第119話 洗礼
「あいたたたた。着地は御粗末だったけど、生きてる、よね?」
「どうにかこうにかなんとか……。助かりはしたが、ここは……」
ライサとマステルは毒々しい色味を放つ川の近くに倒れていた。背後には数十メートル級の閉じられた『煉獄の門』。周辺には枯れ果てた樹々が生えている。ラダを追っていた二人はナロトの蠕動運動に巻き込まれ、着地もままならない状態で下咽頭にある開いたままの『煉獄の門』に突入し、今に至る。
「原生蝕林……っ。超弩級の危険区域じゃん……」
「煉獄界にはあまり精通していないんだが、詳しく聞かせてもらっても?」
「あー、どっから伝えるべきか。原生生物の定義は知ってる?」
「確か……アメーバとかゾウリムシのような単細胞生物のことだったかな?」
「概ね正解。多細胞生物も含まれるけど、細かい学術的説明を抜きにすると、動物や植物や菌類に属さない生物の総称。そしてここは、原生生物の巣窟。特に川の中が抜きんでてヤバイ!」
立ち上がったライサは、両腕を広げるようにして声高らかに説明する。「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ」と彼女の声は虚しく木霊し、滑稽な姿を晒している。
「うーん、しっくりこないな。どれだけ大きく見積もっても1ミリ以下の話だろ? 人間の脅威になるようには思えない。魔獣の方がよっぽど……」
両腕を組み、視線を落とすマステルは、困惑気味に語る。
「説明するより、観察した方が早そうなんだけど……ほら見て、アレ」
ライサは思いついたように右手人差し指を伸ばし、遠くに見える川のほとりに向ける。そこには熊型の魔獣がおり、水分補給をしようとしていた。意図を察したマステルは口を閉ざし、食い入るように一部始終を見つめる。
熊型魔獣が顔をつけ、毒々しい川の水にありつこうとした、その時。
『―――――』
現れたのは、巨大アメーバ。半透明のスライムめいた形を保っており、一部分の細胞を突起させ、熊型魔獣の全身を串刺しにしている。息つく暇も与えず、そのまま巨体を丸呑みにすると、何事もなかったように川へと戻っていった。
「ああいうこと。単純明快でしょ?」
ライサは自分の手柄であるかのように得意げに語り、実際問題として状況説明は大幅に省くことが可能になっていた。
「仕様も状況の悪さも理解したが、原生蝕林の蝕は蝕むからきているんだよね? その要素はどこからきているんだい?」
「それは……」
会話の流れでライサは陸地に視線を送り、実例となりそうなものを探している。特に時間をかけるまでもなく見つかり、陸上を歩行する半透明のミミズ型の巨大生物がいた。専門的には土壌性繊毛虫に該当し、本来ならばバクテリアなどの菌を捕食し、増えすぎた細菌を抑制する役割を担う。人間都合の観点ではあるが、極めて優秀な益虫にカウントされ、土壌の品質を見るための指標になることも多い。
しかし、原生蝕林の場合は事情が異なる。
『―――――』
ミミズ型の生物は進路を変え、ライサたちの方へと迫り来る。体中に生える繊毛を戦車のキャタピラの如く動かし、並々ならぬ速さで接近していた。
「念のため聞くが、触れたら?」
「蝕まれるぅ!! 退避、退避、退避ぃ!!!」
二人は煉獄界の洗礼を浴び、巨大生物から背を向けて、走り出した。
◇◇◇
菱型にコサック部隊の陣を固定し、『煉獄の門』を探し始めてからそれなりの時間が経過しようとしていた。接敵は計三回。別々のタイミングで魔獣と遭遇し、近くにいた隊員が対応した。幸い負傷者はなく、意思のない低級の魔獣だったことから、通常兵装のみで事足りた。軍から支給されたボルトアクション式小銃によって、魔獣の討伐は完了した。
指揮官であるニキータは何もしていない。端的な指示を飛ばしたのみで、現場で活躍したわけではない。比較的安全な菱型の中央付近で待機しているだけで、戦闘には大して貢献していない。万が一の場合は自ら動くことも視野に入れていたが、部隊の統率が乱れる危険が伴う。ここは定石通り、指示役に徹するのが無難というか、数度接敵して犠牲者が出ていない時点で指揮官としては優秀な部類に入るだろう。
ただ、性に合わない。
好きなことと向いていることは違うと世間一般では言われるが、今回のケースがまさにそれだ。個人としては最前線で戦うのが好みだが、適性としては指揮官の方が向いているらしい。安全圏からリスクを負わずに石を投げている感覚に近く、現場の気持ちが分かるがゆえにもどかしい。身体を張って、命令を忠実にこなす隊員こそが最も敬意を持たれるべきであり、指示を飛ばすだけの自分が持てはやされる構図に嫌気が差そうとしていた。
「指揮官は不服か? ニキータ伍長」
表情から不満を察したのか、右隣に立つエリックス曹長は声をかけてくる。
「不服であれば、私が変わってやらんこともないぞ」
次に左隣にいるミハイル曹長が会話に参加し、慣れない指揮官へのメンタルケアを行っているように感じた。
言葉を真に受けて、好意に甘えれば、交替も可能だろう。元よりミハイル曹長は指揮官に乗り気だった。立場も上だし、現場経験も豊富。彼に任せれば、自ら前線に出向くことも可能だし、不満は解消される可能性は高い。
ただ、懸念すべきは、今よりも悪くなるケースだ。指揮官交替を申し出てくれるのは頼もしいし、自信に満ち溢れているから任せたくなる。あたかも今と同等か、もしくはそれ以上の成果を出せるかのように感じてしまう。その一方で、本人が指揮官の適性があるかは未知数だ。今まで通りなら死傷者を出さずに済んだものを、変わったことで死人が出てしまう可能性もある。当人同士のやり取りならまだしも、他人の命がかかっている状況で好き嫌いを優先すべきではなかった。
「今回は遠慮させてください。エリックス曹長のご命令を途中で投げ出す兵士にはなりたくありませんので」
角が立たないようニキータは丁重に断りを入れる。部隊では上官との関係性が業務の9割を占めるといっても過言ではない。立場上、上官を立てる術は心得ており、相手に不快感を与えず、面子を保てるように申し出を断ることなど朝飯前だった。
「ガハハッ。そうであったな。失敬、失敬」
ミハイル曹長は機嫌よさげにこちらの肩をバシバシと叩いている。上司と部下の気兼ねないコミュニケーションの一貫と言えるが、外界では『セクハラ』というらしい。もちろん、外界から隔絶された部隊で浸透してはおらず、咎めるものもいなければ、不服を申し出るものもいない状況になっている。いわゆる、女性差別問題であり、どれだけ実力を有していようと女性は評価されにくい構造になっている。
だから、将官に女性がいない。
男は外で働き、女は家事に従事するべきという思想は根強く残っており、唯一の希望だった『狂犬』ロザリアも現場を退いてしまった。女性の地位が向上することを世間に期待されていたが、結局のところそれは実現しなかった。
まぁ、過ぎたことをとやかく言ったところで仕方がない。重要なのは今であり、今回の任務の結果次第では、女性の地位向上に貢献できるかもしれない。前向きに事実を受け止め、指揮官の命令に集中しようとした時。
「ミハイル曹長。そいつはちょっと、見過ごせないねぇ」
ピキリと額に青筋を立てたエリックス曹長は右手を伸ばし、ミハイル曹長の太い右腕を掴んでいる。
「理解に苦しむね。私が何かしたか?」
「指揮官に軽々しく触れるな。次やったら潰すぞ」
物々しい雰囲気を放ち、エリックス曹長は意図を明らかにする。『セクハラ』に思うところがあったのかもしれない。女性視点の不満を代弁してくれたようで胸がすくような思いだったが、指揮官としては胃が痛い展開が続く。
「あの……私は気にしておりませんので」
「ほぅら、当人もこう言っておろうが。同意の上の関係よ」
図に乗ったミハイル曹長は、拘束された右腕を強引に振り払い、こちらの肩に手を回す。これは……アウトではない。スキンシップの延長線上にあり、訴えても通らないケースがほとんどだ。胸や尻と言った直接的な箇所なら問題視されるが、こういったボディタッチは有耶無耶にされることの方が多かった。
「忠告はしたぞ」
低く唸るような声音で、エリックス曹長は白色のセンスを纏い、瞬く間に右膝蹴りを放っている。
「……手を出したのはそちらだ。部隊式の決闘になるが構わんね?」
対するミハイル曹長も後れを取らず、右膝蹴りを右手の掌で受け止め、言い放つ。茶色のセンスを薄っすら纏っており、どちらも冷静に怒っていた。介入するとしたら今だ。指揮官の権力を存分に活かすしかない。
「お二人とも、これは命令です。決闘は――」
「「お前は黙ってろ!!!」」
名ばかりの指揮官という肩書きについに限界が訪れる。上官二名を制御することはかなわず、陣形内で部隊式の決闘が始まろうとしていた。




