第116話 欲求
消えたコサック部隊とニキータの動向を追っていた。下咽頭に進行し、開いたままの『煉獄の門』を発見した。何かあったと確信して、思い切って煉獄界に足を踏み入れようとした。不運にも食道の蠕動運動に巻き込まれ、結果こうなった。
「不躾な申し出で悪いが、聞いてくれるか?」
「どうか黙って君の力を貸して欲しい。報酬は弾ませてもらうよ」
私は鳶座りの状態で、男二人から言い寄られる。どう考えても戦力にならなそうなのに、なぜか全面的に信頼されている。正直、悪い気はしない。実力が伴っているかどうかにかかわらず、人に頼られるのは心地がいい。
でも、どうしてなんだろう。
返答より先に考えるのは、理由。実際に闘ってみせたわけでもないし、彼らとは知り合いでもない。戦闘面においては大した実績のないモブキャラのようなものだし、注目される意味が分からなかった。
「…………」
私はпочемуとセンスを使って文字を刻む。ロシア語で『なぜ』という意味であり、二人は恐らく私の症状に気付いた。
「なるほど。それでか……」
「スカウトの理由はそれだ。失声症が強さに直結した」
長々と説明されることはなく、端的に理由が添えられる。それだけ切羽詰まった状況ってことなんだろう。奥には物騒な人たちが待ち構えているし、激しい抗争が始まりそうな雰囲気がプンプン漂ってる。
助太刀すればそれなりの見返りはあるだろう。なんてったって、相手は国王ジーク・ロマノフだ。勝利を収めることさえできれば、富も名誉も権力も全て手に入るだろう。承認欲求はこの上なく満たされ、チヤホヤされ続けるのは間違いない。
だけど……。
「……………………」
私はнетと文字を刻み、その場を立ち去る。意味は見た通りだ。彼らから遠ざかるように走り続け、物騒な空間から離脱を試みた。昔の私なら喜んで飛びついていたかもしれないけど、今の私は考え方や価値観がまるで違う。富も名誉も権力もどうでもよく、周りにチヤホヤされることに価値を感じてない。私が心の底から欲している報酬は一つだけ。
ニキータに会う。
その原動力だけでここまで来た。それ以外のものは全て断るべきであり、生き死にが絡んでいるのなら尚更だった。他の人がどうなろうと知ったことか。国王だろうが、『七聖獣』だろうが、私を縛りつける権利はなく、利害が一致していないのだから決裂して当然だ。喧嘩は私のいないところで好きにやってくれ。どちらにも協力しないなら狙われることもないだろうし、私は私の道を行く。
「…………っ」
そう考えながら、がむしゃらに走り続けていた時、視界の端に捉えたのは黒い羽根。切羽詰まった状況の割に、時間が緩やかに流れているように感じ、それが私の焦燥感をより一層引き立てた。
「――――」
先手を打たれるよりも早く、私はカバンに右手を突っ込み、望んでいたものを掴み取る。出し惜しみしている余裕なんてない。やるなら全力だ。
赤い表紙が特徴の第一級指定文庫を開き、私は該当するページを開く。後は特定の箇所を文字に起こすだけ。さっきと同じ要領でセンスによって空中に文字を刻めば、それで……。
「六人目っと」
そうこう考えている間に迫ってくるのは、軽やかな声音と黄金の左腕。触れたらヤバイのは一目で分かり、文字に起こして反撃する時間は残されていない。
「…………っっっ」
プラン変更。周囲を立方体状の結界で覆い、防御を固める。初撃さえ防ぐことができれば時間は十分。文庫の力をぶっつけ本番で試すことができるはず。
「ノンノン」
嫌味ったらしい口調と共に、空いた右手の人差し指を横に揺らし、黒い鎧を纏った人物は余裕をアピールしている。言葉にするなら、『お前如きの結界なんか取るに足らない』ということだろうか。そう思われても無理はないけど、私は独自境界を設けている。条件を『黄金の左腕』に設定し、自動的に弾くようにプログラムしている。
これが特別凄いことだとは思ってない。ニキータやライサも息を吸うようにやっている技術だし、精度も速度も彼女たちには劣っている。それで調子に乗れるほど自惚れてはおらず、あの身内の中じゃ謙虚にならざるを得なかった。
ともあれ、重要なのは攻防の結果。防げると見越して今は……。
「――――」
結界が割れる。ガラスのようにひび割れ、崩壊する。視界に映ったのは、今さっき横目で捉えたばかりの黒羽根。黒いセンスを帯びており、身体の一部のように遠隔操作して、結界を破壊したんだ。だとすれば、この後の展開は。
「「…………!!!」」
直撃を覚悟して、体表面のセンスを高めた瞬間、敵の拳が身体に接触する手前で眩い輝きが放たれた。目を凝らすと館長エフレムから託された小ぶりの宝箱があり、それが緩衝材となって、黄金の左腕の一撃を防いでいた。
恐らく、カバンから文庫本を取り出した拍子に宝箱が落ちたんだろうけど、何がどうしてこうなった? 一応、ぶつかった物同士で体積が劣っていたとしても、質量が上回っていたなら拮抗、もしくは、勝てる理屈は分かる。中身がスカスカの大きな箱と、中身が鋼鉄で詰まった小さな箱をぶつければ、後者が勝つからだ。
つまりは、箱の中身がとんでもない上物ということ。あの黄金の左腕と匹敵するレベルなのは間違いない。もしかすればワンチャン、第一級指定文庫を上回る兵器が収容されている可能性があった。
「…………!!!」
私は期せずして窮地を救ってくれた宝箱を回収し、後退。文庫本をカバンにしまい、小振りの宝箱を両手で覆う。特に呪文はいらない。『開け』と念じて、センスを込めるだけで勝手に開く仕組みだと聞いている。
手順通り、私はセンス込めた。
紫色のセンスを宝箱全体に浴びせ、様子を見守る。
「…………」
突如として、宝箱は巨大化し、大きめの宝箱に変化。持っていられなくなり、ドスンと地面に落とすと、その拍子にパカリと開き、中身が露わになった。
見えたのは、『黄金の両手』。
よく見れば、あの黒鎧が装着していたものと似ている。というよりかは、バージョンアップを重ね、正当進化したもののように思えた。……まぁ、どういう経緯だろうと、気にしている場合じゃない。
「――――――――」
私の身体は考えるよりも先に動いていた。黄金の両手甲に指を通し、握り込んで、身構える。戦闘は避けることができそうもないし、ニキータとの再会の障害となるなら、ラウンド2開始だ。




