第115話 不運
『仕立屋』から外に出て、胃低区に足を踏み入れたのは二人。ザハールとジークは、条件付きでナロト攻略に挑もうとしていた。
目的地は幽門区。
ミーラとリーザが敵対していた場所であり、ザハールは結末を知らない。最前線にソーニャと気絶したロザリアを残したまま覚醒都市に帰還したため、100万の軍勢との戦いを見届けられずにいた。そのため、二人の安否を確認するのが彼の主な動機となる。直帰するよりかは出遅れているが、ナロト体内を単身で攻略しようとするのは悪手。そのリスクをケアするために、ジークを仲間に加えたことによって、一人で幽門区に行く場合と比べれば、生存率は格段に上がっていた。
「……思っていたよりも、物騒な場所じゃなさそうだね」
涼しい顔をして、ジークは胃酸用のスーツなしに未踏の地に足を踏み入れる。服装は白のフロックコートにシャツとベスト、黒のネクタイに黒の革靴。攻略を全く意識していないフォーマルな服装だった。
「言っとくが、ここは浅瀬だ。本域には程遠い」
ザハールは若葉色のピッチリとしたスーツに身を包んでいる。頭部だけフードのような構造となっており、顔部分には薄っすらとした緑色の結界が張られている。不意に胃酸を浴びても問題ない構造となっており、酸素供給の問題は独自境界の条件設定でクリア。酸素をIN、胃酸OUTとすることで万全を期した。
ルスランがこの方法を推奨しなかったのは、個々人の習熟度にムラがあるからだ。独自境界をできる前提で話を進めてしまうと、できない側が痛手を被ることになる。熟達した使い手であっても得意不得意が存在し、自分ができるからと言って、相手もできるだろうという見立てをするほど浅はかではなかった。
「そうかな? 私の見立てではここが本域なんだけどね」
不意にジークが視線を送った先には、逆さに生える樹がそびえたっている。地面に相当する胃の粘膜は脈打っており、寄生生物に乗っ取られている最中のように見えた。胃酸の分泌は止まっており、以前と比べれば格段に難易度が落ちていた。
「なんだ、あれ……。樹が逆さに生えてやがる」
「教養がないようだね。初等教育はサボり気味だったかな?」
「あ? いちいち噛みつきやがって。知ってるなら答えを言えや」
「あれは恐らく、『虚大樹』のレプリカだね。本物は地獄にあるんだが、どういうわけかアレを再現した使い手がいるらしい」
「……効能は?」
「本物なら時間軸の管理だが、あれは……なんなんだろうね」
おおよその把握はできたものの、結論は出ない。いくら議論を重ねても意味がないというのは二人とも分かっており、逆さに生えた樹に見入り、口を閉ざしていた。どれぐらいそうしていたのか。踏ん切りがつかないまま、無言を貫いていた時。
「「…………っ!!?」」
訪れたのは爆轟の余波。二人を吹き飛ばせるほどの衝撃が残っており、予期せぬ不意打ちに体勢が崩れていた。とはいえ、直撃には程遠い威力。中心地に比べれば勢いは衰えており、軽く吹き飛ばされるだけで済んでいた。すぐに空中で受け身を取った二人は地面に着地し、体勢を立て直す。
「敵襲か? にしては……」
「威力が弱い。本命は我々じゃなさそうだね」
互いに背中を合わせ、薄っすらセンスを纏い、周囲を警戒する。状況判断からすぐにおおまかな見当をつけながらも、出方を伺っていた。
「おい、あれ……っ」
目を凝らすザハールは、胃体区付近の壁面に人差し指を向ける。そこには、壁に叩きつけられる女性の姿があり、体内にめり込む様子が確認される。
「『七聖獣』……『狂犬』のロザリア……」
遅れてジークも視認しており、遠目から見た状態で正体を把握していた。
「どうなってやがる。一連の攻防で気絶していたはずなんだが、そこから目覚めて、誰かと敵対し、またやられたってのか?」
「その誰かが重要だね。心当たりは?」
「100万の軍勢の誰か。もしくはソーニャだが……師弟関係だから違うな。今さっきで仲違いしたとは思えんし、リーザ級の使い手がいたってのが妥当な線か」
「いいや、ソーニャも候補に入れておこう。それよりも彼女を放置しても構わないのかい?」
「幸い、行き着く先は肝臓だ。治癒と解毒作用があり、今の攻防で負った傷や、悪いところは全部治る。それなりに時間がかかるのがネックだが、俺たちがわざわざ追いかけるほどでもない」
「じゃあ、気にすべきは彼女を追いやった敵」
「あぁ、じきに姿を現すだろうよ。それが俺らの初陣だ」
二人は爆轟の余波から位置を割り出し、視線を揃える。そこに登場するのは、堕天反転状態のユリア一行。五名の使徒を従え、極上の餌を前にして、尋常ならざるセンスを放出している。
「待て……待て待て待て。こいつは反則だろ!」
「早々に見切りをつけるのは嫌いだが、さすがに手に余るね」
錚々たる面子を前にして、二人は気後れしている。正面から相手取るにしては、あまりにも分が悪い。人数で不利な上に、ユリア単体のセンスにも遠く及ばない。それ以前の問題として、二人の心は折れていた。一度でも無理だと感じてしまえば、センスに多大なる悪影響を及ぼし、パフォーマンスが著しく損なわれる。数分やそこらで立て直すのは難しく、外的要因に左右される。
強力な助っ人が現れてくれれば。
二人はその可能性を頭の片隅で思い浮かべているものの、望み薄なのは分かっていた。国王が単独でナロトを攻略するなど反対されるに決まっている。その共通認識が、『お忍び』という選択肢を取らせ、ジークの動向を把握しているものはいない。増援の可能性は皆無であり、いるとすれば命知らずな攻略者。
「…………っっっ」
胃は小刻みに揺れ、蠕動運動を引き起こし、食道を突破して現れたのは一人の女性。右頬には強い火傷の痕が残り、状況が呑み込めていないのか、ぺたんと地面に座り込み、目をパチクリとさせている。弱々しい雰囲気を醸し出し、強者のイメージとは程遠い存在に見えた。
「「――――」」
しかし、二人は同時に感じ取る。
状況を逆転し得る『未曽有の可能性』。
「不躾な申し出で悪いが、聞いてくれるか?」
「どうか黙って君の力を貸して欲しい。報酬は弾ませてもらうよ」
精神を持ち直すのに数分もかからなかった。ほんの数秒、ふとした幸運に恵まれるだけで十分だった。




