間違いなく切り札を投じる。
「―――」
そこに飛来したのは、赤い巨大光線。発生位置は斜め下方向であり、身の丈を大きく上回るほどのエネルギー波が迫っている。あの安定した高出力の形状……恐らくセンスの創造可変が得意な『芸術系』が全力で放った現象と見るのが妥当か。幸か不幸か『死の鎧』との相性は抜群。入射角を考えると相手に打ち返すことは難しいが、手ひどいダメージを負うことはないだろう。
「……っっ!!!!」
死の鎧と巨大光線は接触を果たす。入射角から反射角、斜め下方向から斜め上方向へと光は反射され、螺旋を描くように跳ね返っているのが目に入った。対象が普通の光だった場合は確認できない現象であり、逆説的に能力を特定できる。
直線偏光。ある一定の方向へ規則的に進む光のことだ。通常の光やセンスは不規則的に周囲に飛び散ることで威力や精度が劣化する性質を秘めているが、アレは違う。出力した状態から一切の威力減衰が行われることなく、根っこから先端まで同一の力を保っている。『芸術系』が全力でセンスを飛ばしただけでは説明がつかず、別の要素が絡んでいるとしか思えない。
特殊なレンズを通したか、あるいは高度な瞳術の類か。なんにしても、劣化しない超高出力の巨大レーザービームと言っても遜色なく、軍用の戦術兵器に相当する。いくら相性が良いと言っても『死の鎧』の強度には限界があった。
「……ッッ!!!」
身に纏うセンスがひび割れ、表面の滑らかさが一部失われる。『鏡面反射』の機能が失われた粗い部位に、決壊したダムの如く赤い光がなだれ込む。もはや、成す術はなく、通常のセンスの押し引きによって、ダメージを軽減する以外にすることがない。天に運を任せ、生き残れば良しとする他なかった。
そう覚悟を決めた瞬間、直線偏光は跡形もなく消え失せた。
緊張と緩和というべきか、力をぐっと入れた瞬間に入れる必要がなくなったと分かり、身も心も緩んでいるのを感じる。それは自分の意思でどうこうできる問題ではなく、人間の本能に基づいた反応。矯正することは不可能であり、コンマ数秒の身動きが取れない致命的なタイムラグを生んでいた。
「ごめんねとは言わない。弱いあんたが悪いから」
そこに飛来する女鬼は短く心情を告げ、逆袈裟懸けに大太刀を振るった。




